上の絵にアソビと名付けたのは、ゴーグルの下に兵士のむき出しの
歯が見えたから。小学生の下校の列をねらって、「東洋のサル」を
こらしめてやろうと?いや、むしろ純粋に楽しんでいたのでは。
(勿論命中させないよう、ねらいを外してはいましたが)それとも
狩猟本能とでも言うんですかね。キツネは沼津に疎開中
.
🦊:このあそびを何というか、今頃思い出した。「機銃掃射」だった。
<Yahoo!知恵袋>より(2014年)
質問:軍用機やヘリコプターに搭載されている機関銃で人間を
撃つのは、国際条約違反になりますか?
回答:Epcy...Gさん
なりませんね。ハーグ条約云々という」人もいますが、50口径の
対物ライフルで人間を狙撃しても、当該の違反にはならないと
いう法解釈は既に確定しています。・・・
大東亜戦争時は、米軍は飛行機から民間人に対する機銃掃射を
散々やっていますが、訴追された人はいません。・・
もし何らかの罪に問うならば、新しい規制(もしくは合意)が必要です。
質問:戦争中とはいえ、児童を殺すのは国際法に合法なのですか?
疎開のために対馬丸に乗った児童が殺されたそうですが・・
回答:ta...・・・さん
民間人を殺すのはもちろん国際法違反です。
ちなみに長崎・広島の原爆投下は国際法違反です。軍事施設ではなく、
子供、女性を狙った住宅地に投下しています。
「歴史を歪める危うさ」
2020年1月20日 朝日新聞社説より
<<プーチン大統領 「歴史を歪める危うさ」
1939年8月.ドイツのヒトラーとソ連のスターリンという
2人の独裁者が,密約を結んだ.両国が挟む欧州東部を
山分けし,それぞれの勢力圏とする内容だった.それに基づき
ドイツ軍がポーランドに攻め入り,第2次世界大戦が始まった.
そのソ連時代の歴史について,ロシアのプーチン大統領が
正当化する言動を繰り返している.2024年の退任後も自らの
影響力を温存する思惑が絡んでいるとみられている.
開戦80年の昨年,欧州会議では,ナチスドイツとソ連が大戦
への道を開いたと指摘する決議が採択された.これに対し
プーチン氏は12月,「ソ連とナチスドイツを同一視するのは
恥知らずだ」と反発した.
ソ連はドイツに続いてポーランド東部に侵攻したが,プーチン氏は
その事実さえ「ポーランド政府は既に地域を統制できなくなって
いた」と擁護した.混乱に乗じて周辺国の領土を侵しても構わない
と言わんばかりだ.6年前,隣国ウクライナのクリミア半島を
一方的に併合した振る舞いにも通じる主張であり,容認できない.
独ソの密約については,冷戦が終結した89年,ソ連初の自由選挙
で選ばれた人民代議員たちが「第三国の主権と独立に反しており,
署名した時点で無効だった」とする決議を採択した.
プーチン氏も11年前は,「ナチスとの協定は不道徳だった」と
語っていた.そうした歩みを忘れた歴史観の退行である.
プーチン氏は個人崇拝や全体主義自体は批判しており,「我々が
最初の犠牲者となった」と述べた.だが一方で,周辺国にもたらした
甚大な損害に目を向けないのでは,公正な態度とは言えない.自身の
正しさを主張して事実から目を背けるのは,先に発覚したスポーツ選手
のドーピング問題にも通底する政権の体質と言える.(中略)
身勝手な歴史観を言い立てて自らの政治力維持に利用するようでは,
近隣国が不安視するのも当然だろう.
日本にとってもひとごとではない.
北方領土問題の起源は,スターリンが大戦末期に米英と結んだ密約を
根拠に,千島列島を占拠したことにさかのぼる.
ロシアは今,その正当性を認めるよう要求している.日本政府は,
歴史修正に加担するような交渉は慎まねばならない.>>
******************
キツネの感想文
このような社説でソ連とナチス,あるいはソ連と米英との密約の
歴史的な事実に言及し,現ロシア政権を公に批判したことは,
アッパレである,とキツネは思う.これまで社説というものは
いわゆる「奥歯にものの挟まったような」お行儀の良い文章が
多かった,だから「読まれなかった」のではないか.
歴史を歪めるといえば,近頃の日本政府とジャーナリズムも
例外ではない.知ってて歪める輩もいるが,知らずに歪める
(いや,知らずに乗っかるというべきか)人もいる.
「4島同時返還でなければ,戦争だ!」などという勇ましいのも
いる.
