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狼が来た!

 

ススキ

 

ここは団地の隣の

 

遊水地の中で,

 

ススキが大繁殖.

 

よそには生えて

 

いないから,お月見用に

 

欲しいとおもったら,水道局に申請して,3mの鉄柵をあけてもらわにゃー

 

 

 

 

「狼がきた!」と戦争を煽った、財閥と化学トラスト

 

🦊「狼が来たと大人を騙して面白がった少年」ではなくて、

 

オオカミ =軍事強国の偵察機飛来、軍艦の公海での示威訓練、

 

長距離弾道弾での威嚇、その他をネタに、「すわ、非常事態到来!」

 

と叫んで回り、政府の軍事予算をグッと増やし、軍備を加速し、

 

戦争準備を促す輩のことである。面白がってかどうかは知らず、

 

 「戦争は儲かる」からねー。

 

 

 

2020年1122日==朝日新聞

 

 『イージス代替策 総額示せず」導入時期・人員も・・・

 

陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の代替案

 

の検討にあたり、防衛省が専門企業に委託していた調査の中間

 

報告で、導入や維持整備などを含めた総コストの試算ができ

 

なかったことが、関係者への取材でわかった。』

 

 

🦊なぜ代替策かというと、ご存知の様に、オオカミ少年の「中国

 

脅威論」にすっかりハマった前政権が、急いで陸上型ミサイル

 

迎撃機の購入を決めた。ところが、これが巨額な上に、いつ納入

 

されるかさえはっきりしない代物。また、陸上に固定されていて

 

は、相手の可動型ミサイルに対応し切れないのでは?というので、

 

 急遽護衛艦、民間船、オイルリグ上に「陸上用の装備をそのまま

 

転用したら、どのくらい総費用が膨らむのか」、民間に調査を

 

 委託した。其の中間報告で、「総コストの試算さえ出来なかった」

 

 という。

 

『巨額になると見込まれる維持費は見積もりすら困難とされた。

 

導入コストも、現時点では不特定要素が多く、合計の総費用は

 

見通せなかった。調査期間が約1ヶ月と短く、システムを製造

 

する米ロッキード・マーチン社から得られる情報にも限りがある

 

ことが理由という』

 

『装備を実際に導入できる時期の目安や、必要な人員の規模も

 

示されなかった。菅善偉首相は年末までに大体の方向性を示す

 

よう防衛省に指示しているが、将来像が見通せないまま絞り込み

 

が進む恐れがある。高額装備品を短期間の調査だけで、コストも

 

わからぬまま選ぶことになれば異例で、防衛省内でも「拙速だ」

 

 と懸念する声が出ている。』

 

 

(菅氏の「スピード感」とは、後ろから何に押されているのかなー。)

 

 

 

*************************

 

 

「死の商人」==岡倉古志郎著==1999年新日本新書として

 

復刻。

 

 

p23  だが、死の商人は「愛国者」である

 

 (第一次対戦中にも、死の商人の活躍は、数え切れぬほどあった。

 

 其の一つのドイツについて)

 

「大戦中、ドイツの鉄や鋼は敵国に入って敵国の戦争を助けた・・

 

 敵国へゆくドイツの鋼鉄!戦時中、ドイツ重工業は「宿敵」と

 

手を握り合ったのである。」(アルトゥール・サテルヌス)

 

だが、それにもかかわらず、死の商人はしばしば、自分の

 

[祖国」が外的に侵される危険があることを、口を極めて喧伝する.

 

死の商人は有力な新聞、雑誌、また、今日ではラジオ、テレビ

 

などの世論製造機関を所有、または支配しているから、こういう

 

宣伝にかけては誰にも引けを取らない。また、「死の商人」は

 

有力な政治家たちを通じて、議会や政府を動かすことができるし、

 

ことに、独占資本が国家機構を従属させて、いわゆる国家独占

 

資本主義が成り立っている場合には、死の商人は国家そのもの

 

でさえある。こういう場合には、「死の商人」は100%の愛国者

 

となる。例えば、ナチス・ドイツの支配者、またヒトラーの有力な

 

パトロンは、鋼鉄王クルップであり、IGファルベンのヘルマン・

 

 シュミッツであった。(中略)

 

だが、それはさておき、ヒトラーとナチズムを育成して支持した

 

のは、クルップ、シュミッツ、フリックらドイツの「愛国的な」

 

「死の商人」だけではなかった。ナチズムの昂揚する以前、

 

