リュウノウギク こんな優美な野菊が,野原から消えた.
なんともったいない.自生植物の保護だって?お題目だけならやめてくれ!
🦊 2020 10 22
なぜ日本は核兵器禁止条約に署名しないのか?という質問に、「わかりやすく」
答えるというブログがNETに出ている。「其の回答は簡単だ。核兵器禁止条約は、
日本の安全保障にマイナスの効果をもたらす。・・・もし日本が核兵器禁止条約に
署名した場合、核の傘を閉じなければならなくなる。(つまり日米安保解消)
それは日本が北朝鮮や中国による核兵器の脅威に対して、無防備にさらされること
に他ならない」と言うもの。
次に、この板挟み状態を解決するために、日本政府が取っているスタンスが本当に
効果をあげ、核兵器廃絶と新しい日米安保が同時に成立する日がくるであろうか?
と言う疑問に対して、其のブログは次のように答えている。「日本政府としては、
核兵器の非人道性をアピールするために、海外で原爆展の開催、支援などを行って
いる。 ただし、核兵器の非人道性についての認識の違いによって国際社会が分断
されてはならないと考えている(外務省文書)。つまり、国際社会に、2つの溝が
深まっている。
1つ目は核保有国と非核保有国の間の、核兵器禁止条約をめぐる対立、
2つ目は非核保有国同士のもので、核保有国の同盟国である非核保有国と、
核兵器禁止条約を 推進する非核保有国との間の溝である。この溝をさらに深める
可能性が、核兵器禁止条約にはある、とする。だから、其の中間で双方をとり持つ
日本政府のスタンスは間違ってはいない、と言う。
と、ここまでは分かり易いと言えばわかりやすい。しかし、その分断解消の具体策が
日本政府にあるかと言うと、そこは曖昧だ。説明しようとすればするほど、「わかり
にくくなる」だろう。核兵器の非人道性はともかく、現在では「核の脅し」が幅を
きかせている。核兵器禁止条約は、「核兵器その他の核爆発装置を使用し、または
これを使用するとの威嚇を行うこと」を禁止しているそうだから、アメリカがこれに
賛同するわけがない。核兵器開発はますます発展し、今に観測衛星や宇宙船に
小型核兵器が装備されるのが当たり前になるだろう。民間人を犠牲にしなければ、
何をやっても良い、と言う時代がくる。生身の人間抜きの宇宙戦争は、莫大な
カネを食らいつつ膨らみつづけ、人間は其の金を生み出すために奴隷のように
働き続ける.
宇宙の敵はどこにいる?それは人間そのものじゃないのか!
遠い昔にパールバックが予言した言葉を思い出してみよう.
「白人たちが構築した人種の障壁を急いで取り壊さないと,ハルマゲドン
に備えるほかないであろう...そうなれば私たちはとりわけ白人男性の
ために,途方もない規模の闘争と戦争だけの将来に備えなければなりま
せん.巨大な規模の化学戦にひるんではなりません.圧倒的に優勢で,
技術において私たちと互角の有色人種を抑えるために.
これは,どんな人間が望む未来なのでしょうか」
「権力政治を超える道」
坂本義和著 岩波現代文庫 2015年刊
p467『世界社会のトレンド』から要約すると
これからの世界ーー脱近代社会では、支配階級と被支配階級の双方に
おいて非人格化、脱近代型の差別、民主主義的多数決原理の機能不全
が起き、どちらの階級の運動も組織性を欠いたものになる。
1。社会における非人格化の進行。地球規模での都市化の傾向は止まら
ない。先進国では、技術の発展が人々の期待を上回るが、発展途上国では、
期待の水準が技術の発展を上回りがちである。・・其のような傾向の底流
には、社会の機能的分化の増大というトレンドがあり、社会関係の平等化を
促進すると同時に社会の非人間化をもたらす。それは、人間を人間そのもの
として見るのではなく、機能及び手段として見ることによって、重要なのは、
個人の人格ではなくて、その個人がはたす機能となるので,人は置換可能,
交換可能な存在になっていく。
それは、一方では人々の挫折感(生活が期待する水準に達しない場合)や
摩擦を先鋭化させる。と同時に、他方では人間が単なる部品と化して、
人格を否定されることから来る不満感から、建設的な共同行動へと転換
することがますます困難になる。
2。脱近代社会の多くは福祉国家であるが、被支配層の一部は要求が満たされ
るが、マイノリティは孤立し、分断される。この分断があまりにも深まる
ため、抵抗運動までもが分断化されてしまうのである。19世紀の偉大な
思想家が思い描いていたような、偉大な大義とイデオロギー的結束とに
導かれるという時代は過去のものとなるであろう。実際、すでに若者、
女性、人種的マイノリティ、さらには産業労働者の間でさえも、
無政府主義的傾向と内部の分裂によって、統一運動の形成が困難に
なりつつある。
3。p474「民主主義的多数決原理の機能不全」によれば
被支配者集団の分断化という現象は、社会の不満を癒すはずの民主主義の
あり方について、基本的な再検討を加える必要を示している。
本来の民主主義革命とは、被支配者の中の活動的な多数者(ブルジョア、
プロレタリアート、農民)が中心となって、社会システムを変えようとする
ものであったが,脱近代社会システムでは、社会システムから疎外された
少数者集団が、基本的な パターンとしては、抗議行動を起こし、成功した
場合は、分離、独立の道を選ぶという形をとる。現代社会の多数者は、
少数の不満に対して必ずしも敏感に反応しない。受動的な多数者
(サイレント・マジョリティ)による支配が、将来の民主主義の一般的な
パターンとなるだろう・・・そして社会の結束力も弱まっていくであろう。
世界政治の構造は、自由主義モデルの社会に近いものになると思われる。
しかし、今日、国家レベルの民主主義システムが十分に機能していない
ことを考えれば、世界レベルの権威構造はどのようなものであるべき
なのだろうか。世界秩序の中核的価値観を強化するような同一化の
シンボルは何なのであろうか。
p477「民衆の意見を反映させる方法」
其の1。「国境を超えた参加」・・国連のような政府間の組織だけでなく、
民際組織(transnational organization)`の活用。例えばビジネス、産業、
労働者、専門家、宗教、女性、高齢者などの民際組織は、国連と其の専門
機関に協議資格で代表集団を送ることができる。国際社会での民際組織の
役割が高まり、 影響力が増していけば、これまでの各国政府が独占して
いたコミュニケーションの経路を多数化し、多様化する。(この場合の
欠点としては、民際組織は、活動資金、人的、物的資源などに左右され、
例えば大企業や医師、法律家、大学教授などの有利な地位にある組織が、
従属的地位にある人々の見方や利益を損なう場合もある。
また民際組織は、規模が拡大し、非人格的なものになりやすいので、
巨大な非政府官僚組織を生み出すかもしれない)
其の2。「諮問総会(Consultative Assembly)を国連に新設する」
(各国で得票率10%以上の野党から国連に代表団を送る)
この総会の役割が、諮問と協議に限られるとしても、少数派の意見と利益を
国際的な意思決定過程に反映させる助けとなるであろう。
其の3。「グローバルな調整機能を草の根レベルの共同体と結びつける」
社会関係の非人格化と分断が進む世界で、国連のようなグローバルな
調整機構がなすべきことは、「人々を共同体形成に関与させ、多様性を
保持しながらも,一体性のある社会集団として肯定的なアイデンティティ
を持てるようにすることであろう。」そして、巨大な官僚機構である
国連も又、社会の非人格化を進め、人々の水平的な連帯を断ち切るもの
だというイメージをもたれないようにするためには、「共同体形成の
比較的小規模なモデル・プロジェクトを世界各地で立ち上げることが
必要である。」
この提案の背後にあるのは、以下のような考えである。
「発展途上国において、経済的に遅れている地域やセクターの多くは、
失業、低識字率、職業訓練の不備、都市への人口流入に苦しんでいる。
ほとんどの場合、都市地域への人口移動は、特にそれが人種的・民族的な
差別を伴うのであれば、移住者の非人格化と疎外を悪化させるだけで
あろう。同じことは、グローバルな規模の南北格差にも当てはまる。
それゆえに、今真剣に検討されなければならないのは、政府が個人から
社会的、地理的な移動の権利を奪うことなく、しかも低開発地の地域や
セクターの人々が自ら進んで自分たちの地域に留まり続けるような
開発計画の構想の実施である。其のためには、小都市や産業を農村に
拡大し、農村と都市の両方のライフスタイルを享受できるような共同体を
開発することが必要となる。格差の不利益を受ける集団や地域への支援
措置としては技術的、職業的な訓練を地域の人々に幅広く行って、共同体
形成活動の中核的な担い手を育成することがある。共同体育成は、本質的に、
土着の指導者層の育成に大きく依存する。また、情報を重要な資源とする
国連システムに最もふさわしい役割の一つは、技能知識、文化を非営利的の
人道的な目的で、これらの人々に伝えることにある。」
(中略)
これらの協議機能の活発化によって、国連システムの3つの役割が強化される
ことになる。
1。格差や差別の下に置かれた人々、彼らの基本的人権に直接関わる決定や
勧告に影響を与えることができる。
2。国連システムは、協議プロセスにおいて継続的なコミュニケーションの
チャンネルとなることによって、差別に関する情報交換センターの役割を
果たし、世界の他地域で行われている共同体形成に関わる人びとを支援する
ことができる。
3。以上の機能を通じて、国連システムは、人類の根本的なニーズを充たす
ことができる。それは、巨大なグローバル組織がもたらしかねない非人格化
の陥穽を避けながら、人々が自ら選んだ共同体に対する同一化とを結び付け
られるように、其の象徴的な媒体としての役割を果たすことである。
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🦊🦊なんとすばらしい!理想の国連改革だ!
でも貧乏キツネは心配になる.金の工面はどうする?いまでも国連への
拠出金を出すの出さないのとモメている.
