シン・中国人



🦊  まずは最初に、当ブログの「現代中国のイデオロギー暴力」

ーー文化大革命の記憶ーーを参照。

この論文の中で筆者涂険峰はこう述べている。

「中国のイデオロギー暴力」

1.  歴史理性主義ーー歴史には従うべき「規律」があり、

「歴史規律」はあらかじめ予見出来ず、阻めないと承認する

よう求めるものである。個体が自発的にこの規律に順応することが

「理性」とみなされる。・・・

「歴史の逆流に区分けされた」人間は

容赦なく排除すべきものと見なされる。罪なく巻き添えにされた

者の悲惨な運命は、容赦なく歴史の進歩に必要な代価として

肯定される。この思想を極限まで高めた(文化大革命において)のが、

毛沢東思想路線である。人為的な「上部構造の不断革命」は、

最後は共産党内部の新たに生まれた資産階級(右派、右傾、

走資派)に到達する。

2. 精神構造と肉体的破壊を目的とする。

3. 中国のイデオロギー暴力がスターリン式の大粛清と一つ

異なるのは、大規模な大衆運動を発動させるのがその特徴で、

膨大な数の参与者がいる。彼らは往々にして熱狂的な

理想主義に身を投じ、自分は政治的、道徳的に正義で合法だと

信じている。結果として、苦難は「幸福」と感じられ、災難は

「偉大な」体験となる。

イデオロギー暴力は、精神改造が目的なので、行為上の柔軟さ

だけではなく、「魂」にまで踏み込むことを求める。

(論者注:  毛沢東は文革中に孔子孟子を批判したが、毛自身は儒家の

いわゆる「聖」「王」の体現者であり、政治指導者、イデオロギー

立法者、道徳権威の三位一体の役を演じた。・・・

政治権力化した儒家は、ある意味法家が作り上げた制度よりも過酷に

なりうる。というのも、後者は行動が則を超えず法を犯さないよう

求めるだけだが、前者は内心の道徳により多くを求めるからだ。

内部の道徳修養が外部の社会秩序からの政治的要求になれば、

内外から霊の奥底まで監視、コントロールされる警察制度の

ようなもので、疑うべくもなく過酷な政治である)

毛沢東が建立しようとした「イデオロギー理想国」はこの方向を

発展させた政治実験と見なせよう。

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🦊  次に紹介するのは、現在の中国の若者が、「画一化された競争人生」

を強いられ、疲労感と焦燥感に悩まされるようになり、今やっとノー

と言い始めたという、その実像を、自身の長い中国生活の経験から報告

する本だ。


シン・中国人ーー激変する社会と悩める若者たちーー

斉藤淳子 著      筑摩新書  2023年  刊


p231  雰囲気の変化も猛急

本書に書いたとおり、90年代の北京の街中から上がっていた開発工事の

塵と「明日はもっと良くなる」という高揚感は2008年北京オリンピック

の数年後まで持続し、上昇気流はあちこちに満ちていた。しかし、この

空気は今日の北京にはもう無い。その頃を知る日中の人が「あの頃が

一番良かった」「まさか、今日のようになるとは思わなかった」と

口々に言うほど、空気感の違いは顕著だ。


p234   終わらない競争に、隠せない疲労感

また、2020年の流行語として注目を浴びた「内巻」(ネイチュエン)