ヒトラーに豊富な資金を供給したものの中には、フォン・

 

アルトハーバーとフォン・ドゥーシュニッツの名が見出されるが、

 

この二人は、後年ヒトラーに侵略されたチェコの「死の商人」

 

ーー世界一流の兵器会社スコダ工場の重役ーーであった。

 

このスコダ工場は、フランスの兵器トラストとして有名な

 

シュナイダー・クルーゾーの社長、ユージン・シュナイダーの

 

支配下にあった。つまり、フランスの「死の商人」ナンバーワン

 

は、宿敵ドイツの侵略主義を助長していたのである。

 

・・シュナイダーは、シュナイダー・クルーゾーの他にも、巨大な

 

鉄鋼トラストであるコミテ・デ・フォルジュをも支配していたが、

 

 コミテ・デ・フォルジュは、フランス屈指の大新聞ル・タン紙及び

 

ジュルナール・デ・デバ紙を通じて、しきりに「軍縮の危険」を

 

説き、「ドイツ軍国主義の復活の脅威」を国民に吹き込んでいた

 

のである。つまり、シュナイダーは、2本の糸を操っていたわけだ。

 

一本には、ヒトラーのドイツ軍国主義がつながり、もう1本には

 

フランスの新聞とフランスの軍国主義がくくりつけられていた。

 

このようにして、シュナイダーは、フランスの兵器需要を激増

 

させることができたのである。この場合、「死の商人」が愛国者で

 

あり、同時に愛国者でないという矛盾を解決している契機は、いう

 

までもなく、「利潤」である。

 

 

p27==戦争の「お化け」を作る。

 

死の商人は、新聞、雑誌、ラジオを通じて、戦争の「おばけ」を

 

作り出し、「国防の必要」を訴える。また、陰にまわって、

 

政府の首脳者その他各方面の有力者を金や名誉や様々の手段で

 

たらし込み、兵器の大量売り込みにかかる。いや、さらに進んで

 

戦争を製造しさえもするのだ。次に掲げる挿話は、このような

 

「死の商人」の属性を具体的に示した点で興味がある。

 

そのエピソードは2つの大戦間の時代のものだ。1930年に、

 

ルーマニアとソ連との間に、「戦争の脅威」があるとしきりに

 

されたことがあった。ソ連がルーマニアを侵略して、

 

ベッサラビアを奪い取るだろう、という話が、至る所で持ちきりに

 

なった。では、真相はどうだったのであろうか。

 

ルーマニア閣僚の一人ゴガ博士は、後日、閣議で、次のように報告

 

しているーー

 

「同僚諸氏もご記憶のように、1030年の夏、わがルーマニア国民

 

の間には、あの途方もないほどの恐慌状態が起こりました。

 

新聞も、街の噂も、とりわけベッサラビアの各家庭では、ただ

 

一つの話題ーー『ソ連がすぐに侵略してくる』という話題ーー

 

だけを取り上げていたのです。噂によると、ソ連軍は、ニエストル

 

河畔のティラスポールに集結し、ベッサラビア進撃の用意おさおさ

 

怠りない、というのでした。・・私は、有り体に言えば、この噂に

 

すっかり騙されてしまいました。そこで、私は摂政殿下ニコラス

 

大公や摂政会議の面々に向かって食ってかかりました。

 

ーーソ連軍が今にも進撃してくるというのに、我が国の準備は、

 

全くできていない、一体、どうするつもりなのか、と。

 

ところが、不思議なことに、ちょうど私がこういう質問を出した日

 

をきっかけにして、例の『ソ連軍の進駐』という噂は、跡形も

 

なく消えてしまったのです。大公殿下はこう言われました。ーー

 

『ゴガ博士よ、まあ、落ち着きたまえ。一体、何という馬鹿げた

 

騒ぎをやるのだ!もう、安心していいんだよ。というのは、我々は

 

もう、スコダ工場(チェコ)に大量の軍需品の注文をしてしまった

 

からだ』と。ーー諸君、私はやっと訳が分かったのです。残念ながら、

 

私も、善良な国民大衆と同じように、この巧妙極まるトリックの

 

いいカモになったことを、認めなければなりませんでした。

 

それ以来、私は『戦争勃発の危機迫る』などというニュースがあると、

 

『こいつは臭いぞ』と一応用心してかかるようになったのは

 

いうまでもありません」。

 

(この事件に際して、チェコの、というよりは世界の大軍事会社

 