そうだ!世界中で戦争をやめよう!軍事費をうんと少なくして,余った金を
そっくり新しい国連につぎこめば,アフリカの飢えている子供や,地中海の
岸辺でさまよう難民の問題を解決できるし,また南米で,乱開発のため
住処を追い出された動物たちに安住の地を与えられる.
「国境を超えた参加」がいかに難しいことか,共通語としての英語を使っても,
「国境を越えた対話」がいかに難しいことか.
若い人に聞いてご覧.「民主主義ってどんなこと?」こたえは「多数決で
決まるってことでしょ」と.
国内でも,被差別者からの声は,多数の国民から無視される.
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2,020 10 26
「自己に都合の良い解釈」は日本人の伝統のお家芸だ,とだれかが言って
たが・・自分とこの「隙間にはさまれたヤモリ」状態を,何とかしよう
とはせず,逆手に取ってひらきなおり,「オレが左右の柱をむすびつけて
るのさ!」だって!!
朝日新聞 < 2020年 10月 26日 >による
「核兵器禁止条約の批准地域が,10月24日,発効に必要な50に達した.
条約は来年1月22日に発効する」
「ただし,条約を批准しない国に対する法的拘束力は無い」
「核兵器には誤作動や人的ミスの恐れが伴い,持つこと自体が危険だ」
「禁止条約には核兵器を使いにくくする効果がある.すぐには核保有国の
行動につながらなくても,人類が破滅を避けるためには欠かせないものだ」
(が,日本政府はこれに賛成もしないし,批准もしない)
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2020 10 30
「ヒロシマ」増補版
ジョン・ハーシー著 石川欣一/谷本清/明田川融 訳
法政大学出版局 2014年刊
🦊'ジョン・ハーシーは、1946年にライフおよびニューヨーカー紙の記者
として広島を訪れ、三週間の間に、六人の生存者にインタビューを行い、
其の記事は「8月3日付けニューヨーカー紙の全誌面を埋めて掲載され、
其の日のうちに30万部売り切るというセンセーションを巻き起こし、
同年ノッフ社から単行本として刊行された。それまでほとんどのアメリカ人
が知らなかった、1945年8月6日に、「キノコ雲」の下の広島で実際に起きた
ことを、そこに生活していた人々の証言によって伝えたことが、HIROSHIMA
の最大の特徴であり、其の点がニューヨーク市民に伝わったのだと言えよう」
(訳者あとがきより)
p1「音なき閃光」から抜粋ーー
「爆弾投下の前夜、真夜中近い頃、市の放送局のアナウンサーは、B29約
200機が本州南部に接近しつつありと報じ、広島市民は各自指定の「安全地帯」
に避難せよ、と通告した。仕立て屋の後家さん中村初代さんは、幟町という
町内に住んでいたが命令通りにする習慣が身についてからもう長い。
二人の子供ーー10歳の敏男、8歳の八重子、5つになった三重子ーーを寝床の
中から出して着物を着せ、東練兵場と言われる、市の北東端の陸軍用地まで
連れて行った。ゴザを2〜3枚広げてやると、子供達は其の上に横になった。
2時ごろまで親子は眠っていたが、広島上空を過ぎていく飛行機の爆音で
目が覚めた。飛行機が通過してしまうと、すぐ中村さんは子供達を連れて
帰途につき、2時半を少し過ぎる頃、家に着いた。いきなりラジオのスイッチ
を入れると、ちょうど又、新たな警報の放送中であった。見れば子供たちは
いかにも疲れているし、また、この数週間、何度も東練兵場まで無駄足
踏んだことを考えると、いくらラジオの指令でも、もう一度あの長道を出直す
気にはどうしてもなれない。畳に敷いた布団の中に子供を寝かせてやり、
3時には自分も横になった。すぐ、ぐっすり寝込んでしまって、その後、
飛行機が通過した音も知らなかった。・・
・・彼女の暮らしは楽ではなかった。夫の勲さんは三重子が生まれるとすぐ
召集になり、長い音信不通ののち、夫がシンガポールで戦死し、伍長に
なっていたことをその後の報せで知った。勲さんの仕立て屋は元々流行る
方でもなく、三国ミシン1台が唯一の資本だった。夫の死後、手当ての送金が
なくなってからは、中村さんは其の古ミシンを持ち出して手間賃仕事の注文を
とり、以来、お針稼ぎで細々ながら子供達を育ててきた。・・
7時頃、やかましいサイレンで叩き起こされた。起き上がって手早く着物を着、
隣組の中本さんの宅へ急いで行って、どうしたらいいでしょうかと尋ねてみた。
中本さんは、断続的な空襲警報のサイレンが鳴らない限り家にいた方がいい、
といった。。。ホッとしたことには警戒警報解除が8時に鳴った。子供たちが
ゴソゴソするのを聞きつけて、枕元へ行って、一人ひとりに一握りずつの
南京豆をやり、夜出歩いたので疲れているから布団の中にいなさいといった。
中村さんが隣の人(防火路のために自宅を犠牲にして、女学生たちの助けを
借りてガンガン、バリバリと取り壊しているところだった)を眺めて立って
いたとき、あたり一面がまだ見たこともないほどの白さで一瞬光った。
・・さすがは母親、反射的に子供たちのいる方に動いていた。たった1足
踏み出した途端、(この家は爆心から約1.5キロのところにある)何者かに
摘み上げられたような格好で、一段高い寝間越しに次のへやにすっ飛ばされた。
家の破片があとを追って飛んだ。
ドタンと体が落ちたと思うと、柱や板が周りに降ってきて、バラバラと瓦の
雨に叩かれた。真っ暗になった。埋まったのだ。だが身体を埋めた崩壊物は
そう厚くはなかった。起き上がって邪魔物を払いのけた。「お母さん、助けて!」
と子供の一人が泣き喚く。一番小さい5つの三重子が、胸まで埋まって動け
ないのだ。中村さんは狂ったようにかき分けかき除け、末っ子の方に近づこう
とした。他の子供たちは姿も見えず、声も聴こえなかった。・・
・・炸裂のあと、家の残骸の下からもがき出た仕立て屋の後家さん、中村初代
さんは、三人姉妹の末っ子の三重子が胸まで埋まって動けないでいるのを見て、
崩壊物を這って渡り、大急ぎで子供を救い出そうと、材木をぐいぐいと取り
除けたり、瓦を跳ね除けたりした。すると、「助けて!」「助けて!」と、
微かに二人の声がする。どうやら、ずっと下の方の穴倉の中で呼んでいる
ように聞こえた。初代さんは10歳の息子と9歳の娘の名を呼んだ。ーー
「敏男! 八重子!」 下の方で答える声がした。とにかく`息だけはできる
三重子をそのままにしておいて、初代さんは泣き声の蓋をしている崩壊物を
狂ったようにに投げ飛ばした。子供たちは台所から3メートルほどのところに
寝ていたのだが、どうやら、やっぱりそこから声がする。敏男はいくらか
身動きができるらしく、母親が上から掘り出しにかかっていると、自分でも
積み重なった木や瓦を、下で掘り分けている様子である。とうとう敏男の頭が
見えた。急いで掴んで引きずり出した。敏男の両足に蚊帳ががんじがらめに
巻きついている。まるで誰かが丁寧に包み込んだようだった。部屋の端から
端へ吹き飛ばされ、崩壊物の底で八重子の上に重なっていたという。すると
今度は下の方から八重子が、足の上に何かが乗っかっていて動けないという。
初代さんはもうひと掘り掘って、八重子の上まで穴を開け、腕を引っ張った。
「痛い!折れちゃう!」と八重子が叫ぶ。「痛いの、痛くないのと言ってる
ときじゃないよ」と初代さんは大声を出しながら、泣き声をたてる娘を
ぐいと引っ張り上げた。次に三重子を掘り出した。子供たちは汚れきって、
打撲傷を受けていたが、切り傷や擦り傷は一つもなかった。
初代さんは、子供達を表に連れて出た。とても暑い日だったが、パンツ一枚
きりの子供達が寒いだろうと心配になった。気が動転していたのだ。とって返し
て崩れた家の下に潜り込み、万一の用意に包んでおいた着物類を見つけ出した。
そして子供たちにズボン、ブラウス、靴、防空頭巾、それにトンチンカンにも
外套まで着せてやった。子供たちは黙っていたが、ただ5つの三重子は
「どうしてもう夜になったの?どうしてお家が倒れたの?どうしたの?」
と訊き続けた。・・
薄暗い中に、隣近所の家が総倒れにつぶれている。今朝、防火路を開ける
ために、主人が手ずから壊しにかかっていた隣の家は、今は完全に、
めちゃめちゃに壊れてしまい、公共の安全のために持ち家を犠牲にしようと
していたその人が、死んで転がっている。・・
気の弱い隣の畑谷さんの奥さんが、中村さん、一緒に浅野泉邸の森に逃げ
ましょう、と話しかけた。・・で、初代さんは子供達や畑谷の奥さんと一緒に
浅野泉邸に向かって歩き出した.非常用の衣類を入れたリュックサックを
背負い、其の他に毛布一枚、傘一本、スーツケースに納めて防空壕にしまって
おいた品物、これだけを提げて行った。急いでいく道すがら、あちらこちら
の倒壊家屋の下から、助けを求める悲鳴が微かに聞こえた。
三重子がしばらく通ったカトリック幼稚園の隣のイエズス会宣教師館が立って
いただけで、泉邸までの道中、一軒残らずつぶれていた。其の宣教師館の
前を通りかかったとき血だらけのシャツのまま、クラインゾルゲ神父が
小さいスーツケースを手に提げて、家の中から走り出してくるのが見えた。
p21「火災」より
炸裂の直後、イエズス会のウィルヘルム・クラインゾルゲ神父が、シャツ一枚
で野菜畑でウロウロしていた間に、ラサール司祭長は暗がりの中を、建物の
角を回って出てきた。 身体中、ことに背中が血だらけだ。光ったと見て、
身体を捻って窓を避けたが、微塵に砕け散るガラスを浴びたのだ。まだ
呆然としていたクラインゾルゲ神父が、やっとのことで「他の連中はどこに
いますか」と尋ねたちょうど其のとき、宣教師館に住む他の二人の司祭が
出てきた。無傷のシースリック神父は、左耳の上のところを切った
シッファ神父を抱えている。シッファ神父は傷口から吹き出る血を全身に
浴び、顔は真っ青だ.
