神の代理を担ぎ出す


2024年元旦の朝日新聞より

佐伯啓治氏の「異論のススメ」

「しかも日本人はほとんどの者が、天皇とは何か、民主主義とは何か、

アメリカとは何か、などまともに考えたことも無いにもかかわらず、

あたかも自明の真理ででもあるかのようにそれを担ぎ出すのである。

皆で空気を作り出し、その空気に従うのである。

担ぎ出すものは時代によって違い、情報によって変わる。しかし、

なにかを担ぎ出すことによって社会はまとまる」


🦊  ここまでは良い。しかし日本人は「ただ、神の代理を果たす何かを

必要とする。それが価値の基準となり、日本社会に秩序を与え、また、

日本の向かうべき方向を指し示すのである。この神に代わるものは、

日本の場合、海の向こうから来る高度な普遍文明であった。例えば古来

中国の高度な文明を取り入れた日本の支配層は、中国の権威を背景に

日本社会の秩序と方向を得てきたのである。そして現代は「価値基準の

追いつく先」が無い。そうであれば、今日こそ我々は我々の手で日本社会に

「秩序」を与えることが必要ではないか」と言う。

現在の皇室も日本文化の内、といつも言ってるキツネはそれを読んで、

「社会をまとめる」「日本社会に秩序を与える」って何のこと? と

口をアングリ。何のことか教えてくれませんかね!


🦊  ところで、明治期日本に国民皆兵制度を導入した山縣有朋が果たして

日本社会に「秩序を」与えるために、古代の天皇親政と、御神兵の

復活を提唱したのかというと、そうではなくて、藩兵を廃して国軍とし、

中央政権の軍事力を上げる、そのために廃藩置県、四民平等の徴兵制を

しき、薩摩、長州、土佐の3藩による全国支配を確かなものにするためで

あった。

(当ブログの「軍国主義は死なない」参照

「山縣有朋」半藤一利著    より

p75  「御親兵はいずれの藩臣にあらず」より

(明治2年3月28日、山縣有朋は薩摩の西郷従道と共に海外視察を命じ

られる)。山縣有朋が特に注意して観察したのは、各国軍隊の組織で

あった。「百姓からも町人からも、強い兵士を採る。同じ武器を持たせ、

同じ号令をかけて訓練すれば、きっと強い兵が出来ますよ。なあに、

古代は日本国民は誰でも御親兵として天子様の兵隊だったのだ。

徴兵制度は西洋の真似でもなんでもない。武士の栄える前の日本に

還れば良いのですよ」

今外国へ来て、強大にして斬新な西洋文明の導入が、新日本国存立の

ための必要要条件と、目を覚まさせられたのである。(フランス革命の

ことを聞かされて、彼は農民労働者の力を脅威に感じた。益々天皇中心

主義者となって、山形は帰国した)

兵部少将に任じられた山形は、2つの条件を提示した。

1。 国策として、あくまで兵制統一を図る。

2。 西郷隆盛を東京に呼び寄せて、(武士に人気のある)西郷を正面に

立て、その威貌の下で「影」となって兵制統一→国軍→廃藩置県の

大計を図ろうとした。・・・

西郷は状況を承認した上で、率直に答えて「自分は長州の木戸と土佐の重臣

とも相談の上で、薩長土3藩をもって御親兵を組織し、朝廷に献上するつもり

でごわす」

山形  「よくぞ言われた。それこそが国軍の基礎となりましょう。ただし、

もはや御親兵はいずれの藩臣にあらず(一朝ことある時は薩摩藩の兵は

薩摩藩に弓を引く覚悟も必要となる)それもご承知でございましょうか」

西郷は言下に言い切った。「よかでごわす」

御親兵=近衛兵は、日本最初の天皇の統帥下にある軍隊である。

「されば封建を打破し、郡県の治を敷かなければいけないと考えます。

このまま諸藩を存して置いては、中央政権の政治の実は上がらないのでは

ないでしょうか。念のために申しますが、この問題から氏族(旧武士階級)