次はアメリカによる歴史の歪曲も取り上げてほしいものだが,
こっちは一層難しい.ガンバレ朝日!!
アメリカと国家機密 2020年 1月
アメリカのジャーナリストが優秀なのは,がんじがらめの国家機密と関係
ありそうだ.トランプ氏は訪日の第一歩を米軍基地に印した.なんでも
その直前ハワイでremember pearl harbor! と言ったとか言わなかったとか.
アメリカ人はよく世界中に旅行をする.だからなんでもわかっている,
世界のことは・・と,自分でも思っているらしい.
昔々,合衆国憲法が出来たてのころ,ある議員がこれに反対して言った
「議会制民主主義なんて,アメリカ人には向いてない.かれらは根っからの
商人だから,なんでも自分の利益優先なのさ」と.
荘園領主で大金持ちのワシントンは,しかしこういう反対にもめげず,
英国流貴族社会と常備軍を排除し,民兵からなる軍隊をシビリアン・コントロール
つまり,議会の下に置いたわけですが,いつのまにか議会は大商人(資本家)の
利益を優先させ,「根っからの商人」気質が保守本流となりました.
さて,本来の商人ならば,戦争は避けたいんじゃないかと思いますが,
なぜ彼らアメリカ人は遠いヨーロッパやアジアにまで兵を進めたのか?
この点については,キツネ的には,明治期以来の日本人が抱いたと同じ,
ある種の成り上がり願望(現状を抜け出して世界に飛躍したいという)
が,中間層のアメリカ人の心に芽生え,それをうまく誘導した野心家集団の
振る星条旗に操られ・・という次第ではないかと推察します.「愛国心」という
言葉は,ときに人を蠱惑し,わけもわからず暴走させる,危険な言葉です.
ヨーロッパ戦線.ベルリン目指して進軍する小隊を率いる軍曹の,勇気と苦難の
物語が,日本のテレビでも一頃流行りました.(かく言うキツネもハラハラ
しながら楽しんで見ていましたが)そこにはヨーロッパを救うという,確かな
大義があり,空からの援軍も頼もしく,勇者である軍曹の運命に一喜一憂して
しまう,まさに戦争娯楽映画です.
そして反共産主義を大義とする朝鮮戦争,ベトナム戦,反テロ国家の対イラク
戦ともなれば,なんとなく大義もうやむやではあるし,相手は弱小軍であるのに,
意外に手強い.厭戦気分の映画が流行った.こちらはどうも楽しんで見るわけ
にはいかない.
現在はというと,「ほんとは戦争したくはないんだけれど,もしあんたが戦争
したいなら,こっちも容赦せんぞ」という脅し作戦のために軍事費を増額し,
国内外にひけらかすのが大流行.ワシントンの憲法には「国民への説明責任」
をはっきりと定めてあるんだが,もう大義なんて問題じゃない.いかにうまく
選挙民を騙すか,買収するか,の問題だ.
アメリカだけじゃなくて,他にも反民主主義大国に,同じような権力者が
君臨して世界を3つに分けようという,まさに一触即発の危機が現実に
起こり,米政府は当該地域の軍人軍属の家族に対して,本国への帰還準備を
命じたそうな.
国民への説明責任が,果たされているのかいないのか,それを検証するのは
(議会自身ではなくて)ジャーナリストの役目だろう.
「国家機密と良心」ー私はなぜペンタゴン情報を暴露したか
ダニエル・エルズバーグ 著 ( 2016年3月 日本人クルーによるインタビュー)
梓澤登 :若林希和 訳
岩波ブックレット NO.996 定価814円+税
<<はじめに 梓澤和幸 (弁護士 日本ペンクラブ平和委員会委員長)
エルズバーグが命がけで明らかにしたペンタゴン・ペーパーズ(米国防総省秘密報告書)
とは何か,なぜ今も語るべき価値を持つのか.この問いに答えるためには,ベトナム
戦争が何を犠牲にしたのかを明らかにしなければならない.
戦争を語るとき,しばしば子供たちの経験は深いところをつく.戦場で子どもたちは
どんな体験を強いられたのか.(中略)
子どもたちは戦闘にも,戦争への意思決定にも全く関与することがない.いわんや
戦争中に懐妊した女性の子,孫,ひ孫の世代であれば何の咎もない.それなのに,
今も苦しみを与えられている子供たちは少なくない.
開放戦線ゲリラをあぶり出し,拠点の農村を疲弊させる目的でアメリカ軍が散布
した枯葉剤(ダイオキシン)が原因とされる死者,障害者は膨大な人数と伝えられる.