シースリック神父は心中いささか得意らしい。光った直後、建物内で一番
安全な場所だと、かねがね考えていた玄関口に飛び込んだので、爆風が襲った
ときにも怪我がなかったからである。シッファさんが出血でやられたそうだ、
早く医者へ連れて行ってあげなさい、隣の街角の神田博士か、6丁ほど
向こうの藤井博士がいいでしょう、とラサール神父がシースリック神父に
勧めた。二人は構内から町通りへ出て行った。信仰問答教師の星島氏の
娘さんがクラインゾルゲ神父に走り寄って、教会敷地の裏手にあった自宅が
つぶれ、母と妹が下敷きになっていると言った。それを聞きながら神父二人は、
敷地の表側に住んでいたカトリック幼稚園の保母も、やはり押しつぶされ
ていることに気がついた。ラサール神父と教会家政婦の村田さんが保母を
掘りだす一方、クラインゾルゲ神父は星島氏の倒れた家に駆けつけ、うず
高い残骸を、上から取り払い始めた.下からは物音一つ聞こえない.
女二人はどうも死んだらしい。とうとう、台所の隅にあたる場所の下の方に、
星島夫人の頭が見えた。死んでいるものとばかり思って、髪を掴んで引き摺り
出そうとすると、「痛い!痛い!」と突然夫人が悲鳴をあげた。神父は、
もうひと掘り掘り下げて夫人を抱え出した。なおも残骸を放り返してようやく
娘さんを見つけ出し、これも助けた。二人とも大した怪我はなかった。
宣教師館の隣の銭湯はもう燃えていたが、風向きが南なので、宣教師館は
助かるものと神父たちは考えた。しかし用心するに越したことはない。
クラインゾルゲ神父は焼きたくない品々を取りに家の中に入った。自分の
部屋の混乱状態は常識では判断できぬ不思議さである。救急袋はなんの異常も
なく壁の釘にぶら下がっていたが、それと並んだ釘にかけておいた法服類は
どこにも見当たらない。机は木っ端微塵に割れて部屋中に散らかっていたが、
机の下に隠しておいたありふれた紙張子のスーツケースは、擦り傷一つなく
取手をちゃんと上に向けて、ここですよと言わんばかりに戸口のところに
立っていた。スーツケースの中には祈祷日課表、全教区会計簿、自分の責任
で保管している教会所有の紙幣多数が入れてあったのだ。これが無事だった
のはまさしく神慮の片鱗かと、のちにクラインゾルゲ神父は思い当たった
のである。宣教師館から走り出て、スーツケースを教会の防空壕に納めた。
これと前後して、シースリック神父と、まだドクドクと血の止まらぬシッファ
神父が帰ってきた。訊けば、神田博士の家はつぶれてしまい、被害区域
(局所的なものだろうぐらいに考えていた)から京橋川岸の藤井病院へ
いく道は、もう火の手が回って抜けられないとのことである。(以下略)
p117「「「ヒロシマ・その後」より
🦊(それから39年後の1985年に、ハーシーは再度広島を訪れた。)
「中村初代さんは衰弱し、暮らしも貧窮していたけれど、彼女の子供たちと
自身が生きるために、其の後何年も続く勇気ある戦いを始めた。中村さんは
彼女の錆びついた三国ミシンを修理し、裁縫の内職を始めた。其の上中村さん
は、近所の、彼女よりも幾分暮らし向きが良い人たちの掃除、洗濯、皿洗い
までした。けれども中村さんはとても疲労するので、3日働くごとに2日の
休養を取らなければならなかった。だから、何かの事情で中村さんが丸々
一週間働かなければならないとしたら、彼女はそれから3、4日は休ま
なければならなかった。中村さんの稼ぎでは食べてゆくのがやっとだった。
この不安定な時期に、中村さんは病気になってしまった。お腹が膨れ始め、
下痢を起こし、ひどい痛みで、もはや働くことができなくなってしまった
のである。中村さんの近所に住んでいた一人の医者が、中村さんのお腹には
回虫がいると診断した。そして医者は、「もし回虫があなたの腸を食い破って
しまえば、あなたは死んでしまいますよ」と間違ったことを言ったのである。
其の当時、日本では化学肥料が不足していた。そこで農家は下肥を使い、
其のため多くの人のお腹に回虫が寄生し始めたのである。医者は中村さんに、
よもぎ科の植物から抽出される、やや危険な薬であるサントニンを処方した.
中村さんは医者に治療代を払うために、金目の物で最後に残っていた旦那さん
の形見のミシンを売り払わなければならなくなった。中村さんは、のちに、
彼女の一生のうちでドン底状態の、そして最も悲しい瞬間だったと思うように
なった。・・
中村さんのような人々は、「被曝者」ーー文字通りには「原爆を浴びた人々」
と呼ばれるようになった。被曝者は、原爆投下から10年以上もの間、経済的な
地獄の中に暮らした。其の原因はといえば、日本政府が、勝利者である合衆国
の凶悪行為に代わって自らが道義的責任を負うようなことは一切認めたくない、
という態度を取っていることにあったと思われる。
1954年に、第五福竜丸事件が起きたが、それは、中村さんが唐山化工
(防虫剤パラゲンの製造元)に勤め始めた翌年のことだった。日本で熱い
怒りの嵐が打ち続く中で、ついには広島、長崎の被曝者に対する適切な
医療対策が政治の日程に登ってきた。1946年以来ほぼ毎年、広島原爆記念日
には、広島市の復興期に都市計画家たちが追憶のセンターとして設置した
公園で平和祈念式が行われてきた。1955秊8月6日。第一回原水爆禁止
世界大会のために世界中からやってきた代表が、其の公園に集まった。
其の2日目、大勢の被曝者は、日本政府が彼らの窮状に見て見ぬふりをして
きた事実を涙ながらに証言した。
日本の各政党は、被曝者たちの訴えを取り上げた。そして1957年、ついに
国会は原爆被曝者のための医療法を可決した。同法と其の改正法は、援助を
受ける資格のある者を4つの等級に分けて定義していた。すなわち、原爆投下
の当日に市内にいた者、原爆投下から14日以内に爆心地の2キロメートル
以内に入った者、応急処置を行ったり、または遺体処理に当たって被曝者と
身体的接触を持つに至った者、これら3つのいずれかにあたる女性のお腹に
いた者、である。
これらの被曝者は、いわゆる被曝者健康手帳を受け取る資格を与えられ、
この手帳は、被曝者に無料で医療を受けられる権利を与えられるものである。
のちにこの法律は改正され、様々な後遺症に悩む被曝者に対し、月々の手当が
支給されることを定めた。大多数の被曝者と同じように、中村さんは、一切の
政治的アジテーションとは距離を置いてきた。そして実際、中村さんは、他の
多くの生存者と同様に、被曝者手帳が発行されてから2、3年の間、それを
もらおうとさえしなかった。・・中村さんは、毎年行われる祈念式や会議に
参加するような政治的野心を持った人々の腹に隠された動機に対しては、
他の生存者と同様に、猜疑心を抱いていた。(🦊中村さんの息子敏男は、
国鉄の経理部門に就職し、結婚し、母親を助けた。彼は母親にミシンを
贈った。八重子と三重子もそれぞれ結婚し、子供たちはすっかり自立した。
中村さんは55歳で退職した)
中村さんは必要な時に休むことができたし、結局は1,023,993番の被曝者健康
手帳を給付され、医療費の心配をすることもなくなった。
今中村さんが人生を謳歌する時がやってきた。・・・
日本は景気付いていた。1975年、被曝者援護を定めた法律の一つが改定された。
それによって中村さんは、月額6000円のいわゆる健康管理手当を受給する様に
なった。この手当は、2倍以上の額にまで引き上げられた。中村さんはまた
、唐山化工での永年勤続により、月2万円の年金を受け、さらにここ数年間
は、それとは別口で月2万円の戦没者遺族年金を受け取ってきた。(急激な
経済成長につれ、息子や娘の夫は、それぞれの店舗を経営するまでになった。)
(中略)
1960年代初頭、日本の反核運動は、分裂を始めた。当初、原水協
(原水爆禁止日本協議会)は日本社会党、総評(日本労働組合総評議会)が
牛耳っていた。
1960年、日本における軍国主義の復活を促進するとの理由から、
日本安保条約改定阻止が試みられた。こうした背景があって、より保守的な
団体のいくつかが核禁会議(核兵器禁止平和建設国民会議)を結成した。
1064年には、より深刻な亀裂が生じることとなった。この年、原水協への
共産主義者の浸透によって、社会主義者と労働組合の脱退、そして原水禁
(原水爆禁止日本国民会議)の結成という事態を見たのである。原水禁は
いかなる国も核実験を止めるべきだと主張し,他方では、原水協がアメリカは
戦争に備えて核実験を行い、ソ連は平和を保障するために実験すると主張して
いる時、多くの被曝者と谷本氏にとって、こうした内紛は愚の骨頂だった。
この分裂はつづき、毎年8月6日になると二つの組織が別々の大会を開いた.
