NATO・・・大国アメリカの罪と罰
🦊: このテーマは、キツネがかってにつけたもので、トレーニン氏の
本から滲み出てくる公平な学者らしい良心と、あくまで前向きの見通し
を、「自分の好みに合わせて」受け止めたものである。
しかし、大国アメリカといえども、この著作の10年後に、悲惨な他民族
抹殺、無抵抗な老人子供を銃殺、遺体を道端に放置して、これは
ウクライナ側がやった、とか、現地に転がっていた中距離砲弾の残骸に
は、「子供達へ」の文字があったとか、「我々はウクライナを制圧して
大ロシア帝国を再現するのだ!」とトンデモ宣言するロシアを、説得する
こともできず、そうかと言って日ごろの核の脅しを実行に移すわけにも
いかず、お手上げ状態だ。
この本にはユーラシアの将来を決めると自負する、NATOおよび強国
アメリカの、愚策と自惚と、知性の欠落が指摘されている。学者らしい
穏やかなユーモアに包まれてはいるが、その指摘はまさにドンピシャリ、
今日のウクライナ侵攻を予言している、とキツネは思う。
「ロシア新戦略」 ドミトリー・トレーニン著 より
p181 より広範なNATO拡大問題
(ロシアにおいて)2010年に採択された最新バージョンの軍事ドクトリン
においてさえ、NATOはロシア連邦に対する脅威であると位置付けられて
いる。(正確には、軍事的脅威よりも上位の軍事的危険の第1位に、NATO
が挙げられている)冷戦が終結してから20年が経ち、メドヴェージェフ
大統領が「NATOの攻撃性」なるものが根拠のないことだと述べるように
なってもなお、NATOに対するこのような反発があるのはなぜなのだろうか。
NATOに対するロシアの態度というものは、片思いと幻滅の繰り返しだった。
多くのロシア人にとって、NATOとはヨーロッパにおけるアメリカの代名詞
ーーより正確にいえばアメリカ主導の同盟システムおよび権力基盤を意味
している。特筆すべきことに、そこにはドイツへの恐怖ないし敵愾心は
存在していない。20世紀の歴史を顧みるならば驚くべきことだ。
ミハイル・ゴルバチョフは東西ドイツの再統合に同意した。この点で彼は、
英仏伊といった全欧州主要国の切実な感情に逆らって、ジョージ・w・
ブッシュ大統領(父)およびアメリカの側に立ったわけだ。
1994年に旧東ドイツから最後のロシア軍が撤退すると、これによって
事実上の和解が完了した。第二次世界大戦当時の戦場跡に、ドイツ兵の
墓碑が建てられるなどという、20年前なら信じがたい光景もロシアの
あちこちに見られるようになった。
NATO内のその他の2大主要国、すなわちイギリスとフランスは、2度の
世界大戦ではロシアの同盟国だった。特にフランスは、ロシアの歴史的な
同盟国にして友邦とされてきた。ナポレオンによる1812年戦役とモスクワ
の大火は‘遠い昔の出来事であり、敵意を呼び起こすことはない。シャルル・
ド・ゴールによるNATOの軍事機構からの脱退と、彼が提唱した「大西洋
からウラルに致るまでのヨーロッパ」という概念は、1966年に彼がモスクワ
市庁舎のバルコニーから熱烈な演説を行ったこととも相まって、クレムリンと
ロシア国民とに「フランスは敵ではない」と確信せしめることになった。
冷戦後、依然として東西間の緊張が残る中でも、パリだけはモスクワからの
特別扱いを受けてきた。
イギリスは一度もロシアに攻め込んだことがないにも関わらず、ロシア
は歴史的に、イギリスがより好戦的であると見ている。イギリスはロシアの
辺境部にちょっかいを出してきたからだ。1853年〜54年の戦争で全欧州が
対ロシアで結集した際、クリミアで起こったことはその最たるものである。
(原注:クリミア戦争の初期、トルコ艦隊がロシア艦隊の奇襲で大打撃を
受けたことに対して、イギリスがナポレオン戦争以来の大規模な大陸派遣
軍を編成し、対露戦に投入したことを指す)
イギリスは現実的な敵というよりも、政治的な競争相手であり続けてきた。
特に中央アジアおよびコーカサスにおける「グレート・ゲーム」や、冷戦期
にソ連の仮想敵ナンバーワンであったアメリカとイギリスが密接に協力して
いたことなどは、これに当てはまる。イタリアやスペインのような他の
NATO諸国も、ロシアでは敵と見做されてきたわけではない。トルコのように、
ソ連崩壊後のロシアと劇的に関係を改善した国もある。
では、ロシアが‘かくも強硬にNATO拡大に反対するのは一体なぜなのだろうか?