 スコダのルーマニア駐在総支配人ブルーノ・セレツキーが、

 

 1933325日に逮捕された時、其の押収品の中にあったメモ

 

にはこうある)

 

*我々が使っているX氏から買ったダンスパーティのチケット代

 

 ・・10万レイ

 

*我々に利害関係のある人々と親交のある人物が会長をしている

 

Z協会への寄付・・50万レイ

 

916日、3名の賓客をバーXで饗応・・・65000レイ

 

921日、8名の賓客とレストランYにて、及び、同夜の宴会で

 

すこぶる役に立ったX夫人に対するささやかな贈り物の代金・・・

 

2万レイ

 

102日、最後の取引に関係している役人たちを宴会に招く・・・

 

2万レイ

 

*同日、8名の客とバーXで二次会をやる・・68000レイ

 

*ポリドールへ自動車1台を贈り物・・26万レイ・・・・(中略)

 

スコダがセレツキーを通じて買収費としてばらまいた金額は40

 

レイに上った。スコダがルーマニア政府と契約した取引は150

 

レイだったから、買収費だけでも25%が消えた訳だ。それでも

 

なお、大儲けなのだから、この商売のぼろさ加減は想像を超える。

 

このセレツキー事件を調査するために議会に特設された調査委員会

 

の委員長ルポ博士は報告書の中で言っている。ーー「ある大臣は

 

6億レイ、もう一人の大臣は4億レイ、さらに関係者全体として別に

 

7億レイも収賄した」と。腐敗堕落は極点に達していた訳である。

 

 

p63==フランダースの悲喜劇

 

・・・・その日、ドイツ軍の塹壕は、突如、恐慌状態に陥った。

 

わずか数十メートル隔てて相対峙したイギリス軍の塹壕から

 

ひっきりなしに飛んでくる手榴弾が、これまでになかった物凄い

 

威力を発揮したからだ。

 

初めのうちは、フリッツ(ドイツ兵のあだ名)たちは、たかを

 

括って、馬鹿にし切っていました。「また、ジョンブル(イギリス人)

 

の野郎どもが、ボール投げを始めたぞ!」。「うまく破裂したら

 

お慰みというもんだ!」

 

それもそのはずであった。これまでは、イギリス兵が投げてよこす

 

手榴弾は不発が多く、物の役に立たぬのがむしろ普通で、フリッツ

 

たちが馬鹿にするのも無理がなかったのである。だが、一体どうした

 

というのだろう!今日は、様子が少し違っていた。飛んでくる

 

やつも、飛んでくるやつも、見事に破裂するではないか!地面に

 

接触した途端、轟然と爆発して機関銃座を兵隊もろとも吹き飛ばす

 

のがあるかと思うと、落っこってから何ともないので、「ほい、

 

また不発だわい!」と思い込んでいると、数秒経ってから、猛烈な

 

爆風を伴って炸裂するのもある。しかも、ほとんど一発残らず爆発

 

するのである。ドイツ軍の塹壕は、たちまち恐慌状態に陥った。

 

狙撃兵がやられる、機関銃手が倒される、あたり一面は、見る見る

 

うちに血と泥と肉塊とでこね回され、目も当てられぬ有様に

 

なった・・・一人の血だらけになったドイツ兵が、分隊長のところ

 

へいざり寄ってきた。

 

「分隊長殿!ちょっ、ちょっと、こいつを見てください!敵は

 

味方の手榴弾を使っていますぜ!これ、こいつです!」

 

「馬鹿な!お前、怖気付いて、頭がどうかなっとりゃせんか!味方

 

の手榴弾は不発弾なんかあるはずがない。それに、こっちのやつを

 

拾って投げ返すにしちゃ、数が多すぎる!」そう言ったものの

 

兵隊の渡した不発の手榴弾をしげしげと眺めた分隊長の顔は、

 

さっと青白くなり、ついで赤黒くなった。まさに、ドイツ軍の使用

 

している精巧無比、必発必中のクルップ製撃発信管、時限信管を

 

装置した手榴弾と、寸分の違いもない。これまでというものは、

 

ドイツ軍は、この手榴弾でイギリスを大いに悩まし続けたもの

 

だったが、一体、どうして、これが大量に敵の手に渡ったのか.