1973年6月7日 谷本氏は、(🦊谷本清=本書に登場する六人の被曝者の
一人であり、翻訳者でもある。米国生まれのプロテスタント教会牧師で,
原爆で失った教会再建のために、また「二度と原子兵器の使われないことを
確かにするための様々な措置に焦点を絞った国際研究へと原爆体験が結実する
ような」ピース・センターを広島に建設するため、全米で資金集めの講演を
行い、また原爆孤児のための養子縁組についても尽力し、自身も、被曝孤児を
養子とした)
「中国新聞」夕刊の「夕刊エッセイ」欄に、次の様に書いている。
「8月6日が近づくと、ここ幾年か続けて、今年もまた平和運動が分裂した
ままで開催されたと嘆く言葉が聞かれたのを思い起こす。・・・広島の記念碑
に「安らかに眠ってください。あやまちは繰り返しませぬから」との碑文は
弱々しいが、強烈な人類の悲願が込められている。ヒロシマのアピール・・
それは政治以前の問題である。広島を訪れる外人の多くが口にする言葉は、
「全世界の政治家はまず広島に来て、この碑文の前にひざまずいて政治問題を
考えるが良い」である。・・・」
**************************************:
🦊本書の帯に、「1945年夏の『ヒロシマ』を君は知っていますか?」
とある。この本はまさに小学生、中学生、高校生の皆さんに読んでもらいたい、
重要な歴史読本の一つである。内容はといえば、悲惨なことこの上もないが、
しかし所々にユーモアを交えた読み易い文体で、小説のようでもある。
キツネが常々思うに、被曝体験の視覚化というか、アニメ化というか、昨今の
流行りは子供を馬鹿にしている。文字を読んで想像を膨らませるという能力
は、本来子供の 得意分野なのだから。
2020年10月30日
アカマンマとミズヒキ
にわの千草も虫の音も
枯れてさびしく・・・
だが,虫の声がさっぱり
聞こえない.しずかな秋.
酷暑をさけ,コロナと青尺から
にげて,人間と一緒に,冷房の
部屋でテレビをみてすごした夏
でした.
やっと蕾が見えてきた,
アキノノゲシ
渋沢栄一から見る「幕臣たちの文明開花」井上潤
逓信博物館によるシンポジウム(2018年6月)「幕臣たちの
文明開花」に付された十五の論稿より。
www.postalmuseum.jp/publication
p42–「今一度、渋沢栄一とは」
「渋沢栄一は1840(天保11)年、厳格で経営手腕、村のまとめ
役等に長けた父親と、とても慈悲深い母親のDNAを受け継いで
武蔵国榛沢郡血洗島(現埼玉県深谷市血洗島)に生まれた。
血洗島村は、江戸時代に税を米で納めることが通常であった中、
早くから金銭で納めるシステムがとられていた。また、農村地域
であったが、安定した耕地が多く得られないところでもあった
ので、純粋に農作だけで生活が成り立つようなところではなく、
商工業活動などをしていかないと生活が成り立たないということ
もあり、貨幣経済が早くから浸透している地域でもあったと言える。
この地域では、藍の葉を買い集め、加工し、藍玉という染料を
信州や上州などへ売りに行く商売が非常に盛んに行われており、
この商売は換金性が高く、経営をうまく軌道に乗せた家は
富裕層へと成長した。
🦊(読書家であり、江戸の思想家とも交流のあった渋沢は、
一時幕末の攘夷思想に傾いたが、「できるだけ多くの情報を集め、
咀嚼し、そこから自分の進むべき道を導き出す」彼の本領を
発揮して、「体制内に長く生きながらえて、世の中を変化させて
いこうとする」方向に転じた。
そのご幕臣となった渋沢は、その期間にパリ万国博派遣使節団に
加わり、ヨーロッパという「新世界」に接して様々なものを
見た。その一つは当時進行中だったフランスによるスエズ運河の
大工事であり(p46)「渋沢は、全て西洋人が事業を起こすのは、
ただに一身一個のためにするのではなく、多くは全国全州の大益を
図るものであり、その規模の遠大で目標の広壮さを大いに感じ入った
ようで、この時、公益のための社会事業のあり方を意識し、初めての
汽車乗車体験によって、交通機関たる海の船舶、陸の鉄道は絶対に
必要で、日本へ帰国したら、ぜひやりたい事業だと思うようになった
ようである」。
(またパリ万博への日本産物の出品準備やら随行員の宿泊先やら衣服
の注文やら、雑務に追われる合間を縫って、名所旧跡の他に)
p46「公易公事吟味所」、「罪人裁判所」、銀行、株式取引所、
上下水道、病院などを目にしている。」
また、見学した「生徒500人が寄宿していて修学所や会食所、生徒部屋
などが清潔で整頓されていること、またその生徒の「寄宿中の費用の
全額が、裕福な人々の寄付によって賄われていることに感銘を受けた。
「この学校視察の経験は、のちに寄宿舎、奨学金設置などの育英事業に
あたった澁沢にとって、一つ意識させるきっかけになったのかもしれない。」
p47ー「万博会場は外部も広大で、1〜2日では見終わらないほどで
あった。渋沢の見た万博とは、物品の優劣や工芸の精粗を比較するだけ
でなく、学芸上の諸分野について、世界の公論と最新の知識によって
従来解決できなかった疑問を解明し、あるいは新説を提示するために、
学者や技術者はもちろん、各国の専門家によって真髄を極めるものだった
ようである。」
(各国の王族とともに列席した博覧会の褒賞授与式でナポレオン三世は
次のように述べている)
「この1867年の博覧会は、一見極めて物質的なもののように見えて、実は
極めて哲学的な原理に関するもので、人心の一致、和平を助け、四海が
一家のように、ともに太平の幸福を享受するための一端となるもので
あります。万国の人民がここに集まることによって、相互に敬愛すること
を知り、憎み合うことを忘れ、自国の繁栄は他国の繁栄を助けるという
根本原則を理解し、全地球上のあらゆる自然や人工の品をあまねくここで
見ることができるので、これを“ユニヴァーサル“と言っても良いと思います。
・・・この国も最近までは国内も穏やかではなく、外国を脅かすことも
ありましたが、今はすでに平和で豊かで、かえって他国の開化を促し、
文明を高めようとしているのです。この国にしばらくでも滞在した外国人
は、我が国民が他の国民に対して好奇心が強いと理解するでしょう・・・「
渋沢は、このナポレオン三世の演説内容に感服したのだが、それ以上に
驚いたのは、翌朝の新聞に演説内容が掲載されたことである。情報を重視
する栄一にとって、多くの人々に、速やかに伝達できる新聞に目が止まり、
その評判が気になったようである。
「・・・日本人が最も好むのは、長寿のもののようで、鶴、亀、松の木が
あります。また架空の動物を意匠として描く事も好きです。亀の尾に濃い
毛を生やしてみたり、竜の頭に馬の胴に鹿の足がある怪獣などがそれです。
また、煙管に珍しいものがありました。その管は極めて奇妙な形をした木
または象牙のもので、装飾されています。日本では、これを男子の持ち物
として欠かすことのできないもののようで、絹の紐でこれを衣服に結び
つけるようになっているのです。・・・」
そのほかにも、日本人の感情や習俗、家屋について紹介されたり、
万博期間中、劇場で演じられた手品、独楽・軽業などの曲芸について、
その良し悪しを、ヨーロッパ、フランスから見た目で評せられていた。
のちに、世界の中に近代日本を知らしめたいという思いもあって、
民間外交に尽力した渋沢は、その時に、日本を世界に正しくしっかり
伝えることの重要性を感じたかもしれない。(中略)
🦊(幕府使節団一行は、パリを後に「欧州巡歴」の旅に出た)
「この旅に随行したことで、渋沢は欧州各国の政治、軍事、経済、産業
など当時の欧州社会に触れることができたのである。ここでは、ベルギー
訪問時のエピソードを紹介したい。
1867年9月24日の夕方6時にベルギーの首都ブリュッセルに着いた
一行は、26日に陸軍学校、27日には、アンベルスという地の砲台を
視察した。当地が国中第一の要地であることから、特に強固な守りが
なされており、欧州をあげて攻めてきても、容易にこれを破ることは
出来ないというほどであったようである。9月30日には、リエージュと
いう所で、鉄砲を製造する機械を見、シラアンという所では、製鉄所を視察し、
反射炉と溶鉱炉の2つの炉、鉄材精製の方法、鋼鉄の吹き分け方、石炭採掘法、
砲車および蒸気車、鉄道線路その他色々な機械の製造などを見ている。・・・
そして、10月6日の夕方6時に、王宮に招待され、国王と同席の晩餐の
もてなしがあった。国王は正面に、(徳川)昭武はその右側の席に着き、
随員の一行および高官たちも相伴にあずかった。この時、ベルギー
国王の、どこを見学したのかという質問に、昭武が製鉄所を見学したと
答えたところ、「それは良い。製鉄所を見たならば、日本へ鉄を買うていく
ようにせねばならぬ。総じて国というものは鉄をたくさん使うほどその国は
盛んになる。私の国では鉄が沢山出来、イギリスよりも廉価である」と言って、