という言葉がある。これは、競争圧力下に於いて、前のめりで内側に

ぐるぐるに巻き込まれるように努力する行為を意味する。この努力は

前向きの健全な努力というより、エンドレスで続く競争の中で周りに

遅れをとって淘汰されたら大変だと焦りながらの日夜の努力だ。

さらに、その努力にも関わらず、ゴールも見えず、自分自身の進歩も

仕事の意義も見出せずに虚無感や疲労感、時には絶望感を感じ、

疲れながらも依然、努力し続けることを意味している点が新しい。

一方で中国はこれまでずっと数十年間、人々はがむしゃらにハングリー

精神で競争を勝ち抜きながら、猛烈な努力をしてきたが、未曾有のスピード

の中国の経済発展はそんな有能で努力家の個々人のエネルギーによって

実現された奇跡だったと言えるかもしれない。・・・

さらに、若者の窒息感を強めているのは、価値の多様性の欠乏のように

見える。学歴競争の場合も、幼稚園の頃からネイテイブの英語、算数や漢字を

学び、小学校で中学レベルの勉強をし、中学で高校レベルを、高校で大学

レベルの勉強をする。他の人に「勝つ」ために先取り学習と得点力を伸ばす

ための膨大なテスト演習を繰り返し、奇跡的に何かの名門大学に入ったところ

で、その後も更に競争は続く。次は高いGPA(成績平均点)とトップレベルの

TOFEL やGMAT スコアを獲得し、「特色ある経歴」を積み

米国のアイビーリーグ大学院や英国の名門校で学ぶ。中国に戻ったら、

一流企業や組織に就職し、1億円前後もする新居を買い、更に、自分に合う

と親が太鼓判を押す相手と結婚し、子供が生まれれば一流の次世代となるよう

育てなくてはならない。・・・

(中国の場合、高い学歴や良い就職以外の成功パターンが社会的に共有されて

いないのが他の国との違いで)14億人がこの成功を目指して突進し、その勝者

以外を乱暴に切り捨てる。その「切り捨て」感を切実に表しているのが、ネット

流行語の「985廃物」だ。(985とは、北京、清華、復旦、南京大学をはじめと

する中国のトップ39校の名門大学グループを指す。98年5月に江沢民によって

創設された)「985のクズ」とはまさに、人々が羨む名門大学に見事に進学した

ものの、その後もつづく過酷な一本道の競争で、もはやトップでない自分は

「985のクズ」と自嘲した若者の言葉だ。・・・

日本ではかつては「早稲田は中退してこそ一流」という言い方もあった。

中退して独自の道を切り開くことは、優秀な成績で大学を卒業するのに

劣らない勇気ある実績と日本では評価されるからだろう。


p018 「中国スピード」が社会を激変させる。

1976年の毛沢東の死去以来、中国は長く続いた鎖国状態に終止符を打ち、

1978年に改革開放に舵を切った。農村の市場経済化と深圳、厦門、汕頭の

経済特区の設置による対外開放の「改革開放」政策へと大転換を行い、

1984年には沿海14都市の対外開放を断行し、高度経済成長の時代に

突入した。これを機に中国では全てがひっくり返った。たとえば、地主

出身というだけで多くの人が命を落としたように、「資本家的」といえば

プロレタリア独裁下の「正しくない」階級を意味する形容詞だった。それが、

改革開放後は鄧小平が言ったように、「余裕のある人が先に豊かになろう」

「発展こそ真の道理」と、社会全体が物質的な豊かさや資本主義的な成功を

目指して走りだした。・・・

価値観が180度変化する中で、旧来の恋愛観も音を立てて崩れた。文革中は

自由恋愛自体が「資本家階級の堕落した行為」とされ、男女が組織の許可なく

恋愛をしていたことが外に知られたら、政治生命のみならず、命そのものさえ

危うくなる特殊な時代が1970年代まで続いたのだ。改革開放を境に、香港

や日本の映画、歌謡曲が輸入され巷で聴かれるようになると、恋愛への人びとの

見方は大きく変化し始める。

政府の一人っ子政策は37年間続いたが、2016年に廃止され、2人まで、更に

2021年には3人まで出産が可能になった。中国ではそんな目が回るような

変化が過去数十年間、日常となってきた。急速に数世代分の時間が流れた中国の

親子間には、他国の数世代分の時間が圧縮されている。この「中国スピード」を

考えれば、中国の親子間のジェネレーションギャップも当然と言えるだろう。


p021   祖父母世代の勤勉すぎる節約習慣と金銭感覚

中国の親子では、金銭感覚、娯楽、美意識、結婚、恋愛観に至るまで、あらゆる

領域の感覚に巨大なギャップがある。金銭感覚で最も大きな開きが見られるのは、

今の80歳前後の親と50代前後の子供世代の間だろう。(日本で言うなら、明治

生まれの高祖父母と今の若者くらいの)中国の80歳前後の高齢者といえば、

日中戦争、大躍進後の飢え、文化大革命、改革開放の激動の時代を生き、

筆舌に尽くしがたい苦労と経験を重ねてきた。彼らはひたむきで決して労を

惜しまず猛烈に勤勉だ。ただ、貧しく苦しい時代に培った極度の倹約癖を、

豊かになった今でも頑なに、そしていささか強引に実践し続け、子供との間に

軋轢を生むことがある。

よく聞くのが彼らの間では「常識」の、極限までチャレンジする節水習慣だ。

北京は確かに砂漠に近く乾燥しており、水資源に乏しい国なので、節水の

重要性は日本の比ではない。北京の水質も日本のようには良くない。

東京では10年着てもずっと白いシャツが、北京の水で洗っていると、半年で

くすんだ灰色に変色する。同時に、ヤカンにも真っ白な石灰分がガリガリに

こびりつく。中国の南の方が水は豊かだが、北京のある北方地域ではとても

日本のように毎日、体ごと水に浸かってお風呂を楽しむという発想はない。

一杯の洗面器に取ったお湯で絞りタオルをつくり顔や上半身を拭き、その

水にお湯を足してそれで足湯をして足を温めスッキリする、というのが

年配の人のお風呂がわりの寝る前の習慣だ。

そこで、おばあちゃんたちの節水の知恵が登場する。たらい一杯の水でまず

お米をあらい、次にその水で野菜を、さらにお茶碗を洗い

タイル床のモップ掃除をし、最後にそれでトイレの水を流すという徹底ぶりだ。

ネットの相談室には「いくら言っても母が洗濯機を使ってくれません。

5人家族のシーツから厚手の服まで手洗いするので、母の疲労が心配です」

という悲鳴にも似た相談が寄せられている。手洗い派のお母さんの言い分は

こうだ。「洗濯機ではきれいにならないし、水道代や電気代も無駄になる」

と。水のメーターは一滴ずつの微量の水には反応しないため、この世代は

「タダで」水を使う目的で、たらいに一滴ずつ水をためて使う人も多い。

彼らが目指していたのは厳密には節「水」ならず節「銭」だったことが

明かされる。

こうした彼らがよく言う言葉が「要らぬは無駄」と言う言い方だ。つまり、

何かタダの配布があるのに、敢えてそれをもらわない事を一種の「無駄」

と考える思考様式だ。だから、新型コロナウイルスワクチンの接種者を

