現代中国のイデオロギー暴力




 🦊:1949年10月1日  中華人民共和国成立。日本の戦後知識人の中には、

「覚醒した」人民の手による新しい中国に期待を寄せ、毛沢東思想を

持ち上げる論者もでてきた。今の毛沢東をイメージさせる、皇帝然とした

習近平とその取り巻き、「大中華帝国」構想を目にするかぎり、「覚醒した

人民の」中国はどこへ行ったのか、または最初からそのような「覚醒」は

無かったのか、気になるところだ。



「法と暴力の記憶」  東京大学出版会刊   所収

「現代中国のイデオロギー暴力」ーー文化大革命の記憶ーー

涂険峰(TU・Xianfeng)の論文より抜粋

🔴 20世紀後半、中国大陸の青年作家、余華(1960年~)は「1986」という

小説を発表している。小説が書くのは、文化大革命(1966~76年)で迫害されて

発狂し、故郷を離れ、行方知れずになっていた一人の歴史教師である。彼は

文革が終わって10年後の1986年、中国古代のさまざまな拷問道具を身につけ、

再び街頭に姿を現す。訝って好奇心を抱いた野次馬がこのパフォーマンスに

引き寄せられる。その中には狂人の娘も含まれていた。狂人は自傷行為の果てに

命尽き、屍を街頭に晒す。そして彼の妻は新しい夫と「幸せに暮らし」はじめるのだ。

この作品は読者に痛々しい印象を与える。直感的には狂人の自虐描写の残酷さから

くるものだが、それ以上に小説中の傍観者たちの冷淡さ、人々の痛ましい過去に対する

無情な忘却が、読み手を不安にする。この冷淡な態度からは魯迅の国民性批判が想起

されよう。20世紀初頭、魯迅は自国民が同胞の苦しみに無頓着で疲弊していることを

痛感し、「吶喊」の声をあげた。余華の小説はまるで魯迅の叫び声が世紀末に

こだましているかのようだ。

しかし注意すべきは、それぞれの作家が対峙している暴力に質的な違いがあることだ。

この違いを看過すると、20世紀の驚くべき暴力運動の歴史的痕跡が消し去られてしまう。

基本的な事実を一つ忘れていると言い換えてもいい。

魯迅が叫び声を上げて呼び覚まし啓蒙しようとした国民は、魯迅以降に大がかりに動員

され、とうに傍観者で無くなっているという事実だ。彼らはかつて余華の小説で歴史の

創傷を作り出した暴力に大々的に参与した。

すなわち本論の検討テーマーー現代中国の「イデオロギー暴力」である。


🔴p286  現代中国のイデオロギー暴力

第1  、「歴史理性主義」の価値観を指導思想とする。その基本内容は、歴史発展には

従うべき「規律」があり、「歴史規律」は「あらかじめ予見でき」ない、「阻めない」

(はばむ=邪魔する)と承認するよう求めるものである。個体が自発的にこの「規律」に

順応することが「理性」と見做される。歴史の進歩における個体の犠牲は必然、必須で、

ひいては合理的でさえある。歴史がより高次のレベルで獲得する収益ゆえ、個体の

犠牲は「意義に満ちた」ものになる。歴史理性主義にはある種の全体性思考と「未来哲学」

が含まれている。国家意思や革命事業など虚構の全体同一性を本位に、個体の主観意思が、

全体、普遍思想に服膺するよう求める歴史理性主義の言説では、暴力、傷害、苦難は

系統的に積極的意義を与えられ、災難や創傷の性質は隠蔽される。人民大衆は「歴史の

流れ、前進、歩調に順応しているか阻んでいるか」に基づいて分類され、「歴史の逆流」に

区分けされた人間は、容赦なく排除すべきものとみなされる。歴史の障碍を取り除く闘争に

おいて、罪なく巻き添えにされた者の悲惨な境遇は、歴史の進歩に必要な代価として肯定

される。このロジックから導き出される推論はこうだ。創傷は、事後に合理的に解釈できる

だけでなく、「歴史発展の必然的趨勢」を把握し、歴史の「正確な方向」を「予見」したと

思い込めば、この歴程を代価をいとわず猛烈に推し進めることができるのだ。・・

現代中国のイデオロギー実践活動において、この思想を極限まで高めたのが毛沢東思想

路線である。・・・

人為的な「上部構造の不断革命」は、具体的には「政治運動が1つまた1つと続き、

攻撃対象が瞬く間に変わってゆき、最後は共産党内部の「新たに生まれた資産階級

(右派、右傾、走資派)に到達する」という形で現れた。これは現代中国のイデオロギー

暴力と災難を作り出した重要な思想淵源である。


第2   精神改造と非肉体的破壊を目的とする。(中略)