 

だが、同じに見えたドイツ軍とイギリス軍の手榴弾は、よくよく

 

調べてみると、少し違うところがあったのである。イギリス兵が

 

投げてよこした手榴弾は、イギリス第一の兵器工場、ヴィッカース

 

会社製の物で、KPZ96/04という小さな符号が付いていた。

 

(ドイツ軍の手榴弾の符号はDZ96というのだが、実は両方とも

 

同じ物だった)戦争前、ヴィッカーズは、クルップから、この信管

 

の特許を買っていた。戦争が始まってから、このクルップの特許を

 

利用して、高性能の手榴弾を大量生産し、ドイツ兵たちを悩ました

 

訳である。

 

戦争が終わった後、クルップはドイツ証券銀行から社債の償還を

 

要求された。当時クルップは、ヴェルサイユ条約に従って、工場の

 

解体を強制され、莫大な量の機械設備を破壊したばかりであった。

 

社債償還の財源に頭を悩ましたクルップに対して、ドイツ外務省は

 

救援の手を差し伸べた。例の手榴弾の特許に関して、ヴィッカース

 

を相手取り、特許権侵害を理由とする損害賠償を請求せよという

 

のである。この勧告の背後には、クルップの債権者であるドイツ

 

産業証券銀行があった事は言うまでもないが、この銀行の重役陣

 

の一人に、クルップ一家の重鎮の一人がいたことは記憶しておく

 

必要があろう。クルップは、えたりとばかりこの訴訟を実際に

 

やってのけたのであるが、その内容はーー特許権侵害の損害賠償

 

として、手榴弾一発につき1シリング、総額123億シリングを

 

要求する、言い換えると、戦場で死んだ200万のドイツ兵一人に

 

つき60マルクずつの割合でコミッションをよこせというに等しい。

 

クルップの考え方からすれば、イギリスは、この特許使用のおかげ

 

で、たくさんのドイツ兵をぶち殺すことが出来たのだから、それ

 

ぐらい当たり前だ、というのであった。(クルップは、要求通りの

 

額を手に入れはしなかったようだが、代わりにヴィッカース支配下

 

のスペインのミールス鉄鋼圧延工場の株の大半を密かに譲渡され、

 

それで満足したという)・・

 

 

p97==IGファルベンの戦争犯罪

 

1948年728日、ナチスの戦争犯罪を断罪して以来世界的に

 

有名になったニュルンベルグの軍事法廷第六号で、IGファルベンの

 

最高指導者13名に対する判決が下った。この13名の中には、取締

 

役会長ヘルマン・シュミッツ、監査役カール・クラウヒ、販売部長

 

で「IGファルベンの外交官」の異名をもちヒトラーに40万マルク

 

献金を申し出たゲオルグ・フォン・シュニッツラー、国防軍当局

 

との渉外関係責任者マックス・イルグナー、国防軍に毒ガス(ブタン)

 

の使用を勧告したフリッツ・テルメールなどが含まれていた。

 

ところで、1年もかかったこの裁判の結果はどうだったか。判決は、

 

最高8年、最低18か月の禁固刑。予想されたよりも、はるかに軽かった

 

ことは言うまでもない。さらに3日後の73日には、残りの11名に

 

対する判決が下された。全員無罪。無罪の理由は、この11名は

 

「侵略戦争の準備及び遂行に預かった証拠がなく」、「彼らの参加

 

は随伴者としてであって、指導者としてではなかった」からであった。

 

だが、IGファルベンは、ナチスの侵略戦争の単なる「随伴者」でしか

 

なかったのであろうか。IGファルベンは「死の商人」として、

 

ヒトラーやゲーリング、ゲッペルスの輩を鼓舞し使嗾し、侵略戦争の

 

準備と遂行にあずかり、数多の「人道に反する罪」をさえ犯し、

 

そこから膨大な利潤を引き出したのではなかったろうか。

 

現に、この裁判の主席検事テルフォード・テイラー准将は、その2万語

 

にのぼる起訴状の中でIGファルベンの「戦争犯罪」を次のように

 

指摘しているのである。ーー

 

「ヒトラーとIGファルベンとは、すでに1932年、密接な協力の

 

基礎を見出していた。ヒトラーは、IGファルベンから潤沢な資金の

 

 援助を受けて政権についた・・・約500にのぼるIGファルベンの

 

海外出張所は、全世界に跨ったナチスの陰謀の中核を形成した・・

 

彼らは、表面は、さも実業家らしく活動していたが、実は、侵略戦争

 

の準備と遂行にに欠くことのできない宣伝とスパイ活動をやって

 

いたのである・・・」。

 

 

p100==アニリン染料の中から

 