増やそうと、「接種者にはゴミ袋贈呈」とすると、この世代の人はすぐに

反応する。そこまではともかく、問題はより多くの無料ゴミ袋獲得を

目指して家族全員にも接種を強要する点だ。団地や業者が企画する「遠足」

も、行き先に興味が無くても、道中で配布される無料のおやつや景品

のために参加する。家族も一緒に参加して頭数を稼ぐよう求めることもある。

スーパーの安売りなどで数円安くなった粉物を買うために並んでいるのは

ほぼこの世代だ。1人の買える個数が限られている場合は、またしても家族を

動員して購入量を最大化し、「無駄」を出さないよう努める。それらの日頃の

たゆみない努力の結果、家には出番がない安物の景品が山積みだ。しかし、

貰ってきたものが必要かどうかは、彼らにとって問題ではない。無料のものを

「もらわない」のは罪の意識に苛まれるからだ。こんな風に猛烈に勤勉な節約癖

の親たちをちょっと前まではよく見かけたものだった。


p027   文革世代の親子の人生観、結婚観

1950年代から60年代前半に生まれた世代は文化大革命中に幼い時期を過ごしたか、

紅衛兵運動に参加し、大学が閉鎖され、農村に下放された世代だ。この下放により

1968 年からおよそ10年間にわたり、1600万人を超える青年が半強制的に辺境農村

での生活を強いられた。

また、1966年から68年の3年間に中学、高校にいた世代は、大学入試が再開

された73年ごろには入学試験年齢を過ぎていたが、特別に入試を許可され、一回り

若い世代に混じって大学生となった。彼らを「老三届」(ラオサンジエ)と呼び、

年かさの文革世代の代名詞にもなっている。彼らは文革の混乱で学校教育は停止し

正規の公教育を受けずに育った。誰でも自分の過去は肯定したいものだが、彼らも

多感な青春時代を過ごした文革全体を「青春に悔いなし」と肯定的に回顧する人が多い。

革命思想の純粋培養を受け、毛沢東だけをヒーローと固く信じて生きてきた彼らの中

には、改革開放後に入ってきた外国文化に当惑した人も多い。

この世代の人々は就学年齢になったら文革により教育機会を奪われ、無学のまま農村に

下放され、文革収拾後に中国が経済改革に乗り出した後はやっとの思いで都市部に戻り,

職を得たのも束の間、90年代の国営企業改革では学歴の低さや年齢的な要因から真っ先に

首を切られた。彼らが激動の中国に翻弄され、苦労の連続を歩んできた「不運の世代」と

言われる所為である。今のトップ(習近平=1953年生)も下放の経験があり  、この世代に

入る。現在の北朝鮮のような密室状態の中で青春を過ごした独特の メンタリテイを持った

世代と言えるだろう。建国前の半植民地状態からの独立を目指して、自国の近代化を模索し     

苦悩した彼らの上の世代とも、改革開放後に 貪欲に欧米、日本の文化を吸収しながら

果敢に新しい社会に   飛び出した下の世代とも違う。この世代の違いは、政治経済文化の

あらゆる面でさまざまな影響を生んでおり、 中国の現代を理解する上で非常に重要だ。


p033    一人っ子世代の結婚の懸案事項ーー戸籍、住宅        

改革開放世代とその親のあいだの金銭感覚の差については既に触れたとおりだ。一方、

文革世代の親子の間の金銭感覚はそれ程深刻ではないものの、家族や結婚、恋愛観に

関しては絶望的な違いがある。さらに、タイミングの悪いことに、この文革世代の

子供は80年以降に実施された一人っ子政策の影響を受けた最初の世代である。

そのため、都市住民の場合、彼らの子供は1人に制限された。親は文革世代を生きて

きて、並々ならぬ苦労をしてきた。ようやく、結婚して生まれてきた一人だけの大事な

子供には、自分のような苦労はさせたくない。少しでも良い生活が送れるように、新しく

なった時代、社会で大いに成功してもらいたいとねがう気持ちが、この世代はことのほか

大きい。たとえば、筆者の知人の60歳になる父親は、30代の一人息子を子供の頃から

手塩にかけて養育してきた。労を惜しまずに、子供のために奔走した努力が実を結び、

息子さんは北京の名門大学を卒業後、ニューヨークの大学に進学。誰から見ても最高レベル

の学業を成就させた。しかし、数年前に米国から帰国し北京で仕事をする息子に父親は

しごく不満で、親子関係も一時は緊張していたという。

その原因は息子さんの恋愛と結婚だ。息子には米国留学時代に付き合っていた女性が

いたが、
両親は彼女の学歴が彼に釣り合わないことを理由に、執拗に交際に反対。結局、

彼もその
圧力に屈して別れてしまった。息子のAさんは「将来は結婚して子供も欲しいと

思っている。年だから、今更もうドキドキできる恋をしようとは思わないが、性格や

価値観だけは合うひとがいい。でも、そういう人にはなかなか出会えない」と語る。

一方、父親は一刻も早く息子がふさわしい相手と結婚してくれることを望んでいる。

なかなか結婚しない息子に業を煮やして、政府幹部の娘を紹介したのに息子は首を縦に

振らなかったという。「こんな良い縁談は無いのに、あいつは何も世の中のことが

分かっていない。相手は北京戸籍で、北京に立派な家を持っている幹部の娘なんだよ」

と遣る方ない。ここで、彼の息子が一人息子でなく、他に兄弟がいたならば、「下の子

は自分の希望に合わせてくれるかもしれない」と思って慰められる。実際はそうなく

ても、2人の子供が成長する頃には親の方も子供は自分と違う人格を持った人間と悟り、

諦めがつくかもしれない。ところが、一人っ子だとそうはいかない。「後にも先にも

この子だけ」という思いが先行し、「絶対に失敗は許されない」と一発勝負に賭けて

pしまうのが親の性(さが)ではないだろうか。

親の気持ちはよくわかるが、一方的に期待と圧力をかけられる子供から見れば、迷惑

この上ない話である。


p035    北京戸籍の重みーー大学受験のために田舎に帰るか、外国に行くか

この父親の「せっかくの戸籍と家のある幹部の娘を振るなんて」という嘆きは、

正直、外国人には少々生々しく聞こえるが、北京の多くの人はそれ程驚かないだろう。

この世代の親の間では、ある意味標準的な言い方だからだ。北京や上海などの大都市

の戸籍は、地方出身者にとって大都市での正規住民としての権利を意味する。国際的に

例えるなら、先進国の永住権に近い存在だ。

「北京に戸籍を持っているだけで、大学受験の半分は成功したも同然」という言い方が

ある。これは一体どういうことなのか。

中國の戸籍と教育システムは以下のような縛りがある。北京市にはどんなに長く住んで

いようとも、少なくとも両親のどちらか一方が北京戸籍を持っていない場合は、外省出身

外省戸籍)の子供とみなされ、北京での高校進学も、北京市枠での統一大学入試の受験も

できない。大学受験のテストは各直轄市、省単位で実施され、出題傾向と合格基準が異なる。

(同じ大学を受験するにも、どの地域から受験するかによってテスト内容も合格点も変わる)