第3   大衆路線を歩み、多数の熱狂的な参与者を擁する。

中国のイデオロギー暴力がスターリン式の大粛清と一つ異なるのは、「大衆路線を歩み、

大衆の支持を得ている点である。大規模な大衆運動を発動させるのが中国のイデオロギー

暴力の主要な方式で、膨大な数の参与者がいる。参与者は往々にして熱狂的な理想主義的

激情に駆られて運動に身を投じ、自分は政治的、道徳的に正義で合法だと信じている。

直接の結果として、苦難は「幸福」と感じられ、災難は「偉大な」体験となる。

イデオロギーの暴力は、精神改造が目的なので、・・行為上の柔軟さでは満足せず、

「魂」にまで踏み込むことを求める。最も緊密な人倫関係を破壊し、家庭内で思想、

感情上の一線を画させ、すべての人間に魂の奥深いところで高度な思想一致性と

政治的純潔性を保持するよう求める。

このような「道徳理想国」と称すべき政治実践が国民にもたらすのは、酷刑よりも

さらに過酷な強制である。(論者注: 毛沢東は文革中に法家を肯定し、孔子孟子を

批判したが、杜維明(TU・Weim ing)が指摘するように、毛沢東自身極めて

風刺的な意味で、儒家のいわゆる「聖・王」の体現者であり、政治指導者、イデオロギー

立法者、道徳権威の三位一体の役割を演じた。これは中国史上かつてないことである。

政治権力化した儒家は、ある意味法家が作り上げた制度よりも過酷になりうる。というのも、

後者は行動が矩をこえず法を乱さないよう求めるだけだが、前者は内心の道徳に

より多くを求めるからだ。内部の道徳修養がひとたび外部の社会秩序からの政治的要求

になれば、内外から魂の奥底まで監視、コントロールされる警察制度のようなもので、

疑うべくもなく過酷な統治である。毛沢東が建立しようとした「イデオロギー理想国」は

この方向を発展させた政治実験とみなせよう。)

第4  被害者と加害者の境界が曖昧である。

この特徴は文革で突出して現れた。個別的で局部的な暴力活動における被害者、犯罪者を

弁別するのはたやすい。しかし、政治運動全体の挙国的熱狂について言えば、権力闘争

と相互批判が目まぐるしく起こる中で誰が被害者で誰が加害者だったかはっきり分ける

のは難しい。一時的な加害者もすぐさま傷を負い、被害者はたちまち他人に害をなすものと

なった。この一場の暴力を作り出したのはそもそも誰なのか?

指導者個人なのかそれともある思想なのか?単独の命令かそれとも広範な民意の支持、

推進力さえ得た集団意識なのか?イデオロギー災難が終わっても、こういった疑問と

困惑に対する直接的な回答は得られていない。


p290  記憶の中の忘却

第1   象徴的「断罪儀式」と懺悔(ざんげ=キリスト教用語で、罪悪の告白、悔い改め)