寝たきりの床でやせ細り,折れ曲がった手足を持つ17歳の少年の姿が紹介されている.
(平松伴子「ベトナムレポート 30軒になる”仁愛の家”前世からの縁の中で」
コールサック社,2018年)
200万人ともいわれるベトナム側の犠牲者,5万7000人に及ぶアメリカ軍兵士
の戦死者,4968人の韓国軍兵士死者,これだけの痛みと悲しみを強いる戦争には
国家が民衆を駆り立てる「正義」が必要だ.本当のところ,どんな動機,目的で
戦争は開始され,拡大され,継続されたのか.1967年6月,戦争の真っ最中で
あるが,ベトナム戦争に幻滅を感じていたジョンソン政権当時のマクナマラ国防長官
は,アメリカがなぜベトナムにこれほど深く介入したのか,大規模な研究報告を
部下に命じ,40人の調査チームを作った.このチームは約1年半かけて調査研究を
進めた.
それは1969年1月,7000頁47巻に及ぶ膨大な歴史的叙述と付属公文書の報告,
記録集となって結実した.これがペンタゴン・ペーパーズである.本書の著者
エルズバーグは,米国防総省次官補補佐官の経歴もあり,この記録集の編集,作成に
かかわった40人の一人であった.戦争の本質を知った彼は,秘密文書を公開の議会で
とりあげるよう何人かの政治家を説得したが,期待した反応がなかった.これに失望
したエルズバーグは失職,投獄,処刑を覚悟のうえ,1971年2月,公文書ペンタゴン・
ペーパーズを新聞に告発した.戦争進行中のことである.その内容は否定しがたい
政府作成の文書として戦争の真実,不正義を語った.
この文書の内容を初めて報道した「ニューヨークタイムズ」の第一弾はトンキン湾事件
の顛末であった.事件当時は1964年8月,ベトナム中部トンキン湾でベトナムの軍艦が
2回にわたりアメリカの軍艦を砲撃したと報道された.しかし実際には,1回目は
アメリカ側の挑発による砲撃であり,2回目は実際にはなかった架空の出来事で
あった(中略)
ペンタゴン.ペーパーズの全体は次のような内容で構成されていた.(ニューヨーク・
タイムズ編「ベトナム秘密報告 米国防総省の汚い戦争の告白録」上・下巻,サイマル
出版会,1972年)
1.アメリカのインドシナ半島への介入
第二次世界大戦直後のフランスとベトナム人民戦線との戦争は,旧宗主国
フランスの戦争と理解されていた.しかし実はアメリカは初めからフランス
を威嚇しながらこの戦争を遂行していた.
2.南ベトナムの政府は独立国の体裁をとっていたが,歴代政府はみなアメリカの
傀儡であった.
3.南北ベトナムの内戦にアメリカは直接,介入を開始した.
4.あるベトナム政権((ゴ・ディン・ヂエム政権)が支配の力を失ったとみるや
アメリカは露骨に介入して政権を転覆した.そして次の傀儡政権にすげ替えた.
5.「作られた」トンキン湾事件ののち北爆を大規模に拡大した.
6.1965年以降,アメリカは直接軍隊を派遣し,その兵力は延べ250万人にも
及んだ.
7.南ベトナム開放民族戦線が力をつけ,解放区が拡大するや,アメリカ政府の
内部に 葛藤が生まれ,ジョンソン大統領は2期目の出馬を断念した.
以上のように,ペンタゴン・ペーパーズは隠されていたベトナムの欺瞞を政府自身の
文書によって暴露した.ときの大統領ニクソンは,エルズバーグを恐れ,失脚を
図った.そのために活動したのが「鉛管工」グループである.このグループは後に
民主党本部に侵入して逮捕され,ニクソンはこのことをめぐって弾劾寸前にまで
追い詰められ,辞任した(ウォーターゲート事件)
(刑罰で真実を押さえつける)特定秘密保護法以来の「戦争法」「共謀罪法」,改憲の
動き,そして森友学園事件,加計学園事件の動きは多くを語る必要もない.本書を
なぜ出すのかといえば,絶望に陥りがちな私たちが希望を語るためである.
(ペンタゴン・ペーパーズを暴露したその人の内面と勇気の声に接したかった我々は
氏の自宅でのインタビューを実現した.2016年3月のことである)
80代後半の歳に至ってもなお軒昂たるエルズバーグ氏の写真は,まぎれもない彼の
人生の軌跡の賜物だろう.その姿から私たちの胸の奥に語りかけてくる肉声に耳を
澄ましたい.>>
本文 p10 「嘉手納・韓国での実地体験」より
<<(私の専門分野は核兵器の運用と制御でしたが,次第に意図せざる核戦争の危険性
を研究するようになりました1961年にロバート・マクナマラ国防長官の顧問に就任
しました.)