そのため、北京で生まれ育っても、北京戸籍が無い場合は小・中学からか遅くても高校

までには戸籍のある本拠地に戻って、ご当地用の受験準備に励むのが一般的である。

(深圳の工場で出稼ぎで働くある女性は、田舎から呼び寄せて一緒に暮らしている息子が

深圳の高校、大学に進んでほしいと思い、そのためにぜひ深圳戸籍を取りたいと

悲壮な決心をしているが、戸籍申請には45歳以下という年齢制限の他にも、政府の決めた

学歴、資格、納税状況などに係る評価ポイントを100点稼がなくては ならない。このように、

子供の教育と戸籍は固く結び付けられている)

戸籍の縛りのある世界にすっかり馴染んでいる中国の人は逆に、「日本には東京戸籍など

無いの?地方の人が東京に住んで、東京の福利厚生を受けるのは自由なの?」と聞く。

そうだとこたえると、「中国でそんなことをしたら、皆が都市に押し寄せて大都市がパンク

してしまう。だから戸籍で制限するのも仕方ない」という。これが中国人の一致した見方だ。



p096  Eさん30代、(親子)6人で子育て中のキャリアウーマン「親とは離れられない」

Eさんは北京生まれで北京の名門大学を卒業後、大手広告代理店とネット広告代理店に

勤務。大手飲料のネット広告を担当していた3年前は、自分の結婚式の日取りも忘れる

ほど多忙な24時間態勢のキャリアをこなしてきた。あまりの仕事のプレッシャーに

疲れ果てて結婚し、仕事をやめて家にいた時にちょうど良く子供ができた。今は2歳の

可愛い盛りという。遊び仲間として知り合った旦那さんとEさんは共に北京育ちの

一人っ子だ。両親とのジェネレーションギャップについて聞くと、「母は60年生まれ

だから文革世代。私はどちらかというと自由だけど、母はやたらと人の目を気にする。

初夏にいち早くサンダルを履いたり、ノースリーブを着たりするのをすごく嫌がるの。

他の人がどう見るかが気になるらしい。結婚に関しても同じ理屈で、他の人の家の子は

しているのに、なぜうちはしないのか?ということを気にする。子供の将来を気にする

という側面もあるけど、多分それ以上に人の目を気にして結婚を催促する親が周囲にも

多いと思う」という。中国の人は、他人の目は一向に気にしないような印象が強いが、

案外そうでもないらしい。

中国は面子の国。面子という側面から、日本とはまた違った意味で、他人がどう見るかを

気にする人は少なくないかも知れない。

Eさんの親は中国の都市部のこの世代には珍しい放任主義。他人の目は気にするものの、

勉強面も恋愛も親は口出ししないで任せてくれたという。

しかし、夫の家族はその反対で、子どものために親ができる限りのことを尽くすべきだと

考える。孫の子育てにもそれが影響しているのよ、とEさんは困惑を隠せない。「ご飯

だって、もう2歳になるのだから、適当に大人のものと一緒に作って食べさせればいいのに、

(夫の)おじいちゃんとおばあちゃんは絶対にその日に買ってきたばかりの新鮮な食材を

使って毎日特別に子供用のご飯を作らないと気が済まないの。だから私も巻き込まれて

大変」という。このひとりの子育てのために4人の祖父母が一週間交代で彼女の家に

つめているのだ。『じゃあ、Eさんは楽できるね?」というと、彼女はクビを横にふり、

「そんなことない、彼らは自分の社交もあって、出かける時もあるし、食事も洗濯も

何でも子供にとって完璧を求めて要求が高いから気が抜けないのよ。子どもの衣服は

大人のと 別洗いしているしね。うちは6人の大人が1人の子供を囲んで走り回っているのよ」

この世代に典型的な、結婚後も親と一体化して、1人の孫のために6人が駆け回る若夫婦

生活だ。

(15年前、筆者が北京で子育てをしていたころと決定的に違うのは)15  年前の若夫婦の生活

の主流は、主に兄弟のいる70年代生まれの所謂「70後(チーリンホウ)世代だったのに対し、

近年の若夫婦は一人っ子第一世代である点だろう。とにかく親も子離れができにくいことに

加え、80年代生まれの「80語(パーリンホウ)」の今の親は、70後の親と比べて経済力と

発言力がある。親子が一体化した結婚生活がいまや「普通」の家の風景になりつつある。

Eさんに結婚の際のマンション購入事情を聞いたところ、今住んでいる北京市内の南の新開発

エリアの家は夫の両親が彼らの結婚の5・6年前に3割の頭金を支払って購入しておいて

くれたものらしい。残りのローンは2人で支払い、名義も2人のものだ。

このように、最近では、男の家族が頭金(マション全額の3割から5割)を支払い、

残りを2人で支払い続けるというやり方が次第に増えてきているようだ。

「家も子育ても親あっての我々よ。親と離れられない」とEさんは言う。


p135     ファミリービジネス化する結婚ーー結納金は年収の10倍以上

全国と北京の若者について書いてきたが、ここで視点を全人口の36%

にあたる5億人以上が住む中国の広大な農村に移してみよう。

2019年の春節に、中国北西部の甘粛省に里帰りした後に、出稼ぎ先

の北京に帰ってきた王さんは、中高生2人の息子の将来の結婚について

早くも頭を抱えていた。「毎年の値上りしている結納金は、今年帰ったら

18万元(約360万円)になっていた。せめて10万元(約200万円)ぐらいなら

どうにかなるけど、2人分もどうしたらいいの・・」という。

18万元と聞いて筆者も耳を疑い、聞き返してしまった。王さんは長年、

北京に出稼ぎに来ており、多くの家と会社の掃除を掛け持ちして

いるので、月収は7000元(14万円)ある。北京では、30代でもI Tや金融

関係者など月収3万元(60万円)以上を稼いでいる人も珍しくない一方で、

大多数に目を移せば収入レベルはまだ低い。その中で王さんの収入は特別に

低いわけではないが、それでも18万元は、飲まず食わずで年収の丸々

半分に相当する。中国では、結婚の際には嫁の家に結納金を贈る習慣

は2000年以上の歴史がある。広大で多種多様な文化や風習のある中国では、

結納金の形式や額も千差万別だ。
         


例えば後述する中国中央テレビの調査報告によると、山東省のある村の

結納金は「3斤3両」(1.65キロの100元札=約10万元)、「一動一不動(イードンイープドン」

(動くクルマと動かない家)、「万紫千紅一点緑(ワンズーチェンホンイーデイエンリエ)」(紫色

の5元札1万枚、赤い100元札千枚、緑の50元札少し=6万元強≒120万円)と歌のように

語呂合わせになっているのが基本という。併せて16万元(320万円)もの大金にのぼる。

現金の他にも家と車が必要で、さらに伝統的な金銀の装飾品や服を贈る地域もある。

ここで、農村発展と格差について少し見てみよう。「経済成長している間は、社会に

不公平感や格差があってもある程度は我慢できます。ただしそれは成長が持続することが

前提であり、成長が止まったときにパイの奪い合いが始まります」と厳善平・同志社大学

教授が指摘しているように、これまでは自分の足元では右肩上がりだったため、都市部との

比較では悪化する格差の矛盾が許容されてきた感が強い。問題はそれが止まったときだろう。

結納金に話を戻すと、中国全土で内容や額は様々だが、一つ共通する点は、男尊女卑の

封建的風習が色濃く残り、辺鄙で貧困な地域ほど結納金が高騰している点だ。反対に(地図参照)