今で言うトップセールスが行われたのである。渋沢は、初めて謁見した14歳の
少年に国王が鉄を買えと勧めた様子に、奇妙で実に可笑しいと感じた。ただ、
日本では考えられない自国を富ますために国王自ら商売のことに口を出す様子に、
自らが目指す官尊民卑が打ち破られた世を見、いたく感心したのである。その
感心の度合いがよほど強かったようで、後年、栄一はこのエピソードについて、
たびたび語っている。
しかし、年が明けた早々、王政復古のクーデター、鳥羽伏見の戦い、旧幕府軍の
敗北、そして徳川慶喜の大阪城脱出と上野寛永寺での謹慎など、辛い情報が
次々と入ってきた。・・
そのために昭武の長期留学は困難な状況となり、一行は帰国せざるを得ない
こととなった。渋沢は帰国の準備を急ぎ、フランス政府と様々な交渉を重ねた
ほか、帰国費用を調達するために奔走し、購入していた鉄道社債とフランス
公債も売却した。また、経費の収支決算、家庭教師の解雇手続き、借りた
アパートの解約、仏国商社への未払い金処理、万国博覧会出品物の売却処分
など、様々な債務・事務処理を急いで済ませるほか、荷物の梱包、関係者への
下賜品調べ、土産物の調達、乗船手続き、銀行で為替手形の受け取りなど、
帰国準備に忙殺されたのであった。・・・
渋沢がこの渡欧体験で、フリューリ・エラールを介して学んだナポレオン三世
治下(第2帝政期)の社会、経済システムは次のようなものであった。
①ー社会の富の根源は生産にありとする産業(人)優先の社会
2ー金・モノ・人の流通、循環するシステム(繁栄の元は「政治体制」では
ないことを実感)
3ー流通、循環を加速させる鉄道、船舶、港湾などを含むインフラ整備。
インフラ整備には莫大な資金を必要とし、そのために、将来を見据えた
産業投資型のベンチャー・キャピタルを重視し、政府の信用貸与で銀行を多く
設立、奨励、銀行は、小口の預金銀行でもあり、投資のための資金を民間から
集めるものでもあるという実態の存在。
さらに、銀行による融資だけでなく、株式や社債による直接投資も不可欠とし、
有価証券の流通を促進させる株式(証券)取引所の整備(小口の投資を喚起)
が図られるというものであった。
明治の代になり、渋沢の立場で「文明開化」を実現させた姿に重なるもので
あるが、私個人的には、その大元となるのは、ナポレオン3世統治下の社会・
経済システムが、渋沢の生まれ育った血洗島周辺での状況に似ていたことから、
渋沢自身も現場でのシステムを自然な形で理解・吸収できたのではないか
という点を指摘しておきたい。
p50ー維新政府の一員として:渋沢栄一が関与した文明開化の基盤整備
🦊渋沢の経済人としての業績は、生涯自ら関わった企業の数が約500、
社会事業では600に及ぶという。また社会福祉や教育面で特に商業教育や
女子教育に目を向け、「人作り」にも尽力した。
しかしこの章では、「改正掛」の班長としての渋沢の、日本の近代化を
目指す制度改革の活動に焦点を当てている。
「改正掛」は、1869年(明治2)年11月に発足したが、民部、大蔵省の分離
に伴い、翌年7月、大蔵省に転属し、1871年(明治4年)8月、廃藩置県と
ともに廃止された。わずか2年足らずの存続であったが、その密度濃い活動
には感心させられる。・・
当時、大隈、伊藤、井上は政府内で地歩を固めるために、近代化政策を立案
しうる有能な人材を必要としていた。欧米の制度・文物を、洋行・留学体験を
経て知見を得た人物、留学の体験がなくても専門知識を持つ人物である。
大隈らは、藩閥などを一切無視し、このような人材を急ぎ集めようとしていた
のである。(官員への任命を拒否しようとした渋沢だったが、大隈の説得
により翻意した。)
彼は「今の省内の有様では、目指す諸般の改正は到底なし得られないと考える。
省中は、長官も属吏もその日の用に追われて、何の考えもする間も無く1日を
送って、夕方になれば、即退庁という様子である。真正に事務の改進を謀るには、
第一にその組織を設けるのが必要で、これらの調査にも有為の人材を集めて
その研究をせねばならないから、省中に一部局を設けて旧制を改革せんとする
こと、または新たに施設せんとする方法、例規等は、全てこの部局の調査を経て、
その上時の宜しきに従ってこれを実施するという順序にせられたい」といった
旨のことを述べ、「改正掛」新設を提議したと言われている。同様の考えを
持っていた大隈も大いにこの説に同意し、民部省内に改正掛が設置されるに
至ったのである。
こうして、新政府内部で、欧米先進国と肩を並べる「万国並立」のための
近代化政策を積極的に推進する部局「改正掛」が誕生し、渋沢はその掛長と
して尽力する。
その改正掛について概観してみたい。
まず、どのようなメンバーが集っていたかである。渋沢が租税司と兼務だった
ように、監督司から何人、駅逓司から何人というように主要メンバーの多くは
兼任で、移動もあったようである。設置された翌年には、より有為の人材を
要するとして、掛長・渋沢は、大隈重信に申請して、静岡の藩士中から前島密、
赤松則良、杉浦愛蔵、塩田三郎等の人々を続けて登用したが、その他に例えば、
洋書の読める人なども夫々推薦して、都合12〜3人で組織されていた。
このように改正掛は、必ずしも固定した専任の者によって構成されているわけ
ではなかったが、大隈、伊藤博文に直結した民部、大蔵全般の省務を対象と
する調査・諮問機関として、広大な権限をもっていた。
実態を覗いてみると、会議には伊達宗城・大隈・伊藤等の卿輔も出席し、
互いに襟懐を開いて時事を討論したので、掛中は常に和合していたようで
ある。また、血気盛んな人々が、色々研究したり、見聞したりした結果を、
互いに論じ合ったので、時には喧嘩と間違えられる程だったとも言われている。
一般の建議とは異なり、内部で「公議」を尽くして定めた意見を省議で承認、
民部・大蔵省の長(民部大輔兼大蔵大輔)によって朝議に提出されていた。
したがって、省務上の問題として太政官の裁可を求める形をとっていた。
🦊改正係の関わった案件の中で、前島密による近代的郵便制度が有名だが、
これは「アメリカの駅逓制度の模倣ではあったが、新たな創意も加えられ、
そして今日の姿に至っているのである」
次に、大蔵省職制・事務章程の改定について取り上げている。
「1871年(明治4)年7月14日、廃藩置県の詔書が発せられると、政府は
その旨を体して、機構改革に着手した。この月29日に太政官制を改め、
正院、左院、右院を置くことにし、正院には太政大臣がいて天皇を輔翼し、
庶政を総判し、祭祀、外交、宣戦、講和立約の権、海陸軍のことを統治した。
その下に納言がいて職掌大臣がつぎ、大臣欠席の時はそのことを代理する。
そして参議は太政大臣に参与し、大臣、大納言を補佐し庶政を賛成することを
掌るように職務を制定した。太政官にはその下に、枢密大史、同小史、同権小史、
大史、権大史、小史、権小史をおき、常に出勤して、機密の文案を作成したり、
位記、官記を作り、文書の記録を掌ったりすることにしたのである。(中略)
改正掛が存続した2年足らずの凝縮された時間の中で、非常に精力的に、近代
国家形成の基盤となる案件を網羅的に着手していったのである。この驚くべき
渋沢のエネルギーと能力は、政府内部でも認められ、強い信頼が得られるように
なった。渋沢にとって明治政府での役人時代は、その後の活動に欠かすことの
出来ない知識、経験をもたらすと同時に、通常であれば築けないような人脈を
形成する結果をもたらしたのであった。」
p54ーおわりに
渋沢栄一の行動から見出せる信念というのは、政治に対する経済の優位であった
と思われる。「公益」の視点に基づく民間の活動が、政府「官」の活動を補完
するだけでなく、むしろ先導すべきものである。それによって、日本の発展、
国際社会への貢献につながることが渋沢にとっての最終的な「文明開化」
の形だったのではないだろうか。」
***********************
🦊狐の疑問:渋沢の作った第一銀行は、昭和の戦争において、日本の軍費
捻出に大きな役割を果たした。(当ブログー円の侵略史を参照)それは
負の役割だったと思われるが、同時に経済は政治よりも強い(優先すべき)
という彼の信念からすれば、どういうことになるのだろうか?
キツネは、今の経済優先、政治の堕落の世の中が、いつから、どんな人たちに
よって導かれたか、知りたい。もちろん、天皇自身もその一員だったに違いない。
一見、関係なさそうではあるが、「万世一系」の信仰を、いまだに宣伝する
人たちがいるということは、そのことが、当たり前の歴史検証を曇らせている
と思うからである。
経済優先で、はたして地球を救えるのか?また、天皇は人にあらず、という
迷妄は、小商売人や貧乏百姓は人にあらず、という迷妄につながる。
どうしたらこれを退治できるか。
天皇はアイドルでいいではないか。どうでしょう?