当時われわれの考えでは,ICBMの保有数はソ連のほうが優っていて,この
「ミサイルギャップ」が,ソ連からの奇襲があった場合の反撃能力に不安を抱かせ
ました.真珠湾攻撃型の奇襲が念頭にあったのです.・・(ハワイを本拠地として
太平洋沿岸に散在する軍の司令部署をことごとく訪問し研究にはげみました.)
沖縄の嘉手納空軍基地に行った際には,かなり多くの戦闘機が目に入りました.
いずれも機体底部には,核爆発力1・1メガトン(高性能爆薬100万トン以上に相当)
のマーク28核融合爆弾(通常,水素爆弾を指す)が固定されていて,通告の10分後
には離陸できるようになっていました.・・ただし,演習では実際の兵器を搭載して
離陸することはできませんでした.マーク28核融合爆弾は開発初期のモデルで,
性能が安定せず,落下事故や衝突が生じた場合には,大規模な爆発が起きたり,
核爆弾が破裂する可能性が予測されたからです...
韓国のクンサン(群山)基地にも行きましたが,ソ連の空軍基地まで空路数分の
距離にあるこの基地では,1メガトンの弾頭を装備した10機の戦闘機が,警報から
10分以内に発進する体制にありました.誤った伝達がもたらすリスクの重大性に
不安を覚えたのもこのときでした.搭乗員は警報の発令に過敏になっていました.
滑走路上で核関連の事故が発生した場合,基地自体が消滅し,他の戦闘機も跡形も
なくなったことでしょう.実際には攻撃されていないのに警報が誤作動した場合でも,
戦闘機は発進してしまいます.公認されざる戦闘行動,あるいは誤った警報によって,
目の前にある戦闘機がパチンコのように飛び散ってしまう光景を想像して強い危惧を
覚えました.
P12 「核戦争による死者数の想定」より
当時は,ソ連との戦闘が発生した場合,アイゼンハワー大統領の指揮のもと,
さまざまな手順に従って,ソ連だけでなく中国の都市もことごとく爆撃する命令が
空軍にくだされる計画が策定されていましたから,事態は更に深刻なものでした.
ベルリンや東ヨーロッパ,あるいはイラン,アフガニスタンなどいずれの地域で
あろうと,ソ連軍との戦闘が生じた場合,先の攻撃命令がくだされます.・・
限定戦争の想定や中国を排除したソ連軍との戦闘プランが用意されていないことを
深く憂慮した私は,ロバート・マクナマラ国防長官ならびに大統領補佐官を通じて
ジョン・F・ケネディ大統領に危惧の念を伝えました.ある日,私の起案した質疑書
が,ケネディ大統領の名前で統合参謀本部に提出されました.
私が投げかけた疑問は,「あなた方が作成したソ連との戦争計画(プランでしかない,
とはいえ)が,忠実に実行された場合,どれほどの数の人間が死ぬことになるのか?」
というものでした.一週間後,大統領のもとに参謀本部から回答が届きました.
この最高機密に属する回答が私にも見せられました.
「ソ連の反撃を想定しない条件で,我が国の核先制使用による死者の数は,
ソ連と中国だけで3億2500万人と予測している」
さらに私は,アメリカ軍の攻撃がもたらす世界全体での死者がどれほどの数に
なるのか,照会しました.1週間後に届いた回答は次のようなものでした.
「西ヨーロッパ,つまりNATO同盟諸国ではさらに1億人,特に東部での放射性
降下物は”風の向き次第”.これに加えて,東ヨーロッパ側の防空戦への対抗措置
と司令センターの判断による核使用で1億人の死者が見込まれる.さらにソ連・
中国の隣接地域ーーオーストリア,日本,アフガニスタン,フィンランドおよび
インドの一部などーーにおいても1億人の死者が発生する」
つまり,対ソ連攻撃計画が実行に移された場合の死者数は,合計でおよそ6億人に
のぼると計算されていたのです.600万人に上るユダヤ人大虐殺の100倍です.
しかも,ソ連軍の反撃による死者数は計算外です.