の不平が噴き出すのは必然のことで、血を見ることになるやも知れません」

しかし、西郷の返事はあっさりしたものであった。「我輩の方はよかでごわす」


7月14日、疾風のごとく廃藩令が下った。この日、山形は兵部大輔に昇格。

今で言う防衛省大臣兼統合幕僚長である。

自分の軍事的生命を維持するためには、己の権力を脅かす近衛兵団の弱体化、

むしろ解体が絶対条件である事を、そのためには四民平等の兵制しかないと

山形は見てとり、命がけで奔走した。その努力は実を結び、明治5年11月18日、

若き明治天皇は全国徴兵の詔を発布。太政官告諭には古来日本において

国民がいかに国威を上げたか褒め上げ、「後の双刀を帯び、抗顔座食し、甚しき

に至っては人を殺し、官その罪を問わざるものの如きにあらず」と、武士階級に

対して真っ向からの一撃を加え、そして四民平等を高唱し、「それ上下を平均し、

人権を斉一にする道にして、すなわち兵農を合一にする基なり」と、維新の理念

を表明する。明治6年1月、国民皆兵の徴兵令が下された。平均3万4680名、戦時

4万6350名の兵数が動員できる兵制が整った。


🦊  だから、山形の全ての改革は、政治権力側の軍事力を高めるためであって、

「四民平等」のためじゃない。「兵農合一」とは、農民を生きた兵器にする

ヤバイ制度である。また、人権を斉一に、と言ったって、渋沢栄一等の活躍に

よって、金持ち商人が新たな「上様」に成り上がり、軍をも動かすようになる。

で、相変わらず農民や貧乏人は「シモジモ」のまま、現代に至る。最近でも、

「余った金はいずれシモジモの方へも分けてつかわす」などとご立派な政策を

真面目に語る政治家がおる。(ま、ジジイに決まっとる)


🦊   もう一つ、これも当ブログの何処かに載せた話だが、農民の賦役は、年貢米と

共に殿様に納める「人的武器」である。(ブログ[おらが家が村で一番]より

「三流の維新、一流の江戸」   原田伊織著       2016年ダイヤモンド社刊     参照)


p146    元和偃武(エンブ=武器を収める)

戦国期の合戦に参加している者は、1割程度の武士以外は、侍も下人もほとんどが

百姓の出であり、実際の戦闘に参加するのは武士と侍までで、下人の仕事は馬の口

をとって主人の戦闘を助け、また物資の運搬にあたった。さらに、戦国期の合戦

には意外に傭兵が多いのだ。気候が寒冷化したこともあって、世は凶作、飢饉の

連続であった。合戦で刈田狼藉にあって、耕作ができなくなったというケースも多い。

あとは、戦場に行くしか食う道がなくなったという話もある。「悪党」と呼ばれる

ゴロツキや山賊、海賊の類も戦場に集まった。侍、下人にとっても、百姓の次男坊、

三男坊にとっても、戦場は稼ぎ場であった。

合戦とは突き詰めれば「略奪」「放火」「強姦」の場であった。それを実行して

いたのが侍以下の百姓たちであった。(中略)