ドイツの化学工業といえば、我々は、すぐ、アグファのフィルム、

 

バイエルのアスピリン、さらにプロントジール(今日のサルファ剤

 

の先駆)を思い浮かべる。これらの世界的に有名な薬品、化学品は、

 

いずれも、巨大な化学トラストIGファルベンの関係会社の実験室で

 

発明され、その工場で生産されたものばかりである。

 

(第二次世界大戦後の連合国の調査によれば)世界各国に散らばった

 

IGファルベン系の工場は実に500に及んでいたと言う。

 

IGファルベンは、文字通り、ドイツ化学工業の王者だった。

 

染料、窒素、無機化学薬品、人絹、爆発物、合成ゴム、化学薬品と

 

名のつくほどのものは、ほとんど全部がIGファルベンの手で生産

 

され販売されていた。ドイツ国内にある600の大中小の工場には

 

 25万人の労働者が働いていた。IGファルベンは、化学工業だけで

 

なく、その原料である石炭、マグネサイト、石膏、岩塩などの鉱山

 

を所有し、コークス炉を備え、鉄鋼業にも巨額の資本を投下して

 

いた。

 

(独占資本の「反人民的性格」についてリチャード・サシュリーは

 

こう描いている)「この分野(化学薬品の)こそ、カルテルの営業

 

方針が人民の利益と対立するものであることを、最もよく示す場所

 

であった」。

 

パウル・エーリッヒがサルヴァルサンを発明したとき、バイエルは

 

その生産、販売を安全に独占し、非常に高い価格をつけた。第一次

 

世界大戦が起こったとき、バイエルは、サルヴァルサンの輸出を

 

止めた。クロロホルムやエーテルなどの麻酔薬についても同じ

 

であった。つまり、バイエルはエーリッヒの人道主義的立場には

 

お構いなしに、これらの薬品を利潤のため、戦争遂行の目的の

 

ために使用したのである。

 

第一次世界大戦後、当時、熱帯アフリカで流行していた嗜眠性脳炎

 

(ツエツエ蝿により感染)の特効薬が完成された。イギリス政府は、

 

喉から手が出るほどこの薬品を欲しがっていた。ところが

 

バイエルは、この特効薬の製造の特許をイギリスに与える代わりに

 

旧ドイツ領アフリカ植民地を返還するよう、ワイマール政府を

 

つついて、イギリス政府と交渉させたのである。

 

最も、この抜け目のない謀計は、他の国での薬の製法が発見された

 

ため、ついに失敗の憂き目を見てしまった。

 

同じようなことは、スルファミン剤についても見られる。ドイツ

 

化学工業がスルファミン剤を完成したのは、サシュリーによれば、

 

1908年のことだったが、その製造と販売は実に30年も

 

遅らされた。それは、IGファルベンにとって、「最も儲かる時期」

 

がなかなかやってこなかったからである。「IGファルベンは、

 

全人類からこの偉大な救世主(スルファミン剤)を隔離していた、

 

と言うのは、膨大な利潤や特許料を引き出す機会がなかったから

 

である・・・だから、IGファルベンの必死の努力にもかかわらず、

 

スルファミン剤は、ついに、1936年には、全人類の財産と

 

なった」(サシュリー)。このように、巨大な化学工業独占資本

 

IGファルベンは、何よりもまず利潤を第一義に考えたのである。

 

そして、この考え方に従えば、戦争こそ、最大の利益をもたらす

 

べき絶好のチャンスであるはずであった。

 

例えば、第一次世界大戦中、ドイツが使った全爆発物は、殆ど

 

これらの独占体によって供給された。この巨大なトラストが

 

なかったらドイツ軍はただの一回の戦争もなしえなかったで

 

あろうと言われている。そればかりでなく、資本家たちは口を

 

極めて「化学戦」の重要性を軍部に鼓吹した。こうして、残忍な

 

 

新兵器ーー毒ガスーーが戦場にあらわれ、連合軍の兵士を殺した。

 

 

第一次世界大戦でドイツ軍国主義が敗北し、ヴェルサイユ条約が

 

締結され、ルールの軍事占領が断行されても、これらの化学工業

 

独占体はビクともしなかった。インフレーションは、労働階級の

 

犠牲において、彼らを一層富ませ、負債を減殺する役に立った

 

だけであった。こうして、1925年12月、巨大な化学工業独占

 

体として確立されたIGファルベンは、再建途上のドイツ帝国主義の

 

背骨となって行った。1930年までに、ドイツ化学工業に投下

 