人類の歴史を通じて最も凶悪で無責任かつ無謀なプランです.しかも単なる
思考実験ではなく,仮想訓練でもありません.作戦計画が実行された場合,現実の
ものになるのです.
p14 「日本の港・沖合に核は持ち込まれていた」より
私はさらに軍の核兵器司令統制センターについても研究しました.沖縄の嘉手納
基地や韓国のクンサンとオサン(烏山)にある空軍基地さらには航空母艦から,
核兵器を発射する権限を有した多種多様な戦域司令官が派遣されていることを
知りました,当然,いずれの戦域にも核兵器が配備されているので,ソ連軍の
攻撃対象となることを意味しています.核を搭載した航空母艦や駆逐艦,巡洋艦
などの艦船が寄港する日本各地の港湾施設も攻撃対象となります.
さらに私は,国防総省への調査を通じて,核を搭載した戦車揚陸艦(LST)ーー
兵士や輸送車両を海岸に上陸させる目的で設計された平底の水陸両用車ーーの
存在を知りました.岩国の海兵隊航空基地では,航空機に移送される核兵器が
戦車揚陸艦に搭載されていました.警報が発令されると,戦車揚陸艦が沖合に
姿をあらわし,海岸線から800メートルの海上で待機します.日本の領土内
であることは明白です.戦車揚陸艦が波打ち際まで接近すると水陸両用の
牽引トラックが核兵器を搭載して艦内から飛び出します.トラックは何度も
往復し,核兵器を海兵隊の航空機に移し替えるのです.
揚陸艦は日本の沿岸域に常時停泊していました.海軍は,「母港の沖縄に
停泊中」とマクナマラ国防長官に虚偽の報告をしていました.・・・
もし事故が発生した場合,あるいは共産主義国家の潜水士が軍艦を爆破した
場合には,広島からさほど遠くない岩国で核が爆発する可能性が十分に
ありました.私がマクナマラ長官にこのことを伝えると,長官は,沖縄に
入港していた軍艦に移動禁止命令を出しました.
マクナマラ長官も海軍の官僚機構と一戦交えることを望まず,軍艦が
岩国に戻ることを許可したのです.こうして1967年まで岩国停泊が常態化
していました.ハーバード在学中に私が師事した教授で,当時は駐日大使を
つとめていたライシャワー博士がこのことを聞き及び,当の軍艦を日本から
退去させないなら大使を辞任すると脅しをかけました.海軍も折れて出て,
ようやく移動したのです.
私が1982年にこの経緯をワシントンポストの紙上で暴露し,・・・
ライシャワーもこれを追認した頃のことですが,日本社会党からこの問題に
ついて日本各地で講演するようお招きがありました.日本の防衛庁長官は,
核兵器が日本の領海に存在していたことについてなにも知らないと否定し
続けました.虚偽であることは明白でした.この件についてライシャワーと
意見を交わしていた日本政府は核兵器の存在を知っており,日本国民を
欺いたことは,ライシャワー自身も認めている通りです.・・・
アメリカ政府と同様に,あらゆる政権は嘘をつくものです.その発言の
すべてが嘘というわけではありませんが,嘘がつきものです.この場合,
日本政府は反戦運動の高揚を回避するために虚言を繰り返したのです.
(その後,自ら志願して,ベトナムの現地に赴き,間近に戦争を体験)
<<次第に,ベトナムで勝利は出来ないし,犠牲に相当する成果も
得られそうにないことが,はっきりしてきました.そうした観点から
見ると,ベトナムの民衆を殺し,自軍からも死者を出しつづけることに
正当性は認められません.でもその時点ではまだ,ベトナム共産主義者の
反政府行動あるいは侵略行為との戦闘活動には正当な理由があると考えて
いたのです>>
p19 「ベトナム関与の歴史ーーペンタゴン・ペーパーズに接触」より
(現地で肝炎にかかり,帰国した筆者は,後にペンタゴン・ペーパーズとして
知られるようになる「ベトナムにおける合衆国の意思決定」の研究に従事する)
<<すでに1945年の時点で政府がベトナムに関する意思決定をくだしていた
ことを知る者などいませんでした.私も知りませんでした.かつての植民地
支配を軍隊の派遣によって再建しようとするフランスの試みを,ごく初期の
段階から支援していたことがわかりました.・・
1950年前半までに,フランスの戦闘行為に要した費用の80%を
アメリカが負担していました.したがってベトナムの人々が見抜いていた
ように,フランスとアメリカが連合してベトナム独立に敵対した戦争であり,
フランス単独の戦争ではありませんでした.・・私の観点から見ると,
アメリカにとってはごく初期の時点から理不尽な戦争だったのです.
本質的に帝国の戦争であり,新しい植民地戦争であり,加担にはいかなる
正当な理由も見い出せません.私には,長年にわたって不当な殺人行為が
行われてきたものと思われました.虐殺行為にほかなりません.