「教養として身につけておきたい」ー戦争と経済の本質ー
加谷珪一 著 2016年 総合法令出版刊
この本はとてもよくできた嵌め込みパズルみたいに、全ての
駒が順序よくはまり、戦争と経済についての理解が格段に
進む、そしてグローバルな投資や事業に失敗しない、十分な
教養が身につく・・本人も「お金は歴史で儲けなさい」ほか、
執筆活動の一方で、巨万の富を運用する、成功した投資家だ
そうだ。
第1章 「戦費負担とGDPの比率」・・一国の経済力は、戦争遂行
能力に直結している。
米国は太平洋戦争以降の戦費をすべて対GNP比15%以内に
収めている。これに対し日本は、太平洋戦争の戦費を、日銀
の国債引き受けで賄い(🦊○○総理の言う輪転機グルグルで、
新札をどんどん発行し、これを戦費に当てる)超インフレを
招いた。「さらに、日本軍は占領地域に国策金融機関を設立
して、現地通貨や軍票(一種の約束手形)などを乱発して、
無謀な戦費調達を行いました。これによって、アジアの占領
地域では、日本をはるかに超えるインフレが発生しています。
・・・おおよその戦費総額を2000億円と仮定すると、GDP
との比率は約8.8倍に、国家予算との比率は74倍となります。
第2章「世界から見た戦争とお金」
日露戦争の戦費は、実はロンドンとニューヨークで調達された
ものだった。ロシアに勝つためには大量のハイテク兵器を英国
から輸入する必要があったが、日本政府はこの支払いを、
イギリスの民間銀行に預けていた日清戦争の賠償金(ポンド)
で賄い、また円・ポンドを等価と見做して、この預金を担保に
金本位制に移行した。
「当時の日本政府の指導者は、グローバルな金融システムの
仕組みを十分に理解していたとみて良いでしょう」
「太平洋戦争の敗北原因は、お金と技術」
日本はそれまで友好国だった英米を敵に回して戦わねばならなく
なった。
「戦争とは経済活動そのものです。・・また経済力はその国の
技術力とも密接に関係しており、経済力の弱い国が、高い技術力
を持つことは現実的に不可能です。日本と米国は当時、かなりの
体力差がありましたから、テクノロジーに関する格差も相当な
ものでした。
日本は当時、満州に進出しており、南満州鉄道(満鉄)という
国策会社を運営していました。満鉄には日本が誇る世界最高
水準の技術や経営管理手法が導入されていると軍部は宣伝して
いました。しかしその実態は、宣伝とはだいぶ様子が異なって
いたようです。満鉄の車両には、当時としては非常に珍しい
冷房装置が搭載されていましたが、その冷房装置の原型を作成
したのは日本の企業ではなくて米国の企業でした。現代風の
言葉で言えば「パクリ」です。
このように書くと、日本にはゼロ戦や戦艦大和など優れた
技術が沢山あったという反論が出てくるかもしれません。
しかしここでいうところのテクノロジーというのは、職人芸的
な技をもっているといういみではありません。・・
ゼロ戦は確かに高性能な戦闘機ですが、米国は、スペック的に
はゼロ戦に劣るものの、堅牢でコストが安く、メンテナンスが
容易で安全性の高い航空機を大量投入してきました。
パイロットの養成もシステム化されており、乗組員の個人的な
能力にできるだけ依存しないような体制が組まれていたのです」
「最近話題になっているミャンマーの民主化も同じ文脈で考える
ことができます。ミャンマーの軍事政権は、旧日本軍との縁が
深く、ある意味でミャンマーは、当時の戦争が今も続いている国
です。(ビルマ建国の父と呼ばれたアウンサン将軍の娘)
アウンサンスーチー氏は、単純に民主化を実現するためだけに、
ミャンマーに戻ったわけではありません。スーチー氏の活動の
背景には、ミャンマーの市場解放を睨んだ、欧米企業の利権が
大きく関係しています。つまりミャンマーの民主化プロセスは、
半分は「お金」の話というわけです。
こうした視点をもって、日本の過去の戦争を眺めてみるといろんな
ことがわかります。日露戦争の前後、日本政府が発行した国債を
米国の投資家が積極的に引き受けたのは、ボランティアというわけ
ではありません。戦争終了後、日本が獲得する満州のビジネス
チャンスについて、パートナーとして利益をシェアしたいという
意向があったからに他なりません。(満鉄の経営、鉱山開発、工場
建設、都市インフラ構築などによる)さらに重要なことは、米国は
日本に対して、ロシアなどの帝国主義からアジアを解放させるための
役割を期待していたという事実です。
実際、米国側からは満鉄、などの経営を両国でシェアするプランが
提示されていたと言われています。しかし日本はこの提案を蹴って
しまい、このことが最終的には米国との戦争の遠因になったとも
言われています。
(第3、第4章は飛バシテ)
第5章 地政学を理解すれば世界の動きが見えてくる。
🦊 ここで、問題の「地政学」である。
地政学の基礎は19世紀末のイギリスに始まり、現在に引き継がれて
いる。「地政学では、地理的条件によって国家の関係が規定される
と考えますから、地図の見方は独特なものとなります。・・
(元祖)マッキンダー氏の地政学では、重要な大陸はユーラシア
大陸1つしかありません。世界をユーラシア大陸を軸に構成されて
おり、アメリカ大陸やアフリカ大陸は、ユーラシア大陸を取り巻く
島にすぎないと考えます。全てをユーラシア中心に考えるマッキンダー
氏の独特の考えが、地政学的な理解のベースになっていますから、
ここはしっかり押さえておく必要があるでしょう。
さらにマッキンダー氏は、ユーラシア大陸の中でも中国の西部
(チベットなど)やモンゴル、アフガニスタン、さらにはロシア南部
から東欧の一部にかけてをハートランド(心臓地帯)と呼び、
特別な場所と位置付けました。このエリアを流れる川は、北上して
北海に注ぐか、カスピ海など内陸の湖に流れ込むしかなく、海上輸送
という既存の交通インフラとは完全に切り離された状況にあるのです。
・・ここが押さえておくべき第一のポイントです。
もう一つの重要な概念として、シーパワーとランドパワーがあります。
シーパワーとは、海軍力を基本として、海上輸送システムを
スムーズに運営できる能力のことを指します。・・かつての英国や
現在の米国は、世界各国の海洋に自国の軍隊を展開しており、
ほぼ全世界の制海権を確保しています。これによって、両国が提唱
する自由貿易が担保され、エネルギーの輸送も自由に行えるように
なっています。」
🦊(これについては、本の書かれた2016年から状況は各国の「自国の
利益優先主義」の本音が吹き出して、自由貿易も黄信号に変わった
ようなので、?ジルシがつくが、それは置いといて)
「これに対してランドパワーは、陸軍力を基本として陸上交通システム
を構築し、それをスムーズに運営できる能力を指します。ロシアは、
海洋に出るための港が少なく、基本的には陸路で覇権を拡大しようと
していますから典型的なランドパワーの国と考えて良いでしょう。
・・シーパワーの国は、隣国とはとりあえず海で隔てられています
から、海を使って世界各国と貿易を行い、富を増やすことに熱心となり
ます。一方、ランドパワーの国は隣国と地続きですから、自国領土の
保全を最優先で考えざるを得ません。
ユーラシア大陸を中心とした世界観では、ハートランドは究極の
ランドパワー地域ということになります。したがって、このエリアを
強力なランドパワーの国が支配した場合、海洋に面する周辺の国と
極めて大きな利害の対立を引き引き起こす可能性があります。
これが氏の提唱した地政学における基本的な認識です。」
🦊 つまり歴史的に、中東から東欧にかけての地域は、ハートランド
から圧力を受け続け、常に紛争に巻き込まれることになる。また、
海へ出ようとする両パワーのぶつかり合う大陸の縁の地域(リムランド)
は、地政学的に見た場合、常に紛争のタネになる。日本や朝鮮半島、台湾、
東南アジアはここに含まれている。また、中国がなぜチベットやウイグル
をいじめるのか、そのわけもわかる、という。最近、中国もシーパワーの
仲間入りを果たし、海のシルクロードを獲得したいらしい。・・
というわけで、各国の指導者、軍関係者はこぞって地政学を学び始めて
いるという)
第5章のまとめとして、次のように述べている。
1。地理的条件が、国家間の潜在的な関係を決めている。
2。中国やロシアが朝鮮半島にこだわる理由は、「海洋覇権の維持」
3。エネルギー資源豊富なハートランドを支配できた国は、歴史上
一国もない。
4。EU設立の背景には、「ドイツ人封じ込め」の狙いがある。
5。地理的条件は変えられなくても、テクノロジーにはそれを凌駕
する力がある。
6。米国の経済・外交戦略は、常に地政学的観点から決定される。
🦊 日本人よ、経済、外交、投資、軍備について正しく理解し、
「変化に対応して新しいテクノロジーを使いこなし、ビジネスや
金融の分野で重要な地位を占めていくことが、本当の意味での
安全保障であり、その延長線上に強い軍隊が存在することになります。
日本人は本来、知恵のある民族であり、新しい時代への適応能力は
高いはずです。私達の日常的な経済活動こそが、国民の安全を守る
のです。」と、本書は結ばれている。
キツネはこれに猛反対する。ハートランドはかつて、強大なキリスト
教文化に覆われ、それによって国家は緩い絆で繋がっていた。
現在の観光立国で食べている国ぐにはその遺産を利用している
わけだし、また北の海洋国家イギリスの北部にまで、ローマ人の
集落跡がある、またその昔には、人類はアフリカから生まれ出て、
西、東、北の果てまでも隈なく「歩いて」広がった。ヨーロッパの
ある地域では、クロマニョン人とネアンデルタール人が隣り合わせで
仲良く暮らしていた証拠が見つかったそうな。
「そーんなことは知らんでもええ。彼らは未開、バカ、遅れてるからな。
俺たちは知恵を働かしてこのまま進めば良い。きっと明るい未来が
あるさ。」だって。
知恵って、国を富ますために株を買うってことか?
🦊:習近平氏の最近の演説に、「マルクス主義に帰れ」というセリフが
あるそうな。それも、白々しくも毛沢東そっくりの人民服姿で・・
他の党員は全て背広姿である。まさか、急の間に合わなかったわけでも
あるまいに。
さて、マルクス主義だが、物の本によれば、マルクス主義にも何段階か
あって、初期には国家または政党などによる資本と労働管理のもと、
国家に集めた収益を国民に平等にわけ、皆が豊かな暮らしができる、
社会主義社会を実現する、(ソ連や中国ではこれを共産主義と
名付けていた)だがその先の段階では、国家の経済支配、あるいは
独裁政党や宗教団体の支配を全廃して、民衆自身による経済運営、
富の平等な分配や弱者救済、資源の賢い利用や抑制、その諸々の
「不平等解消」社会実現に、国民自らが関わる・・・
キツネはマルクスの本を読んだことがないので、うまく言えないが、
このブログのテーマと同じ「国境を越えた参加」への突破口になり
そうな、本当の国民の「自治」を目指すものだという。
中国やソ連では、官僚や政党幹部の汚職、働かなくても意欲が
なくても等しく給料がもらえる悪平等と技術革新の遅れ、貧困の
拡大などによって、共産主義(中国政府のいう社会主義の第一段階)
は潰れ、一気に資本主義と拝金主義社会に移行した。
習近平氏は何をもって「中国の特殊な社会主義」といい、
「マルクスに帰れ」と言うのか。
キツネが思うに、「経済的繁栄は手放せない。それ無くしては
政党は無力となる」そして、「そのためには上意下達の強権政治は
欠かせない」なぜなら「中国民衆はいまだに毛沢東を崇拝しており、
国が一切の面倒を見てくれる、気楽な社会を望んでいる」とか、
行きすぎた自由や面倒な自己責任などは、民衆に馴染まない、とか、
国民を愚民扱いしているらしい。
また、「特殊な」とは、古来伝統の賢い皇帝や愚昧な皇帝、
科挙によって集められたエリート地方官僚による皇帝への
絶対的服従、それと外圧に備えた強力な軍隊、などが守るべき
中国文化であるという・・全人代にずらりと集結した党員たちの
昂揚した赤ら顔、軍事パレードで歩調を揃えてすすむ兵士の
ロボット化した無表情、どことなく時代遅れのパフォーマンス、
「新しい中国の特殊な政治体系」の守り神としての毛沢東同志。
どことやらの「万世一系」とは違って、歴史の事実そのものを
継承してゆく「実事具是」、そこに資本主義導入により、
「国民が等しく豊かになる社会」を実現すれば、それこそ
「宇宙に冠たる中華民族」になれる、というほどの意味か。
中国人は話の作り方がうまい。マルクスの説の「みんなが
豊かに暮らせる社会」の部分と「国民の自治」の部分を切り離し、
後者を「反社会動乱を煽る」として弾圧する。そもそも中国共産
党の「全国の人民よ!日本帝国主義に反対し、軟弱国民党政権
に反対し、銃をとって戦おう!」という呼びかけはいったい
なんだったのか?反社会動乱ではない?単なる権力闘争だった?