された資本の3分の1IGファルベンの本社の支配下にあり、

 

もしも資本を通じて支配する子会社を計算に入れれば、実に

 

3分の2はその支配下に立っていたのである。

 

 

p105==ハーケンクロイツとともに

 

IGファルベンは、政治の分野では、反動勢力の再建強化をもたらす

 

大きな推進力となった。IGファルベンは、あらゆる右翼政党と関係

 

をつけ、巨額の政治活動資金をばら撒き、選挙に際しては投票を

 

買収した。すでに1931年から1932年にかけて、目先のきく

 

IGファルベンの重役たちはナチスへの献金を始めている。ヒトラー

 

の道こそが戦争に通じ、したがって、ボロい戦時利得を約束する

 

ものであることをIGファルベンは、死の商人の第六感で感じ取って

 

いたのである。1932−44年の間に、IGファルベンは合計4000

 

マルクをヒトラーに貢いだ。ヒトラーを政権につかせ、ドイツの

 

独占体が大規模な戦争準備に突進できるようにするために、ドイツ

 

の産業資本家、金融業者たちをヒトラーと結びつける橋渡しを

 

した立役者こそ、実に、IGファルベンであった。

 

・・人造石油、合成アンモニア、合成ゴムーーこの3つの重要な

 

戦略物資は、実に、IGファルベンがヒトラーのために供給した

 

ものであった。石油とアンモニアとゴムは、第一次世界大戦当時、

 

カイゼルがその欠如ないし不足を慨嘆した物資であり、これを充足

 

することは、ヒトラーの第一の関心事だった。この3つの戦略物資

 

が完全に自給できることが分かったとき、ヒトラーは、侵略戦争の

 

洋々たる前途を夢想したのである。「ブーナ(合成ゴム)S

 

タイヤあるいは無限軌道を足とし、合成ガソリンで疾走する装甲

 

車両が完成された時、ドイツ軍参謀本部は再軍備が最終段階に

 

到達したことを知った。今や、ヒトラーが「すすめ!」の合図を

 

下しさえすれば、いつでも戦争をおっぱじめることができた」

 

(サシュリー)

 

 だが、実際、IGファルベンの爆薬を込めた第一弾が発射される

 

以前、すでに戦争は始まっていた。それは、宣伝戦、スパイ戦、

 

経済戦である。今度の戦争における最大のスパイ網の組織者は

 

 他ならぬIGファルベンだったと言われている。戦争直前、IG

 

ファルベンの結んだカルテル協定の網の目は、地球全体を覆って

 

いた。それで、IGファルベンの世界にまたがる販売網は、そっくり

 

そのままナチスの第5列(諜報部隊)に利用できるようにされた。

 

この実に93か国に散らばったIGファルベンの代理店は、ナチスの

 

諜報組織としての機能を果たしたのである。

 

むろん、IGファルベンの支配下にあった外国の商社は、たくみに、

 

カムフラージュされていた。例えば、アメリカのジェネラル・

 

アニリン・アンド・フィルム会社がその一例である。第二次世界

 

大戦が勃発した時、この会社は「中立系」の会社であると宣言

 

した。それに先立って、用心のために、株はIGファルベンに属する

 

 のではなく、スイスIG化学という正体のはっきりしない会社に

 

属するように委譲されていた。ところが、言うまでもなく、スイス

 

IG化学は、IGファルベンが巧みにカムフラージュした子会社で

 

あった。戦争が始まるやいなや、IGファルベンとスイスIG化学との

 

正式の関係は一切断絶したが、アメリカにあるIGファルベンの重要

 

 な資産ーー例えばジェネラル・アニリン・アンド・フィルムーー

 

を敵産として接収されぬように措置を講じたのは、このスイスIG

 

化学だった。つまり、本来の靭帯は極秘のうちに維持されていた

 

のである。

 

IGファルベンは、ジェネラル・アニリン・アンド・フィルム以外

 

にも、特別の機関を作っていた。ニューヨークに事務所を持つ

 

ケムニコ会社がそれであった。ケムニコの目的は、軍事的に重要な

 

技術上のデータを密かに盗みとることであった。ケムニコ社の株式

 

の大半はアメリカ人の所有にかかり、役員の大部分もやはり

 

アメリカ人だった。だが、実際は、このケムニコこそ、ナチス・

 

ドイツの軍事諜報機関そのものだったのである。ナチスのスパイ

 