重慶市のように経済が発展した地域は、後進地域(例えば20万元の新疆ウイグル自治区)よりも

ずっと安い。また、個人の経済状況を比較すると、富農の方が、一般的農民の家に嫁ぐより

結納金が少ないのだ。90年代から中国の農村開発に関わっている農村開発専門家は「貧困地域

には女性が嫁に来たがらないので、その分、結納金を高くするしかない」と説明する。

貧困農家の結婚に際して、結納金がこのように高騰している今、彼らの取りうる選択は、

無担保で借りられる民間の高利貸しから大部分を借金として借り入れるか、、結婚を諦めて

「光棍児」(男やもめ)として独身を通すしかない。依然、非常に古い観念が生きている

伝統的な農村社会においては「失格」家族や「失格」息子の烙印を押されて生きることを

意味する。


p142    中國の貧困農村の昨今

中國の驚異的な経済発展の影響は確かに農村にも波及している。今では、インフラ整備が

急速に進み、県の中心地の生活条件は飛躍的に改善された。どんどん空港や高速道路が開通

していったが、それにより、それまで早朝に出発しても丸一日かかった少数民族県中心市まで

の移動が、たった3時間で済むようになった。交通の便が良くなると経済作物の販路が広がり、

出稼ぎも便利になり、農民の現金収入は目に見えて増えた。上手に観光資源を売り出した県で

は、観光業なども飛躍的に伸びた。ただ、問題はそこから丸一日かからないと到着しないよう

本当に辺鄙な農村だ。(それまでの貧困農村への投資の数倍はかかるので、政府の支援も

及ばない)
こうした村の空洞化は激しい。20年前でさえ、農村に行っても会えるのはすでに

じいちゃんばあちゃんと子供たちばかりだった。

冒頭で触れた王さんのように、子供は両親に預けて都市部へ出稼ぎに来ている労働者は

2億9251万人にも上る。王さんも今でこそ、地元で高校を中退した次男が北京に出稼にに来

たので、初めて親子で一緒に暮らせる様になったものの、それまでは祖母に預けっきりで、

年に数回会うだけの家族生活を、送ってきた。しかし、貧困農村に居残っても現金収入が得

られる可能性は非常に少ない。

一方、都市部の労働力は彼らに大きく依存している。廉価で瞬時に運んでくれる宅配やフード

デリバリー、
常に駐輪場所を人の手で移動させる必要のあるシェアバイク管理員の他、コロナ

ウイルス対策で北京の
町中の道、マンション、商店、モール、学校の入り口に24時間体制で

配置された警備員やPCR検査人員など大量のブルーカラーの仕事はすべてこうした農村からの

出稼ぎ労働者によって支えられている。彼ら無しではデジタル化された便利な都市生活は動か

ない。


p146    なにが結納金を高騰させたのかーー男女人口のアンバランス

中国の農村部では一家の血を継がせるために男子を産まなくてはならないという

封建的な家族観がまだ残っている。ただ、こうした男尊女卑の考え方は、数千年に

わたって存在してきた要因なので、初めて起きた結納金の高騰を説明できない。

その要因はやはり中國の一人っ子政策にある。中国は人為的に人口を抑制する目的で

一組の夫婦に原則1人の子供しか認めない、「一人っ子政策」を1979年に実施したが、

これは当然のことながら農村部では強い抵抗を受けた。農村部では当時も「跡継ぎは

絶対に必要」という伝統的観念が強かったからだ。その後、第一子が女子や病気持ちの

場合などに、2人目の出産が許されるようになると、男子2人の子供が理想型となり、

男兄弟2人の家族が増えた。

もう一つは医療技術の進歩により、90年代後半には超音波診断技術が農村部でも普及し、

確実に早い段階で女児を間引くことができるようになったことである。

2015年の非公式の統計によると、中国の人工妊娠中絶数は年間で1300万人に上り、

年間出生児総数を上回る。そしてその多くが女児であった。

2021年の国家統計局のデータによると、20年の中国男性総人口は7億2141万人、

女性は6億8836万人だ。結納金高騰の原因は男女の人口バランスの不均衡以外にも、

金銭至上主義の浸透が挙げられる。数値ですぐに「嫁の価値」が 比較可能な結納金は

多ければ多いほど本人にとっても、嫁に出す家にとってもメンツが立つ。中国中央テレビ

のドキュメンタリー番組で、山東省でも村の誰かが結婚するという話が出ると、まず

みんなが最初に聞くのは、「いくらで買ったんだ?」という質問だと紹介している。

せまい農村社会の中で誰の結納金が多かったという「メンツ競争心理」に火がつき、

それが結納金の高騰を招いているという。また、土地や家への縛りが男性ほど無い