武田信玄が信州へ攻め入ってきた時のこと、大門峠を越えたあたりというから、今の

茅野市立科町あたりであろうか。ここで全軍に7日間の休暇が通達された。

「シモジモ勇むこと限りなし」というから、雑兵たちは喜びに歓声を上げたことであろう。

早速、一帯の村々を襲って「小屋落とし」「乱獲」「刈田」を繰り広げたのである。

近所の村々を荒らし尽くしまくってもう荒らす村も無くなったので、翌日からは遠出

しての乱獲となり、朝早く陣を出て、夕方帰ってくる有様であったという。

竹田軍が休暇をとった地域こそ良い迷惑であった。・・・

竹田領内の侍、下人、百姓といった雑兵たちは、戦いを重ねるごとに「身なり羽振り」が

良くなっていったという。武士の戦闘を妨げないかぎり、乱取りは勝手というのが武田軍

の基本方針であった。百姓たちは「御恩」「奉公」という思想は根付いていない。そういう

百姓たちを下人、人夫、あるいは侍、足軽として動員するには、時に乱獲休暇を与え、

落城させた後の火事場泥棒のようなご褒美乱取りを許しておかざるをえなかったのである。


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🦊  戦国武将の武力と策略の優劣を論じて、それを日本史の王道であるかのように言う

?学者も多いが、原田氏は日本の抜き難い階級社会の底辺で暮らす逃げ場の無いシモジモの

暮らしに光をあてている。そして徳川政権の「戦いを一切許さない」という強い意志とその

ための施策を高く評価しており、一方それを覆して、戦国の世に還ったかのような下層民の

「使い捨て兵器化」と海外侵略の野望を剥き出しに、「我らが世界一」と自己洗脳し、

金に塗れた権力闘争に明け暮れた明治政府の三流ぶりを告発している。

明治から伝統を引き継いだ金に塗れた政治と「階級制社会」の2024年の今、「明治に帰れ」

の声さえ聞こえて来る。

あの昭和の「国民皆兵」で戦場に駆り出され、最初から生きて帰れる望みのない者たちが、

中国の民家に歓声を上げてなだれ込む。その悲惨な姿にオゾケを振るう。歴史の網の底に

渦高く溜まったゴミのようだ。


2024年  1月3日


🦊 追記

最近の新聞報道によると、ウクライナの若者が、兵役忌避のために大学に殺到しているとか。

同国では大学生は兵役が猶予されるらしい。

その一人が言う「やられたらとことん復讐するという奴もいるし、死ぬのは絶対嫌だという

奴もいる。人それぞれさ」と。ごもっとも。それが正しい。キツネも心のうちの広い方の

部屋を開けてそこに迎え入れたい。だけど、悲しいかな、「愛国心」とか「国を守る義務」

とかにめっぽう弱い自分も居て、嫌な顔をする。どうしたらよかろうか。

この場合、神とは国のことであり、さらに「わが民族」のことだ。

だけど、日本にも所謂ハーフの人が増えてきて、特にマスコミ関係では上手い日本語を武器に

大いに活躍している。ウクライナだって、親のどちらかがロシア人という人も多いそうだ。

中国の李克強さん(最近死去)なら、「わが中華民族が」とは言わないだろうが、習近平さんは

「わが中華大民族」と言いたくてうずうずしているようだ。さらに「わが家は大家族。広い

庭と畑とが必要」おまけに鉄砲と飼い犬が欠かせない備品だ。なぜって、まず、国内の非戦

分子を罰し、隔離するのが第一歩。なぜって、「我は神の代理」ということを国民に解らせる

には、「強権、あくまで強権」が唯一の方法だから。で、ウクライナ国民の願いである

「戦争を終わらせる神」はいないことがわかった。「金の力で戦争を終わらせる(経済制裁)」

のもうまくいかなかった。「グローバル経済」という神官が仕切って、各国はそこそこ儲けを

増やしただけだった。

戦争は何十年も続くと予想されている。隣の韓国、北朝鮮のように、分断国家は増えて行き、

最後は世界中がガレキと化し、それでも神の代理は繁殖し続け、人間を圧倒する。

ホラじゃないよ。人知は破滅し、神の声だけが響く、人間AI化の世界だ。AIでなければ

猿に戻った人類か、どちらにしても「楽しい」結末だなー。「国民の意志を統一する」

という佐伯氏の夢は何処の地点を目指しているのだろうか?ひょっとして「明治」の

あたりでは?・・その辺はまだ明言されていないので、誤解かもしれないが。