たちは、その影に隠れて、悠々とニューヨクに住み、素知らぬ顔で

 

スパイ活動を続けていたのだ。

 

このように、IGファルベンは、戦争のために巨額の投資をした

 

わけであるが、この「投資」は引き合ったのであろうか。

 

 もちろんである。

 

投下された資本は数百倍になって帰ってきた。サシュリーは、次の

 

ように書いているーー

 

「ヒトラーが政権にあった最初の10年間、つまり1933年から

 

1943年の間に、IGファルベンは新工場建設、旧工場の拡張に40

 

マルク以上を投資することができた。この資金の大部分は、ナチス

 

政府から与えられたものである。・・・IGファルベンは、初めから

 

終わりまで金儲けに終始した。恐慌の最悪状態の時でさえ、

 

IGファルベンは利益を上げていた。だが、1932年以来という

 

ものは、それこそ大当たりだった。毎年毎年、収入も利潤も新記録

 

に次ぐ新記録を作った。

 

1943年の総利益金は1932年のそれの16倍に達した。1920

 

年代にIGファルベンが組織された時、それは、すでに巨大な企業

 

だったが、1943年の総利益金82200万マルクという数字は

 

1925年当時の総資本金より多いのだ」。

 

 当時、IGファルベンは、全ドイツに600を超える工場をもち、

 

25万名の労働者を使用していた。IGファルベンはヒトラーの国防軍

 

に対して、爆薬必要量の84%、火薬の70%、合成ゴムのほとんど全部

 

を供給し、国庫から年額10億ドルの支払いを受けていた。(また、

 

ドイツ軍占領地域の工場施設を次々略取し、その権益や特許権など

 

まで自分のものにしてしまった)

 

だが、このような略奪行為とともに忘れてならないのは、IGファルベン

 

が恥知らずにも行った「人道に反する罪」である。

 

 

IGファルベンの工場では、俘虜はもちろんのこと、占領地域から

 

強制的に連れてこられた非戦闘員が強制労働をさせられた。

 

IGファルベンの実験所では、コンツラーガー(強制収容所)の囚人

 

たちが、新発明の毒物の実験台としてモルモットの代りに使用された。

 

このようなIGファルベンの「人道に反する罪」は、ニュルンベルグ

 

の国際軍事法廷で暴露された。

 

その断片によると、「IGファルベンは、125000人の強制労役者と

 

コンツラーガー収容者に対して、毒ガス、血清その他の製品の実験

 

を試みた。

 

オスヴィエチウムの合成ゴム工場に強制労働を供給する目的で,

 

 コンツラーガーを増設する際男女児童を酷使したが、その結果、

 

1日に100名の衰弱による死亡者を出した・・・」

 

こういう例は、むろん、数えきれぬほどあるのである。IGファルベン

 

こそ「最も科学的なバーバリズム」の権化であった。

 

 

p115==「解体」の茶番劇

 

 ドイツの降伏後、IGファルベンの重役たちは米軍に逮捕されて

 

尋問を受けた。だが、もうその時でさえ、「アメリカやイギリス

 

から商売上の友人たちがやってくれば、こんな調査はすぐ取りやめ

 

になるだろう。」と太々しく食ってかかっていた。・・

 

IGファルベンの戦犯たちを厚遇せよという圧力は、ドイツ占領当初

 

から、もう連合国委員会の中枢にいたアメリカ独占資本の代弁者たち

 

から、盛んにかけられていたのである。これでは、ニュルンベルグ

 

におけるIGファルベン首脳の裁判とその判決が茶番劇に終わった

 

としても 一向不思議ではなかったろう。

 

 (中略)

 

1948年以降、英米仏の占領地域では,カルテル解体作業は

 

 事実上停止された。さらに、1952年には、占領軍当局は、

 

IGファルベンを5つの独立した会社に分割する法律を公布、実施

 

した。だが、この分割案は、IGファルベンにとって、別に痛くも

 

痒くもなかった。というのは、ファシズムと侵略戦争の12年間に

 

ブクブクと肥え太り、頭でっかちになり過ぎてしまっていたIG

 

 ファルベン自身が、対戦中、すでにある種の集中排除プランを

 

作成していたのであって、1951年におこなわれた「解体」は、

 

他でもないこのプランにほぼ沿ったものだったからである。

 

しかも、それは、「ポツダム宣言に基づくカルテル解体」という

 

美名の元に行われた。

 

 

p119==軍国主義復活の支柱

 