女性は、農村を離れて都市へ移入しやすい。女性の安い出稼ぎの増加が、もとから

少ない農村部の女性人口の減少に輪をかけているという。


p156    億ションも当たり前、世界一高い中国の不動産

中国の不動産価格は1991年以降、リーマンショックなどの例外を除き、ずっと

右肩上がりで上昇を続けている。「すべての土地は公有」と位置づけられている

中国では、土地の売買は「所有権ではなく、40年、70年など一定年数の「使用権」

の売買という理論で説明される。つまり、実質的には公有ゆえにタダで得られる土地

を地方政府は第三者のデベロッパーに売買し、そこで生じる莫大な収入は自分の財布

(財政収入)に入れる。地方政府がが安い補償金と引き換えに住民を立ち退かせて

土地を開発し、デベロッパーに売却すればその収益は政府のものになるのだから、

地方政府にとって土地開発は文字通り魔法の金のなる木だ。本来、経済運営の

審判であるべき政府が、土地開発においては最も儲かる主力プレーヤーでもあり、

一人二役を担っている。デベロッパー、金融業者と並んで地方政府は、住宅価格の

上昇によって利益を享受する側にいる。


p161   住宅改革ーー住宅と結婚が繋がったわけ

「社会主義」の中国では1998年の住宅改革までは、都市部の住宅は公用で、国が

費用を補償していた。就職もその頃までは、指導教官が大学卒業の際に各学生の

就職先を割り振る(分配)か、それ以外は、親や親戚などのコネを駆使して自分で

就職先を見つけて就職するものだった。就職後は北京に家がない場合は、勤め先

の組織(単位)が独身用の狭い質素な部屋を提供した。そして結婚したら二人で住める

もう少し大きめの部屋を用意してくれるというのが、一般的な社会主義の住宅分配

システムの流れだった。それが、98年になって「勤務先はこれまでの様に個人に

住宅を分けてくれないことになるらしい」という衝撃的なニュースが流れた。当時の

雰囲気は、「明日はもっとよくなる」という高揚感に溢れていた。住宅改革と共に、

それまで想像も出来なかったような広くて明るいマンションが、お金さえ出せば庶民

の手に入るようになると、その夢のような可能性にうっとりしたものだった。

こうして全国一斉に一大不動産ブームが起こる。

2000年に北京市の中心に当たる東海第二環状道路沿いにあった筆者の15階の家の

窓からは、見渡せる限りの全ての方位にビルの工事現場のクレーン車があっちにも

こっちにも見えた。

2002年ごろの北京は浮き足立っており、友人と会うと食卓でみんなが交わす話題は

ただ一つ、「家買った?」「1平方メートル当たりの価格はいくら?」こればかりだった。

そして、周りの友人たちは「当然!」とばかりに次々に家を買っていった、こういう時

の判断力と決断力は中国の人には及ばない。波瀾万丈の人生を伊達に歩んではいない。

日本でノホホンと育った筆者と違い、彼らはこの台地で生きるための嗅覚が発達して

いる。この当時、北京で暮らしていた日本人で経済的感覚を持って中国人のように

動いた人はごく一部だった。例えば、当時、約650万円で買えた70平方メートルの

部屋の購入情報を得た筆者は、北京が好きでよく遊びに来ていた東京在住の日本人に

勧めたことがある。中国のマンションは100平方メートル以上の大型が主流で、この

手の「小型な」物件は希少で人気だった。数ヶ月待たされた後に運良く購入する権利を

得たが、「買えるけど、持っていても無駄ね」と知人は言い、結局その購入は放棄して

しまった。その部屋は今や15倍以上の金額に高騰している。

また、そのころ「こんなに市の中心から遠いところに家を買ったのか?」と思った知人

の家も、北京市がどんどん外に向けて開発され、拡大するに従って、今では決して

「遠く」の部類ではなくなった。北京市は1996年には市内の環状道路と言ったらまだ

城壁を取り壊して作った第2環状道路しかなく第3環状(全長48キロ)を工事中だっのだ。

それが、第4環状(2001年、65キロ),

第5環状(15年、薬100キロ)、09年には走行距離188キロの第6環状道路まで広がって

行った。山手線一周が34.5キロだから、その増植のスピードと規模の大きさを想像して

いただけるだろう。地下鉄も同じだ。02年に北部郊外を半円形につなぐ13号線が開通

したのを皮切りに、北京の地下鉄は爆発的に発展し始める。現在は27本、783キロの

地下鉄、電車網が複雑に絡み合い、1日当たりの利用客数は847万人に上る。

(東京メトロの全走行距離は195キロ、利用客数は522万人=2021年)