それを含めて特殊な社会主義というらしい。
最近の報道では、習近平氏の皇帝就任は間近であるという。
NETの記事によれば最近アメリカの一部の若者層に、マルクスの
説く究極の、国民による真の自治社会について真面目に考える人が
増えつつあるという。詳しいことは知らないが、それが本当なら、
嬉しいことだ。何によらずアメリカ一辺倒の日本人にも、いずれ
伝染して欲しいものだが。
2021 7 7
🦊キツネどんの願い
国民の50%以上が最貧困生活を強いられているアフガニスタンの
現状に対し、国連は流石に「まず人道支援が必要だ」として、
緊急会合を開き、各国は計12億ドルの支援を決めた。
支援物資が国民に届く前にタリバンの倉庫に吸い込まれてしまう
ような事態はあってはならず、そのための説得がまず必要だろう。
えっ日本?そりゃだめだよ。まず彼は肩の上にでかい風神、
か雷神みたいなのを担がされており、その重みで身動きが
取れない。当の雷神は、アフガンでの負けを反省もせず、
次の嵐の準備に取り掛かった。「海洋大国イギリス」の夢が
蘇った英国と手を結んで、「アジア太平洋の恒久平和」とやら
を目指して、新たな中国包囲網を築きたいらしい。具体的には、
潜水艦をめぐる取引だ。
当然のように日本政府も「中国脅威論」を煽っているが、中国を
怒らせたくはないので、その口ぶりは「まず日米安保の障害物
である憲法を変えよう」と、遠回し。同時に、「地政学によれば、
日本の地形は国際関係を左右する重要な意味を持つ」とか
「経済大国日本、軍事強国日本を目指して頑張ろう!」とか
のメッセージを、マスコミ、経済学者、歴史家もどきの手に
よって垂れ流している。
第二次大戦直後、ヤルタ会議でルーズベルトは、原爆の
実験成功を聞き、「直ちに日本に落とす」ことを決意した。
「悪鬼のような日本人を殲滅せよ」と。
20年前、9.11テロを受けて、「にっくきアルカイダを
ぶっ潰せ!」と始めたアフガン戦争。当時これを聞いた人の
中にも「このような凶悪な犯罪を成功させるまでに膨れ
上がった、中東での反米機運、満たされない忿懣を抱いた
庶民の感情を理解しない米政権のやり口は間違いだ」と
いう意見も多かったと思う。キツネもその口だったから
(後出しジャンケンじゃないよ)。
大きな象が、小さなネズミを恐れるように、アメリカは
戦争を仕掛けた。そして、それに失敗すると更なる
「転戦」を始めた。
今度の相手はネズミではない。「巨大な敵が、きんと雲に
乗って来る」という。ネズミではないが、その魔力と
得体の知れぬ国民性が恐ろしい。(昨日までは大事な
商売相手だったんじゃないのかい?)米一国では敵わない
から、ヨーロッパ、オーストラリア、アジア諸国を丸めて
対中国防衛圏を作ろう算段らしい。
雷神の足下に踏んづけられた日本の地位は、雷神が生き
続ける限り終わらない。せめて日本人は「富国強兵の夢」
から覚めて、隣の国との本音の対話を始めるべし。
若者の力も借りて。そこから何かが解けて来るかも知れない。
2021 9 20
🦊;キツネは科学者を告発したい。
なぜならば、戦争を煽るような経済人と、科学者の間には、共通の
欠点があるからだ。それは、前方しか観ない、見えないメガネ
しか持っていないから。たとえば科学史なら、進歩、発展の
輝かしい業績、ひたすら目を凝らして真実を追い求める、その
気高い努力と献身の物語・・経済史なら、いかにして自国の富を
増やし、他国の富を奪うか、または他国と共謀して第3国の富を
収奪し、その国民を飢えさせても、ひたすら前進、ついには
貧窮のあまり逃亡し尽くして、空っぽになるまでやめない、・・
というような成功譚やら。いったい科学や経済にはマイナスの
歴史というものはないのか。
IPCC報告書ーー2021.8.10ー朝日新聞によれば、
地球の温度は20年以内に1.5度C上昇する。それも適切な対策を
取った場合である。
・IPCCは、地球環境戦略研究機関として1988年、世界気象機関
と国連環境計画(UNEP)により設立された。今回の報告書は
「1.5度C特別報告書」と呼ばれている。
IPCCは、世界中の政策決定者に向け、気候変動に関する政策を
検討する上で必要な情報を、科学者の立場から提示するが、
特定の政策を推奨することはしない。科学的な情報に基づいて
とるべき行動を決めていくのは、政策決定者の役割だからである。
(ウィキペディアによる)
🦊;政治家は経済の話が大好きだから、よくその話を聞く。
反対に、科学者をひどく嫌う政治家も多いので、この手の
警告が何十年も前から毎年のように出されていても、
一向に読まないし、聞かない。で、今日、取り返しの
つかない事態に陥っているにもかかわらず、「俺たちの
責任じゃあないよ」という。
今回の報告書は温暖化の犯人は「人間」であり、それ以外に
ないと、はっきり述べている。
人間は、今日の不自由を克服して、新たな技術や発見で明日の
利便を生み出し、ひたすら前進する。
地球の年齢が45億とも46億年とも言われているが、
その間に地球の大気の中の濁った様々な物質が、遅れて
出てきた植物やプランクトンの死骸に取り込まれて、
地層の奥深くに封じこめられ、今のような澄んだ大気が生まれ、
キツネもネズミも人間も、我が物顔に繁殖できるようになった。
なのに、人間はその隠された宝をほじくり出し、燃やして、
「エネルギー」という名の、人類の財産を手に入れた。
が、この行為は、数十億年の大気の浄化運動を、逆さまに
たどったことになる。だから行き着く先は元通りの汚れた
大気である。このことに科学者が気づかなかったはずはない。
警鐘はたびたび鳴らされた。しかし、政治家は「俺のせいじゃ
ない」と、知らん顔。
では科学者自らは「その任にあらず」でいいのかい、と
キツネは言いたいね。関西流に言ったら「わからんちん」
の政治家どもに一撃くらわして、引きずり下ろすことは・・
そんな下品なことはできないだろうなー。科学者も連帯はする
だろうけど、今のところ、弱い。それに、研究者も金なしでは
やっていけない。失礼ながら、自分の成果を売りに出し、
(ノーベルのように)資産家、有名人になった人もいるだろう。
または原子核爆弾を、政府の金で研究し成功させ、母国の
行方さえも決定した「功労者」もいるだろう。
日本でも戦時中に、国策にそって「原子爆弾製造」の研究をして
いたらしい。その大学教授のいうには「研究室の優秀な若手が
次々と戦争にとられてしまう。それを防ぎ、せめて教室に
残ってもらうために仕方なく」と。
結局、資本主義はエネルギーの争奪戦と共に、戦争と共に、
成長した。つまり、地球の大気が池の水のように有限で、
CO2のような物質が溜まれば濁り、息ができなくなる、
ということを知らない、教わらないで育ち、廃棄物は宇宙へ
放てば希釈される、海に放てば浄化されると信じた馬鹿者たちが、
やたらにエネルギーの元をほじくり出し、カネに変えた、
その馬鹿者のうちに科学者は入らないと、涼しい顔をしてて
いいのかしら。トランプでなくても、この手の経済人、
政治家はごまんといる。それを止められない科学者もごまんと
いるだろう。北欧の少女が一人、「政治家も科学を学べ!」と
声を上げた。この少女をなんとか応援したいものだ。
科学者先生諸氏よ、大声をどうか上げてくれ!いまなら
まだ間に合うかもしれないから。
2021 9 22
🦊:総選挙は終わった。自民党は総数を増したが、
さすがに「地球温暖化で、米は大豊作。めでたし」とか、
「日本は天皇を中心とした神の国ぞ。めでたし」とか、
「女は色気だけあれば良い」(と言わんばかりの)ご老人
は勢力を失って、本当の実力ある政治家がチラホラと
頭角を現したらしいのは、日本の保守党にとって、良い事
に違いない。まずは党改革だ。長州閥政治を葬るべし。
新首相の、cop 26での演説は、「化石」との評価が各国
から出たそうだが、「核廃絶」と同じく、「金なら出します」
と言うだけで、具体化についての本気度が感じられない、と
言う意味か。情けなや。
🦊;キツネから、国境を越えた参加について、夢みたいな
提案をしておこう。
人間には移住の自由というものは無かったのか?