いついかなることがあろうとも,殺人に加担することなどあり得ませんし,
これに抵抗し,これを阻止するために自分にできることを実行しなければ
ならないと考えました.理不尽な戦争であり,公正な戦争ではありませんでした.
問題は私になにができるかということでした.>>
p20 「非暴力抵抗者との出会いが人生の転機」 より
あれやこれや考え尽くしました.私の人生の転機となったのは,ガンディ
やマーティン・ルーサー・キングにならって投獄を恐れずに戦う若きアメリカ人
たちとの出会いでした.彼らは誠実さと非暴力主義をつらぬきながらも強硬な
手段で徴兵を拒否し,戦争に抗議していました.・・・
投獄される若者の姿を見て,私は自分に問いかけました.
「投獄の覚悟はできた.戦争を終結させるために,私になにができるのか?
私が思いついた行動の一つが,戦争史を研究するなかで知った7000頁におよぶ
最高機密文書を明るみに出すことでした.・・・
わたしの人生に与えられた最大の使命は,広島と長崎に次ぐ核兵器のさらなる
使用を阻むことに尽きると言えましょう.私の見通しでは,ベトナム戦争が
拡大の一途をたどるなかで核兵器が使われる可能性もありました.詳細はわかり
ませんが,ニクソンが1969年以降,核による威嚇の段階に踏み込んでいるのでは
ないかと疑念をもっていました.この威嚇の実行を思いとどまらせたのは,
アメリカ国内の抗議行動でした.当の抗議する人々は知るよしもなかった
でしょうが,その行動こそが阻止する力になっていたのです.
(🦊キツネ注:1971年に筆者がニューヨークタイムズに資料を提供すると,裁判所
から禁止命令が出された.<<アメリカ史上で初めて,事前抑制と差し止め命令
によって新聞の発行が妨害されたのです.合衆国憲法修正第一条は本来,こうした
差し止め命令を阻むために作られたものです>>
逮捕の危険を感じて身を隠しつつ,残りの部分を公開しようとしますが,大新聞4紙
に差し止め命令が出される.しかし他の19の新聞が掲載継続を申し出て,大統領と
司法長官への不服従を表明した.
結局,最高裁判所は,政府の主張には憲法第一条の適用を除外するに足る根拠なし,
として新聞発行の継続を可とする審判を下した.しかし本人は12にのぼる連邦法
の重罪を適用され,累計115年の刑期にあたるとして起訴された)
<<政府機関の機密事項を広く社会に漏洩した者にたいするアメリカで最初の訴追
でした.>>
<<オバマ大統領は就任に際して,これまでにないような透明性のある施政を
約束し,とりわけ民主主義に欠かせないものとして内部告発を奨励する姿勢を
とりました.ところが,スパイ活動法を適用した9件にのぼる情報漏えい者への
訴追手続きをすすめました.・・オバマ大統領は公開性,透明性についての選挙
運動中の公約を完全に破棄したのです.>>
(また,後にウオーターゲート事件で逮捕されたヤクザ集団「鉛管工」につけ
ねらわれ,大怪我をさせられそうになった,などまさに命がけの告発だった.)
p65 「正当化の論理」より
(1944年に,13歳の筆者は,学校の社会科授業で,先生が手に入れた原爆に
についての,当時はまだ機密公文書に指定されていなかった論文を題材に,
つぎのような問題について,一週間以内に短い作文を書くよう,宿題を出された.
問題:ひとつの国,あるいはいくつかの国が,原爆製造の可能性を追求する道を
進み,実際に成功をおさめた事態を想定してみよう.
人類にとってこのことが暗示するものは一体なんなのか?
現に存在する人間と国家にとって,どう使われることになるのか?
結局のところ,世界にとってこれは悪いものなのか良いものなのか?
たとえば,平和の力になるのものなのか,それとも破壊の力になるのか?)
<<私たち生徒がそれぞれ出した結論は,次のようなものでしたーーー.
こうした爆弾の出現は,人類にとって悪い知らせでしょう.これほどの破壊力を
扱う力が人間にあるとは思えません.適切に制御することなどできません.
その能力は「悪用される」ことでしょう.つまり危険な形で・破壊的に使用され,
恐ろしい結果をもたらすにちがいありません.多くの都市が壊滅しつくされます.
(中略)破壊力があまりにも強大です.「ブロックバスター」と呼ばれるほどの
爆弾の存在だけでも十分に理不尽なことです.さらにその1000倍も上回る爆破力
で都市をまるごと破壊するなど,人類は想定さえしていません.>>
(1945年 8月に広島と長崎に原爆が落とされ,その週のうち戦争が終わった.