p176   結婚と家の束縛

自由恋愛の歴史は世界史的に見ても実は長くはなく、日本でも、一般化したのは

戦後かもしれない。同様に、中国の結婚も長年本人の意思によらず、親が家と家の

関係の中で差配する極めて封建的なものが支配的だった。初めて全ての若者に結婚の

自由や男女平等の原則が保障されたのは、1949年の建国翌年の50年に定められた

「婚姻法」においてである。それまで、将来嫁にする幼い女子をもらって婿の家で

使用しながら養育する「童養  媳」(トンヤンシー)や一夫多妻、幼児期に双方の親が

結婚相手を決める「請負結婚」(中国語で包弁)が、中国では子孫存続の手段として

当たり前の習慣とされてきた。トップダウンで突如実施された同法とそれまでの

地元で親しまれた慣しの間には大きな溝があり、変革は容易ではなかったようだ。

例えば、農村の幹部には封建的な村の秩序に対する挑戦と捉え、抵抗する者もあった。

さらに、女性が自由に結婚し始めることを恐れて、同法を村民に秘密にする幹部さえ

いたという。政府は全国の村々で3年にわたる「婚姻法」キャンペーンを実施し、

婚姻法の周知と徹底に努めたという。現在90歳代の男性は、「僕のような幹部以下の

人は恋愛は許されなかった。だから、皆(闇x)地下工作をしていたよ」と話す。

1966年文革がはじまると、結婚も含めて全ては革命のためと位置づけられた。

結婚は「積極的に革命闘争に参加するため」のもので、二人は毛沢東に結婚を宣言

して「革命家庭」を設立することになった。(結婚も離婚も党への申請が必要で、

そこで承認されないと勝手には出来なかった。ちなみに軍や重要な政府部門の

党員は今でも、結婚に関して組織に申請が必要だ。「結婚申請書」のサンプル

としてネットにはこんな申請書の雛形が掲載されている。

  • 「私は誰々で、XXと結婚を希望しています。XXは政治上、思想上安定しており、

国を愛しており、党員でもあります。私はXXと何月何日に知り合い恋愛関係を構築

し、相互に理解、信頼し感情の基礎は強固です。恋愛は長期にわたり思想は成熟して

います。相互の協議を経て、家族の支持もえてXXと結婚を希望します。組織の批准を

ここに願います」


p184   夫婦証明なしではホテルの宿泊も不可能という保守性

中国では十数年前まで「男女が(ホテルの)同室を利用する場合には、結婚証明書

を提示」というルールが現役だった。これは法律としては成文化されていないが、

そもそもは外国人に見られたら「みっともない国の恥」と認識されていた

売春を取り締まるのが目的だったという。

筆者の友人の話ーー1988年に上海のホテルの出口で彼女の大学の同級生の中国人

女性が、外国人男性と出てきた際に、売春容疑で警察に捕まり、大変な騒ぎに

なったという。当時彼らは普通の成人として男女交際をしていただけだったが、

取り調べで未婚男女の同室宿泊という「重罪」を逃れるために、「婚約者」と

主張。知りあいなどのコネも総動員して寛大な対処を得て、警察からは釈放

されたものの、「ならば、即結婚を」と求められ、二人は電撃結婚をして出獄

せざるを得なかったという。そのくらい、中国社会の男女関係に関するルールは

保守的だった。ちなみに今では中国でホテルに宿泊する場合は、すべての人の

身分証明書(外国人の場合はパスポート)の提示とその場で本人の顔写真の撮影

(顔認証)が義務づけられている。ホテルによって読み込まれる顔認証と個人

データは瞬時に政府と共有される。荷物検査もある。ホテルに泊まるだけ

なのに、まるで入国検査さながらの厳しさだ。すべてのホテルのフロントに

設置された専用機から読み込まれる顔認証と個人データは瞬時に政府と共有される。

今は、写真付きの結婚証明書などという牧歌的な証明書どころではない。誰がいつ、

どんな風に部屋に入ったかわかるよう死角なくホテル中に設置されたカメラと、

泣く子も黙るビッグデータ監視網がホテル内を含め全国の施設に張り巡らされている。



p243   おわりに

中国が未曾有の速度で経済発展を実現できたのは、結果主義や競争主義を基礎とした

世界共通の合理主義が、中国に骨太で篤い情緒や「明日への情熱」と結びついて爆発

したからかもしれない。この間、人々は「急いで」がむしゃらに合理的に成功を目指し

疾走してきた。それが過去二十数年の中国の社会経済シーンだった。特に大きな変貌を

遂げたのは結婚だ。近年の中国では収入、住宅、職業、学歴、老後保障、メンツなど

あまりにも多く物を詰め込んだ結果、一部では結婚は合弁会社設立のファミリー・

プロジェクトに変質しつつある。少子化についても然りだ。合理的にうまく「勝ち組」

に育てようとするあまり、子育てを辛く苦しい生活負担へと変質させてしまった。

しかし、恋愛や結婚、子供を育てるという情緒的な人間の営みを綺麗さっぱり合理的

に還元できるのだろうか?そもそも、幸せとは自己肯定や優しい気持ちが通い合い、

心が満たされる情緒面での充実感を意味しているのではなかったか?