ことの発端は冷戦の終結である。ほとんどのロシア人は、主にゴルバチョフの
和解政策と妥協のおかげで40年に及ぶ対立から抜け出すことができたと信じ
ていた。民主派は、ロシアが共産主義を捨てたからこそ冷戦は終わりを告げた
のだと主張した。このほかに、ソヴィエト帝国およびソ連の解体を指摘する者も
いたが、ロシアのエリートによってその声は圧殺されてしまった。
これら3派の主張により、大部分のロシア国民は、冷戦の終結は、彼ら自身の
選択であり、業績なのだと考えるようになった。もちろん、彼らが
単独で、というわけではない。レーガン、ブッシュ、マーガレット・サッチャー
ヘルムート・コール、フランソワ・ミッテランその他のパートナーの存在が
あってこそであり、それゆえ冷戦の終結は、ロシア、欧州、アメリカの共同の
勝利と言うことになったのである。
このような観点からすれば、ロシアが西側の機構に滞りなく統合されてゆく
という予測は論理的なものであった。エリツィンは、1991年12月にNATOに
宛てた最初の書簡の中で、ロシアが近い将来、NATOに加盟することを検討して
“いる“と書いた。だが、クレムリンにとって驚くべきことに、ブリュッセルから
の返事はなかなか来なかった。そのかわり、ロシア、他の全ての旧ソ連構成諸国、
それにワルシャワ条約機構の加盟諸国は、北大西洋協力理事会(NACC)に参加
するよう招待を受けた。モスクワの失望は明らかだった。そこで、その2週間後、
次のように書かれた書簡がモスクワからNATO本部に送られた。先日送った書簡
にはミスプリントがあり、正しくは、予見しうる将来にNATO加盟を検討しては
“いない“だった、というのである。
多くの西側諸国にとって、ロシアはあまりにも大きすぎて扱いにくく、あまりに
無秩序で、悲惨なまでに整備が行き届かず、そして依然としてあまりに野心的な
国家だった。NACCは、ソ連が結んだ軍縮合意を後継諸国に‘確実に履行‘させる
ことを基本的な目的とする協議グループであったが、これはゴルバチョフの
夢想した「ヨーロッパ人の共通の家」とはかけ離れたものだった。
ブッシュ大統領(父)が唱えた「統一された自由なヨーロッパ」については、
そこにロシアが含まれているものかどうか、エリツィンと彼の外務大臣である
コズィレフは疑問を持っていた。1922年春、ブッシュ政権はワシントンにおいて、
米露同盟に関するエリツィンの誘いをにべもなく拒絶した。世界中が平和で溢れ
返ろうとしている今、不適当だというのである。NATO加盟へのロシアの希望は
瞬く間に雲散霧消した。1992年にストックホルムで行われた劇的な「二枚舌
演説」(原注: 『ロシアは外交政策の概念を修正せねばなりません。・・
依然としてヨーロッパへの仲間入りをすることに重点を置いています。しかし、
我々の伝統というものがかなりの程度ーー主にというわけではないにせよーー
アジアに基盤を置いており、これがためにヨーロッパとの和解には限度がある
ということに、我々は今やはっきりと気づいているのです。・・旧ソ連空間を、
CSCE(欧州安全保障協力会議)の規範を完全に実施すべき地域と考えるわけ
にはいきません。本質的にはこれはポスト帝国の空間なのであって、この中で
ロシアは、軍事力や経済力まで含むあらゆる可能な手段を用いて自らの利益を
守らねばならなくなるでしょう。旧ソ連の共和国は直ちに新しい連邦なりに
加盟することになるでしょうが、その交渉は厳しいものになるだろうということ
をここではっきり申し上げておきたいと思います』)において、コズイレフは、
ロシアが孤立すれば起こるであろう事態について警告した。
1994年、旧ワルシャワ条約機構諸国(ロシアを含む)とNATOとの安全保障の
枠組みとしてアメリカが「平和のためのパートナーシップ」(pfp)を公表
したとき、ロシアはこれを受け入れた。ロシアはしばらくの間、pfpがNATOの