デトロイトの街角で新聞の見出しを目にした瞬間,周囲のアメリカ人から自分を
引き離す感覚を感じとった.それまで一般のアメリカ人はマンハッタン計画
そのものも知らず,いきなりその使用を知らされても,「非常に偏った楽天的な
連想」しか思いうかばなかった.)
<<私たち(生徒)が前年の秋に身に付けた考え方は,8月6日以降に核の新世紀に
ついて考えはじめた他の人々とは異なるものでした.
正義の力を体現するこの兵器のおかげで戦争に勝利したのであり,これがなければ
100万人にのぼるアメリカ人の命,さらには同規模の,あるいはそれを超える
日本人の命が犠牲になったはずであり,その功績は偉大なものだ,といった
主張や見せかけによって形成され,あるいは歪められたものとはまったく異なり
ました.
ほとんどの人々にとって,・・終戦時および戦後初期には,その正当性ならびに
奇跡的な永遠の可能性が現実となったという雰囲気に圧倒されていました.
いまでも大多数のアメリカ人は,広島と長崎に落とされた原爆について,自分たちの
命,自分たちの夫,兄弟,父,祖父などの命を救ったもの,これがなければ
日本侵攻という危険を冒すことになったものとして,特段の感謝の念を捧げています.
こうした人々にとって,原爆は殺戮の道具などではなく,むしろ一種の救世主,
貴重な生命の防護装置だったのです.>>
<<総じて,アメリカ人はその後もずっと,広島と長崎の住民の殺戮を必要かつ
効果的なものとみなしてきました.実質はテロリズムですが,一定の状況下での
正当な手段としたのです.一日のうちに行われたものとしては歴史上1番目か2番目
に多い殺戮行為が,彼らの目から見て正当化されました.(最大のものは,やはり
アメリカ陸軍航空隊によって5ヶ月前の3月9日の深夜に行われた東京への焼夷弾
爆撃で,8万人から12万人の市民が焼死あるいは窒息死しました.この出来事の
一部始終を知るアメリカ人はごく少数ですが,その殆どが戦時には妥当なものであると
容認しています.
こうした行為の数々を,犯罪的で人間の道義に反するものには該当しないとみなすこと
ーーほとんどのアメリカ人の見方ですーーは,正当化の根拠となるなにかーーその
なにかが問題なのですがーーの存在を信じることです.最悪の状況で必要とされる
より小さな悪の存在です.少なくとも,戦時であって,大統領の命令に基づいて,
自国民によって実行されたという条件が必要です.いかにも,アメリカは世界でも類を
見ないほど,爆撃によってーー具体的には,大量破壊兵器で都市を次々に爆撃すること
によってーー戦争に勝ったと信じ,しかもその行為が完全に正当であると信じている
国なのです.これは危険な精神状態です.>>
p76 「父の告白」より
(彼の父ハリー・エルズバーグは,構造工学技術者として,戦時中は大規模な爆撃機
生産工場の設計などにたずさわっていたが,戦争が終わったとき,ワシントン州
ハンフォードにあるプルトニウム製造施設に,主任構造技術者として移籍した.
しかし,1年後,その仕事をやめてしまった)
<<それからおよそ30年たった1978年,父は89歳になっていましたが,ギッフェル&
ロセッティ事務所(建設事業関係の大手事務所)を辞めた理由を問いただしたことが
あります.その答えに驚きました.
「水爆の設計を手伝うよう求められたからだ」と父は言ったのです.その言葉を聞いた
私は息を呑むような思いでした.1978年当時,私はジミー・カーター大統領が
ヨーロッパに送り込もうとしていた中性子爆弾(小型の水爆です)の配備に反対して,
昼夜の別なく活動に邁進する日々でした.
中性子爆弾は,通常の核爆発による破壊力に比べて,中性子線の放射による殺傷力の
及ぶ範囲が大きくなります.最も効果的に作動した場合,中性子爆弾を空中で爆発
させると,放射性降下物は少量しか発生せず,構造物,設備,乗り物などもほとんど
破壊しません.ところが人間は,建物や密閉されたタンクの中にいても死んでしまい
ます.ソ連は,人々を殺戮し,資産を破壊しないことから,これを「資本家の兵器」
とあざ笑っていましたが,他の国々と同様にこの兵器の開発実験に取り組んで
いました.私はほぼ20年間,こうした構想に基づく兵器の開発や実験に反対して
きましたが,・・・
私が恐れたのは,致命的な影響の制限・制御が可能な「小型」兵器という外見を
装った中性子爆弾を,軍事兵器として最適なものとしてアメリカが最初に使う,
さらには「制限された核戦争」を引き起こすということでした.アメリカの兵器廠
の大半を占め,当時のソ連が所有するすべてとも言える,もっと大型で,放射線を
撒きちらす兵器と入れ替わるだけなのです.