の不均衡

イデオロギー災難の一つの重要な特徴は、参与者が極めて多く、加害者が無名な

ことである。そのため断罪が難しくなり、結果として象徴的、代替的な断罪儀式が

行われた。過ぎ去ったばかりの歴史的災難を、叙述し直し、一歩進めて記憶を

公共記憶へと整理したのである。・・・創傷を叙述する文学には、虚構の「少数の

極端に下劣な形象」が書き込まれた。問題の発端となった者の形象は誇張され、

誤魔化されたが、これには群体の罪悪感や心理的負担を消し去る効果があった。

悪辣で下劣で出鱈目の誇張された悪者に向き合うと、誰でも自分はこうではない、

全く違うと感じられるので、安全な気になり、自分が暴力に参与したことも

容易に忘れることができた。

被害者は改造の対象であり心ならずも裏切りを働いたり、批判に参与したり、

(他人に害を与えることあまりなかったが)事後の省察に際して抱いた罪悪感や

悔恨の情は加害者より大きかった。自発的に運動に参与した中堅分子は

むしろ往々にしてより言行一致、前後一貫している。またこの一群は罪に

問われようがないので、ますます「純粋で過ちがない」。これもイデオロギー

暴力がもたらす意味深長な現象である。

第2  創傷を作り出したイデオロギーが、依然として創傷の記憶と叙述を支配

していた。イデオロギーの継続が文革の災難が終息した後の基本的コンテクスト

だった。その主な特徴は、国家本意で創傷を記憶していること、今昔を対比する

表現と感謝報恩の態度、未来哲学と勝者のロジック、それから苦難に意義を

与え苦難に感謝する言説などである。

国家を本意として創傷を表現するのは、歴史を整理し回顧する際に当時よく

見られた視角だった。・・・国家と政党はもともとイデオロギー暴力の道具

である。「国家の創傷」を首位に置き、国家と革命事業を、最大の被害者と

見なすことで、イデオロギー暴力とそれが個体の心身を踏みにじった実質を

ある程度包み隠した。

苦難に意義を与え、苦難に感謝の情を示す表現形式は2種類あった。まず今昔の

対比を通して、現在「幸福」を謳歌していることを過去の苦難で裏付けるもの。

これは「憶苦思甜(昔の苦しみを思い、今の幸せを噛みしめる)」と階級抗議

パターンの延長である。創傷の記憶を道具にし、過去の苦難を現在への感謝と

未来への確信に転化させ、人をして現在の政治力と指導者に感謝したい、借りがある

という気持ちにさせる。

もう一つは苦難への感謝で、苦難それ自体を論証する積極的意義があった。この

現象はより意味深長である。文革研究者は、中国の「文革物語」には苦難に感謝する

気持ちが溢れ出ており、その「積極的意義」を論証する傾向は世界文学に於いても

極めて特殊だと指摘している。長期にわたる政治的コンテクストによって、人々は

意味が定まった苦難だけを受け入れるのに慣れていた。「創傷を力にする」という

当局の言説は記憶を縛り付けていた。「麗しい未来」に目を向けるよう強調するのは、

そのまま現在への忠誠を意味していた。

大量の参与者が「行為に介入し、思想を一致させ、感情を投入する」ことを特徴とする

暴力運動と、回想者が過去のイデオロギーや思惟方式と渾然一体となって自己保全を

求めるという省察のコンテクストは、往々にして「記憶」の方式で「忘却」を実現する

結果をもたらした。

「洗脳」式の思想改造と「魂に触れる」文化革命を経験し、災難が終息したとき、

知識人は有力な批判の道具を探しあてられなかった。小説「1986」の狂人の行為は、

知識人の気まずさをはっきり示している。彼には表現に利用できる言語がなく、遥かに

遠く馴染みのない言語(古代の拷問道具)を借用して自身に施すしかない。あるいはこの時、

事件の原因を作った者は健忘症の人の群れの中にのうのうと逃れているのかも知れない。

歴史の省察者は自虐という方式で創傷の記憶を表現する。加害者と創傷の原因は

依然一片の空白だ。


p293   忘却の中の記憶

イデオロギー暴力の特徴を認識すると、小説「1986」に見られる傍観者の冷淡さと

忘却を別の視点から見直し、社会記憶の第2段階の特徴を説明することが出来るかも

知れない。魯迅にとって冷淡な傍観者は啓蒙すべき愚昧な国民だった。しかし皆が

熱狂する暴力運動を経験した後に傍観者の距離を保っているのは、ある種の覚醒と

啓蒙の象徴とみなせなくもない。この冷淡さを陰で支えるのは、まさしく集団無意識

と化した創傷の記憶である。この「忘却の中の記憶」という方式は、往時の革命

イデオロギーに対する拒絶と挑戦になっている。

80年代以降、中国大陸は経済改革に始まって対外開放し、西洋思想を改めて導入して

自国の伝統に「文化的ルーツを探った」。社会全体が経済復興、文化再建の段階に

入り、社会生活における政治的色彩は次第に薄れた。階級言説、闘争言説はもはや

支配的地位ではなくなった。転覆型の急進的革命言説は弱まった。この重心の推移

は文化の質の更新と思想の多元化をもたらした。

これら全ては創傷の記憶という一大背景と切り離せない。ひなたから陰へ舞台から楽屋へ