 こうして、IGファルベンは見事に復活した。それは、形式的には

 

分割されたが、実際には、やはり、一つの巨大な化学工業独占体

 

であり、西ドイツの化学工業界を支配する大王国である。

 

IGは、名義上は、主として、3つの「後継会社」に分割された。

 

・・・しかし、この三者は、共通の販売機構をもち、重役の

 

兼任、交流を行い、他社に共同で参加し、販売市場を分割調整

 

している。また、三者は毎年仲良く同率の配当を支払い、国内

 

に合成ゴム工場を共有し、インドのボンベイ近郊に科学工場を

 

共同で建設した。この「トリオ」の周りにある約50社を

 

ひっくるめたIGファルベン・コンツェルンの年間総売上額は、

 

80−100DM(ドイッチェ・マルク)に達する。

 

それはさておき、IGファルベンは、戦後まもなく軍需生産を

 

 再開した。・・アデナウアーのもとに西ドイツ国家が作りだされ、

 

 軍国主義、復讐主義が復活されるにつれて、また、西ドイツ国防軍

 

 NATOの中核になるにつれ、西ドイツの軍需生産におけるIG

 

比重は、ますます重みを増してきている。ただ、戦前と違うのは、

 

 IGファルベンが、ジェットエンジン用の燃料や原子燃料の開発に

 

力を注ぎ始めたことである。IGは、その大工場のあるフランクフルト・

 

アム・マインに近いグリースハイム市に原子力研究センターをもち、

 

また、フランスのサン・ルーにある独仏共同の原子力研究所にも

 

関係を持っている。・・

 

 こうしてIGファルベンは、西独の核武装が迫るにつれ、再び、

 

西ヨーロッパにおける戦争の危険の源泉になりつつあるのである。

 

 

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キツネの読書感想文:岡倉古志郎氏のこの本は,最近,アマゾンの

 

古本で手に入れたのだが,いまのご時世にぴたりとはまる.

 

 INPS JAPAN`の記事によれば、ドイツはNATOの核抑止政策の

 

一環として、冷戦時に配備されたアメリカ製核爆弾を、まだ1020

 

程度国内に残しており、核共有政策を維持している。(独自の核兵器

 

は所有していない)

 

核廃絶をめぐって、ドイツ国内にも様々な議論がある。

 

実は日本国内にも核兵器が実際に持ち込まれた事実があったと

 

言われるが、現在ではどうなのか、キツネは知らない。だが、

 

いつでも持ち込まれる状態ではあるだろう。

 

ドイツ人も日本人も、連合国、というより米国の核の傘に護られて・・

 

という体裁は同じであるが、反NATOの軍国主義国家が間近にいて、

 

いつ攻め込んでくるかも知れない、常に標的にされている国と、

 

大陸の縁にへばりついて、四方の海を見張っていれば良い(?)日本

 

 との違いは、・・・太平洋の彼方からやってきて、「ちょっと基地を

 

置かせて。迎撃兵器をここに据え付けて、あんたん所に飛んでくる

 

長距離核爆弾をやっつけたるから」という奇特な御仁のいうことを

 

信じて、敷地の一部を貸しているお人善しの大家みたいな国との違い

 

だろう。 キツネに言わせれば、この借家人が、なぜ自宅のひろーい

 

庭に迎撃機を据え付けて長距離ミサイルをやっつけないのか、

 

金持ちなのに?

 

また、「中国って悪いやつ なのさ」と事あるごとに宣伝して、

 

「あんたらも迎撃機を買わんかね?」と持ちかけるのか?中国や

 

北朝鮮のミサイルが日本に飛んでくるのは、アメリカの軍隊がそこ

 

にいるからじゃないのか?とか、色々疑問に思っている。

 

 で、その答えを、岡倉古志郎著・「死の商人」の中に見つけた。と、

 

ここに宣言しておこう。

 

長いこと「軍部の独走」で片付けられてきた中国への侵略戦争と

 

財閥の生態、戦後の復活、昨今の出鱈目な軍備増強、アメリカの

 

太平洋支配、そこに「死の商人」の活躍を見る思いがするが・・・

 

 

 

 


ホソバアキノノゲシ  11月26日

 

夏の日照りをきらって,葉が残らず枯れてしまったので,あきらめていたところ,

11月のなかばになって気温が下がると,若い芽が出てきた.根っこで越冬したら,

来年は花が見られるだろう.1年〜2年草の意味がわかった.野草というのは,

なかなかしぶとい.