また、恋愛は理屈では説明できないが、不思議に素敵な行為のはずだ。これらは、

合理的な数値には表れないが、人間が生きてゆくための原動力であり、また我々の

人生を豊かにしてくれるものではないだろうか。

また本書は政治面には立ち入っていないが、非民主的な体制による弊害が大きい

のは言うまでもない。多様性を欠く画一化された価値観とそれに基づく過酷な競争は

焦慮や閉塞感を生み、感覚を麻痺させ、忖度し平気で嘘を語る「優等生」しか許され

ない窮屈な社会に創造的な未来は無い。

合理主義自体は世界共通の価値観だし、中国を特殊な国として他者化する見方は

分かりやすく、手軽かもしれないが、決して有益ではないだろう。このことは、我々と

中国が望むと望まざるとにかかわらず、中国の若者も中国自体も既に、世界と繋がり

会っていることを意味している。いくら「長城」を築こうとも、中国を世界から切り

離すことは不可能だ。

2022年に起きた突然のゼロコロナ体制崩壊劇はそのことを如実に語っている

ように思う。今回の振り子はこんな風に振れた。トップは市民の期待に反し、10月

下旬の第20回中国共産党大会終了後もゼロコロナ堅持を宣言したので、全国の

地方政府は「ゼロ堅持、感染者を出すな」と全市民PCR 検査による感染者、濃厚

接触者の洗い出しと、大規模隔離を断行した。しかし、オミクロン変異株の

感染スピードは驚異的で、隔離対象者は全国で億単位に膨れ上がったとも言われて

いる。そして11月下旬、首都北京はゴーストタウンと化した。全寮制の大学生は

引き続き構内で隔離され、小中学校もレストランも閉鎖され、バスから乗客が消えた。

この3年間、飲食店、映画館や小規模の商店の多くが地元の管理部門から口頭や

グループチャットメッセージで営業停止を求められた挙句に倒産。からがら生き残った

住民にとっても日常が戻る気配は一向に見えない。
lp

そうした中で11月末に起きたのが、一連の抗議活動だ。若者を中心とする市民が

自然発生的に、地方政府やその末端組織の乱暴で終わりの見えないゼロコロナ政策と

その管理に対する不満を唱えたのは確かだろう。「よくぞ言ってくれた!」スマホの

画面に見入りながら心の中で彼らに拍手喝采を送ったのは筆者だけではなかったはずだ。

そして、この間デモから2週間も経たないうちに、一滴も漏らさなかったゼロコロナは

「最適化」の名の下に一夜にして決壊。激流に呑みこまれるように、街中に設置されて

ーいた通行者を検問するバリケードと24時間体制でスーパーやマンションなどあらゆる

入口に設けられたデジタルPCR 証明の検問所が消えた。次の瞬間、今度は北京中が

「全員コロナ」の海に投げ出され、8割とも言われる人々がクリスマスの2週間前から

次々とコロナに感染。筆者も家族と周囲の大多数の友人と同時に感染し1週間の床に

ついた唯一今でも心配なのが高齢者だ。

誰もそんなことは説明してくれないが、幸いにも中国は既に世界の一部だ。世界と

シンクロしてサッカーを楽しみ、経済は無視できない。世界がウイズコロナに移行する

中で、中国だけが
無菌空感を貫くことは不可能だった。力任せに続けたゼロコロナ体制

の突然の崩壊は、中国が世界と一体化していることをまざまざと我々に見せつけた

出来事だったように思う。


そして、中国と世界を繋いでいるのが若者たちだ。若いイタリア在住中国人の


ツイッター情報が、抗議活動でも大きな役割を果たしたと聞く。中国の若者たちは徹底

して英語を勉強しており、海外文化や情報収集には敏感だ。彼らは世界中で全方位に食指

を動かしており、世界のトップレベルを走るチャイニーズITの隆盛はその表れの一つ

だろう。ところが、そうしたシン・中国人を横目に今のトップは街でこれまで普通にあった

英語名やクリスマスの飾り物も禁じるほどに内向きで排他的な政策を鋭意展開中だ。

中国の若者はノンポリかもしれないが、世界と同期しては自分の生活を楽しみたいと思う

点では、海外の若者と何ら違いはない。本書で見てきたように、孤独に悩みつつも、心

暖まるp恋や結婚に憧れる気持ちも全く同じだ。

激しい歴史を経て、政治的な智慧と五感が極度に発達している「中国」は、14億人を包む。

集団名詞になるとその場でコワモテの政治ばかりに光が当てられやすい。しかし、それは

多面的で扱く複雑な中国が見せる一側面に過ぎない。本書が急速に変わりゆく

シン・中国人の生きたイメージを提供し、同じ現代を生きる人間として、「ここから先」

を共に考える一冊になることを願っている。


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🦊    2021年前半に生まれた「タンピン(真っ直ぐ寝そべる)」という言葉について、

斉藤さんはこう述べている。日本では「寝そべり族」と翻訳されているタンピンは、

「がむしゃらに内巻きに巻かれるように頑張る」という意味の「内巻」(ネイチュエン)に

対する受身の逃げだ。過度な競争を避けて、必要最低限の生活を楽に送ることを意味する。

大人は上から目線で、若者が「寝そべり」を必要と感じる現実の息苦しさを無視しようと

するが、若者が言い得て妙なりとつかう流行語には彼らの真実が反映されている」・・・と。

日本の若者の現状にそっくりではないか。

ところで、シン・ゴジラという映画がある。シンとは何じゃいなと調べたところ、「進化

した」という意味なんだと。映像で見ると、ゴジラ本体はCGで作成されており初代のような

背中にジッパーの見える縫いグルミじゃあない。そして、水陸両生類に進化(退化?)して、

海中でも大暴れ。・・・果たして中国人も日本人も、進化しつつあるのか、退化しつつある

のか?

進化も行き止まりに来て、自らと地球を滅ぼしつつあるのか?さーてね。



2023      12