昔、アフリカに生まれ出た人間は、地球の東西南北に
向かって広がっていったんだそうな。しかも、歩いて。
のちには、荒海を渡って北極や南極に近い島々にまで
達した。その頃は、厄介な「国境」と言うものはなくて、
好きなところに住み付いて、そこで子孫を増やすも良し、
または新しい土地を求めてさらに移動していった。
今日2021年11月23日の新聞によれば、ポーランドとの
国境沿いのベラルーシの村に、突如イラク方面からの難民が
押し寄せ、ベラルーシ政府はここに臨時の避難所を設けて、
2000人程を収容したが、残りの難民は近くの森に潜んで
ポーランドへの越境の機会を狙っている。ポーランド政府は
国境沿いに高いフェンスをめぐらし、難民の移入を阻止している。
ポーランドは、EU諸国の中でも難民受け入れに反対の筆頭で、
べラルーシとは激しく対立しており、この「難民救出騒ぎは
ベラルーシの仕掛けた嫌がらせ(EUの経済制裁に対する)であろうと
断定している。
難民の最終目的地は欧州で、陸路ではトルコがその通過点となって
おり、難民受け入れに関するEUとの合意により、難民を保護する
替わりにEUから支援金を受けることになった。(新聞報道によれば、
トルコ国内には、シリア、アフガニスタン、イラクなどからの難民
4000万人ほどがいるという)
で、トルコ国内では、「当局の認可付きの」ベラルーシツアー
を宣伝する旅行業者が増えた。(以下、朝日新聞の記事による)
<そのルートでポーランドへ越境したクルド人(28)の話>
ベラルーシ兵に軍用車両に乗せられ、ある地点で降ろされた。
「ここを真っ直ぐに行け。ポーランド側に抜けられる道がある」
2日後、ポーランド側の密航業者が指定する地点に着いた。
11月初旬、密航ボートで英国に渡った。ベラルーシには感謝しか
ないという。「政治的な思惑があるのかもしれないが、ベラルーシ
兵に助けられたことは確かなんだ」
(イスタンブール=高野裕介、ドバイ=伊藤喜之)
と言うわけでべラルーシは仲の良いトルコと組んで難民の群れを
ヨーロッパ側に流し込んで、EUから受けた経済制裁の解除を目論んで
いると・・
なぜ人間には移動の自由がないのか?それは、その地が「人間に
とって住みやすい」かどうかではなくて、「金儲けできる」土地か
どうか、の区分で色分けされ、裕福な赤い国や青い国は、自国の
金儲け(生産性とか言う)の妨げになるような白い国や黒い国から
の貧乏人に来てもらっては困る。精々出稼ぎ労働を受け入れる程度。
そして、各々国境に囲われた国々は、お互に「うちの品物を買って
頂戴、観光に来て、お金を落としていってよ」とは言うけれど、
「うちほど住みやすい、豊かな国はない。どうぞ移住しておいで、
国民として平等に扱いますよ」なんて言うわけはない。それが
win=winの正体だ。
だから、難民の洪水をあびせて、EUを困らせてやろうと
言う魂胆か。イラクにもシリアにも、すでに国民は居なくて
難民がいる。トルコに滞在中4000万人を含めて、全ての
難民に国連の保護の手を差し伸べる手段はないものか。
まず、地球の何ヵ所かに土地を確保して、難民の寝泊まり
する場所を作る。衣料食料を供給する。ついで、その
居住区に適した特徴ある「暮らし」の形を、例えば農業区
なら、豊かな自然と人間の共生、工業区なら、大気や水を
汚さない工場設備、他に漁業や畜産、その他、立地と気候
に合わせて難民自身が選択し、自由に移動もできるように
する。
さて、軍事政権とその軍隊、反政府軍と兵器だけが残った
イラクやシリアをどうするかというと、まず兵器の供給を
断たねばならないので、兵器商人国家を断罪して、兵器の
流入を止める。ついで、国民不在の国家というものを断固として
認めない。
勝った方の勢力は、必ず覇権主義に走る。(現在の中国のように、
あるいは江戸幕府を倒したのは我らと吹聴する明治政府のように)
たとえ民主主義を標榜し、国民不在の福祉国家を詐称しても、、
軍人と傭兵(他の紛争国からの、食い詰めた出稼ぎ人)からなる
暴力集団だ。政権の民主化を進めるためとか、もっともらしい
救済策を装って軍事介入すれば、アフガンの20年のような虚しい
結果に終わるだろう。
いわゆる地政学的な妄想に囚われて、と言うより、地下の資源を
獲得したいがために、赤い国や青い国は、国民の逃げたイラクや
シリアのことが気になって仕方がない。「誰のものでも無いなら、
俺達が頂戴すべい・・」元々あのへんの地下資源を狙って、武器を
売り込んで内戦を煽り、国民を追い出したのは彼らじゃないのか。
その事は、シリア国民やイラク国民が一番よく知っているだろう。
難民集団の中に自治が目覚めるかどうか、わからないが、そこに
賭けるしかないだろう。但し、彼らの移動は自由であり、居留地に
国境の壁はなく、また故郷に帰りたい人はそうするだろう。
国連がなしうる唯一の事は、惜しみなく金を出すこと、また彼らの
ためにいくつかの広大な保留地を用意することぐらいだ。
フン! 俺らの稼ぎでアカの他人が幸せになるって?そんな
白々しいことを言ってるから、「年寄りのたわごと」とか
言われちまうんだ。いい気味じゃ。(早くくたばってしまえ)
と言う彼らの新たな戦争は、(まさか水爆は‘使えないから)
途方も無いドローン合戦だろうね。
資本主義経済には消耗とか自滅とか言うシナリオはないんだろうか。
武器と軍備にこれほどの金を使い、一方で増え続ける難民のケアを
しなくちゃならない。また宇宙ゴミが地上へ落下しないよう、その
対策も必要だ、なんて話も聞く。お忙しいことじゃ。
おいおいきつねどん、何も解決策にもなっとらんじゃないかって?
国境を死守する、GDPを堅持する、とかそれだけが大義という
赤い国や青い国の集まりが国連の正体である限り、「国境を越える
支援」どころか、「国境を越える対話」すら不可能。
ホソバアキノノゲシ
4月
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2022年の正月4日に、テレビで “ブレードランナー2049“というのを
見た。ブレードランナーを最初に見たのははるか昔(1982年)
のことだが、レプリカント(人造人間)の男の最期、壁に寄りかかり、
雨に打たれ、雫が死にゆく男の頭髪や眉毛から滴り落ちるシーンに
グッときて、ルトガー・ハウアーの大ファンになった。(リドリー・
スコット監督)
全編雨に濡れた怪しげな東洋風の空間が新鮮だった。・・・
それから、改訂版というのも見たが、これはガラリと趣向を変えて、
デッカート役のハリソン・フォードを目立たせるスラップスティック
仕立てのリメイクもので、面白くも何ともない。最期にレプリカントの
レイチェルと何処へか逃れてゆく二人・・・
それから30年後(つまり2049年)若いブレードランナーのジョー
が主人公で、(監督の名は忘れた)彼は伝説のブレードランナー、
デッカードの居所を探り出す命令を受けた。
タイレル社に代わってレプリカント製造業の大物にのし上がったウオレス
は、新型レプリカント製作に意欲を燃やし、新しい“ 人間を超える人間 “
として、自ら繁殖するレプリカントを大量生産して儲けたい。・・・
そこでジョーを雇うのだが、何とも手を抜いた雑なお話で、背景は、
「捨て去られた地球」つまり金持ち政府や金満商人らはとっくに宇宙の
彼方の星に植民し、残りの人間と、労働力としてのレプリカントだけが
住んでいる、近未来のロサンゼルスらしい。
話は「隠された子供」、実はレイチェルとデッカードとの間にできた子供
(まさか、どうやって?)の秘密を巡ってウオレスとジョーの死闘が始まる。
ひたすら派手な空中戦やら、水中の格闘やらを経て、結局はジョーと
デッカードが勝って、大人に成長した娘と再会する。ただの誘拐された
赤子の話だが、この娘を保護して、将来ぼ “人間を超えた人間 の真の
人間社会“ 建設に向けて利用したい、或いは救世主としたいグループが
背後に控えており、ははあ、これは「続く戦争編に、乞うご期待」だな、
とわかった。キツネはうんざりした。せめて、ロボットと人間の間で
どうやって子供を作るのか、真面目にSFらしく解説して欲しかったなー。
2022年1月、核保有5カ国は共同声明を出した。いわく「核戦争に
勝者は無い」だと。勝者とは?つまり一人勝ちする者だ。
70年前のアメリカは、相手からの反撃は一切なし。一発落とせば
それで勝てた。自国民は無傷のまま。
今ではそういうわけにはいかない。以前このブログのどこかに
載せた話だが、アメリカ政府が核爆弾使用後のロシア、または中国側の
人的被害についての予測を行った際、相手国からの報復、或いは
相手側同盟国からの反撃によるヨーロッパ、アジア地域での被害に
ついての数字を除外して、公表しなかったと批判された。当局が
後日出してきた数字によれば、ほぼヨーロッパ、アジア全域に広がり、
当初の数字の数倍に膨れ上がった。しかも、残留放射能の被害は「風向き
次第」云々の数字もあったとか。
だから、現在、水爆戦争をしたら、ほとんど地球の半分が無人になる。
「そんな物騒なものを使うのはお互いやめようぜ」という意味か?
そうじゃ無いらしい。「このお宝をうちだけが持っていたい」というのが
その本心だ。
こんな意味不明の宣言をいくら出したって、事は進展しない。
各国は手っ取り早く核廃絶条約に参加すべし!加入したからといって、
本当に廃絶されるかは疑問なんだしね。ものは試しだ。
ところで、この映画を面白がって見る人々は、「デッカードは果たして
人間か、レプリカントか」で盛り上がってるんだそうな。戦争SFで
儲ける映画会社と寝ぼけ人類は栄える。
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