代替物となるだろうと考え、pfpを歓迎する姿勢を見せた。まもなく、ロシアは
とてつもない失望を味わうことになった。クリントン政権は、いくつかの国が
NATO加盟を果たすためのルートとしてpfpを再編してしまったためだ。
ポーランド、ハンガリー、チェコ、スロヴァキアからのNATO加盟の嘆願や、
米国内のロビイストからの圧力を受けてのことだった。
当初、エリツィンはこのような動きを黙認する方針に傾いており、1993年に
ポーランドのレフ・ワレサ大統領が訪問した際、そのむね伝えていた。
だが、ほとんど全ての国防、安保関係者はこれに反対だった。西側との同盟
関係が無い中で、ゴルバチョフ外交が残した唯一のまともな結果は、NATOと
ロシアの間に広大な緩衝地帯を設けたことだった。それが今や消え失せようと
しているのだ。1993年のモスクワ騒乱において軍事力で民族派を制圧した
エリツィンとしては、幾分方針を転換せざるを得ない状況だった。
1993年12月の下院選挙は、共産党と民族派が心理的な復讐を遂げたがごとき
様相を呈したため、民主派は大きなショックを受けた。民主派はこうした中で、
西側の動きをロシアの民主主義に対する不信の表明と受け取った。つまり、
彼らーー民主派を信用しないということだ。こうして民主派は、ロシア抜きで
NATO拡大を進めればロシア国内で NATOに対する敵対的なイメージが再燃
することは避けられないという警告を発し始めた。彼らは、旧東側陣営から
NATOに加盟する最初の国でなければならないと信じていた。ドイツ再統合
の交渉に参加した人々は、アメリカ側の加盟派にNATOを拡大しないと約束した、
交渉記録を読めば明らかだ、と主張した。従って、 NATOが今やっている
ことは約束違反だというのだ。この結論は、モスクワにおける NATOの評判を
大いに落とした。 NATOは、冷戦終結とソ連崩壊の後も消えて無くなろうと
はせず、軍事同盟として存続し続けたばかりか、ロシアとの国境を接する国々
を新規加盟国として取り込み始めた。 NATOの担当範囲内では、ロシアは
仮想敵に他ならなかった。西側にしてみれば、ソ連の継承国の筆頭である
ロシアはその結果に甘んじるべきだと考えているーー今やロシア人はこう
考えるようになっていた。
かつて東西対立の主戦場であった中欧は、勝ち誇った東西の軍靴で乗っ取られ
ており、ロシアが将来、再興した暁には、防衛ラインが築かれるに違いなかった。
ロシアはまだせいぜい執行猶予扱いといったところであり、多分に疑いの目で
見られていた。このことは、ロシアの政治的エリートたちの間にかつてない
コンセンサスを生み出すことになった。すなわち、 NATOの拡大はロシアの
国益に反するということだ。このコンセンサスの基礎は、本質的に
ナショナリスティックなものだった。ようやく芽生えたロシアの民主主義は
心惑わされ、「大国」に道を譲ってしまったのである。 (以下略)
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🦊: 「二枚舌」的な国は、何時どういう振る舞いに出るかもしれないから、
孤立させてはならない。こんなことは、外交の歴史では常識じゃないんだろうか?
特にその国のエネルギー埋蔵量が大きいのであれば、損得の上でも、また地球
温暖化対策上も、仲良くしておくことだ。
しかし、「地政学」にからめ取られた政治家たちは、ユーラシアでの権力者、
アジアでの覇権者、地球規模の超大国たらんとするらしい。
ヨーロッパでの権力拡大が米大陸の住民にとってなんの利益になるか?
アジアでの覇権が米国民の負担を増しているかもしれないではないか?
それに対しては「グローバル経済」なる都合の良い言葉があり、または
「グレート・アメリカ」という、おなじみの夢物語がある。
ロシア人プーチンの迷夢を非難するばかりでは、いかにも知恵のない話
じゃなかろうか。
2022 4 12