移動しつつ、創傷の記憶は政治的集団無意識となって中国社会の転形を押し進めていった。

この「忘却過程」の積極的意義を低く見積もることはできない。

創傷の記憶は急進的な政治情熱と闘争の熱狂を拒絶し、その拒絶と否定を、制度化し

物質化した社会形態へと変化させ、次世代に伝え、イデオロギー災難からかけ離れた

社会構造の中で生かそうとしている。その意味でこの意識的忘却は、やはり社会記憶の

奥深い表現なのだ。

80年代に中国が対外開放した際に起こった実存主義ブーム、精神分析ブームその他の

非理性的表現主義思潮の発生は、いずれも文革の創傷記憶と密接に関係している。

各種の西洋の非理性主義哲学が中国の言説系統に入り込み、文革の創傷記憶を表現する

思想資源となった。ちょうど西洋におけるこれらの思潮と第二次世界大戦の記憶の関係

によく似ている。反面これらの外来思潮の影響で、人々の苦難と創傷に対する態度は

変わった。感性的個体の創傷をよりどころとし、苦難はもはや「歴史の進歩」ゆえに

「意義に満ち溢れる」ことは無くなった。創傷は「世界の荒誕」に端を発するか、

はたまた奥深い人生悲劇を暴いているかである。これらの言説の中で、歴史理性主義

イデオロギー体系と創傷を隠蔽する安っぽい楽観主義は、一定程度瓦解した。



p394   遠ざかる他者

近年歴史記憶を検討する中国大陸の学術著作において、しばしば忘却への憂慮が

示されている。例えば「創傷記憶」」(1999年)という本は、記憶は無いと豪語

する「第4世代」に対し序文で冒頭から警告を発している。50の文革小説を読解

した論著は「忘却のための集団記憶」と題されており、作者は歴史記憶の

ジェネレーションギャップこそがまさしくこの本を書いた動機だと述べている。

(筆者注:この本の後記に執筆の契機となった興味深い話が記されている。

文革を経験した者が心を脅かされる「牛、鬼、蛇、神」の4文字を、言葉を

学び始めたばかりの娘がか細く子供っぽい声で口にした。この4文字が

若い世代に喚起するのは「美女と野獣」といった類のアニメへの連想なのかも

知れない。天真爛漫な若い世代には、それが上の世代にとって重さ、恐れ、

辛酸だとはどうしても理解できない。両世代の経験の隔絶を意識したことが、

この本を執筆する動機となったという)

焦慮が生まれる直接原因は、「創傷記憶の負担のない」世代がすでに成人

していることだ。・・・2つの世代間に対話の背景がなくなり、ディスコミュニケーション

が深まっていることが焦慮を引き起こしている。また焦慮には現在の省察の

水準に対する不満も含まれている。イデオロギー暴力の省察は困難極まりない

任務であり、一時に解決することはありえない。人々は「政治的タブー」

「当局の言説操作」といった言い方で中国の忘却現象を説明しがちだが、

この視点は真実の一部に触れているだけで、全面的でない。・・・

時の移り変わり社会の転形に連れて、往時のイデオロギー災難の記憶は次第に

遠のき、ますます光陰の中にある馴染みのない異邦のように、あるいは遥かに遠い

「他者」のようになってきている。しかし、これはイデオロギー災難の記憶が

徹底的に冷遇され、視野から安全にフェイドアウトすると意味しているのでは

ない。時間的な距離が生まれたことで、「他者」としての記憶を鑑賞し、

消費するのはますます自由になった。・・・血生臭さが消されて消費可能な

文化記号になったり、「欲望化」を進めた再叙述で現代の有閑観衆を惹きつけ

たり、次々と現れる理論方法の研究と実験となって思索者知能ゲームを提供

したりしている。(最終的には)創傷の記憶の厳粛性と真実性、苦難が積み重なった

往時の歳月がいずれも、真実のような、信じられるような疑わしいような、

目まぐるしく変幻する霞と化すのだろう。

記憶の距離は私達に自分の責任をより深く意識させると共に、客観的な研究と

思考の可能性をも示してくれる。ある意味では自身の文化記憶との距離が

広がれば広がるほど、他民族の記憶と理解上の距離を縮められる可能性が

出て来る。民族を越え文化を越えるマクロな比較研究を、より一層押し進める

契機となろう。


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🦊:  文革と言えば、身体を鎖で縛られ、野次馬たちの前に引きすえられる

先生たちや知識人の映像が浮かぶ。この論者の言うとおり、取り巻く人々は、

おのれも加害者であることを忘れて、冷淡にこの暴力を眺めている。

しかし時が移るにつれ、昔の記憶は薄れ、霧の如く消えてしまうかと言えば、

そんなことはない。「自身の文化記憶との距離が広がれば広がるほど、他民族の

記憶と理解上の距離が縮められる可能性が出てくる。民族を超え、文化を超える

マクロな比較研究を、より一層押し進める契機となろう」と、筆者も述べている

通り、文革を知らぬ若者は、西欧からの文化を取り込み、他民族の歴史を知り、

今時の若者文化の中に生きている。いずれ、イデオロギー暴力の実態を正確に

定義することが出来るだろうと、キツネも思う。



3月2日