父が水爆となにか関わりがあったのか,それまで聞いたことがありませんでした.
私は,ギッフェル&ロセッティ退社についてさらに問いかけました.
「水爆の原料を生産する大掛かりな工場の設計責任者になるよう求められ
たんだ」・・・
その話はいつのことかと聞くと,「1940年の終わり頃」という返事でした.
「それは勘違いじゃないかな.当時は水素爆弾のことなど知るよしもないし,
時期が早すぎるよ」
(原子力委員会の一般諮問委員会は,ロバート・オッペンハイマーを委員長として,
水爆の突貫工事に着手するかどうか検討中だった.委員会は強く反対すると勧告
したが,トルーマン大統領はこれを却下した.トルーマンが着手を決断したのは
1950年1月)すると父がこう言ったのです「だが,事を進める動きがあるなら,
誰かが工場の設計をしなければならない.自分は論理的な人間で,戦後は
ハンフォードで事業全体の構造系の責任者だった.Q証明をもっていたよ」
原子力委員会による資格証明で,核兵器の設計や備蓄に関するデータに接触
できる「Q証明」を父がもっていたと聞いたのは,これがはじめてでした.・・・
「辞めた理由は?」「水爆を製造するのは嫌だった.なにしろ,爆破力が原爆の
1000倍以上だ!」・・・
「これまでの)原爆の仕事も気がすすまなかった.だが当時,アインシュタインの
考えはその必要性を認めているように思われたし,わが国がソ連に対抗して保有
すべきだという考えは納得できた.だからその仕事についたのだが,すっきりした
気分にはなれなかった.まもなく,1000倍の爆破力をもつ爆弾を製造中で,自分の
担当の仕事と聞かされた.自分の事務所に戻ってこう言ったよ.「あの連中は正気を
失っている.A(原子)爆弾を手にしながら,今度はH(水素)爆弾を欲しがっている.
アルファベット順に最後のZ爆弾まで行くつもりだろう」
「そうだね,いまのところN(中性子爆弾)までだけど」・・・
「もう一つ,どうしても我慢できないことがあった.核兵器を製造すると大量の放射性
廃棄物が発生する.廃棄物容器の設計には責任など負っていないのだが,いずれ漏れ
出るのは目に見えていた.廃棄物は非常に長い期間,極めて有害なものだ.2万4000年
の間,放射線は絶えることがない」またしても父は正確な数字をあげたので,私は言い
ました「お父さんの記憶力は全然衰えていない.・・・」
父は涙ぐみかすれた声で話つづけました.
「自分が,母国の土地をずっと汚染し続ける事業計画のもとで働き,数千年も人間が
暮らせない土地を生み出しているのかもしれない,と思うと耐えられなかった」
「辞めたのはお父さんひとりだけ?」父はうなずきました.>>
p82 「父に決断させたのは」より
<<なにがそれほど強く父を動かし,他にだれもしないような行動を父にとらせたのか,
父に訊ねました.
「お前と同じだよ」という答えでした.
なにを指して同じというのかわかりません.「どういうこと?このことで,これっ
ぽっちも話したことないし,なにも知らなかったんだ」
すると父がこう言ったのです.
「かなり前のことだ.ある日,おまえが一冊の本を手に,泣きながら帰宅したときの
ことを憶えている.広島についての本だった.「お父さん,この本を読んだんだ.こ
んなひどいこと,はじめて知ったよ」と言っていた.
ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」に違いありません.書籍として発刊されてすぐに
読みました.ただ,父に渡したことは憶えていませんでした.
「そう,私も読ませてもらった.お前の言う通りだった.ちょうど,原爆製造への
かかわりに嫌悪感をもちはじめた頃だった.そんなときに,水爆の仕事に携わって
ほしいと言われたんだ.もう耐えられなかった.引き際と考えわけだ」・・・
さいごに私の疑問をぶつけました.「お父さん,いままで何も聞かずにいたけど,
どうしてなの?全く話してくれなかったのは,なぜ?」
「このことは家族にも言えない.おまえにも機密情報を教えるわけにはいかなかった」
そう,ようやく私に情報への接触許可がおりたわけです.父が引退して10年後のこと
でした.有用な情報であることはわかっていましたが,その後の数年間,私は父から
聞いたことを封印しました.>>
p83「ケーラー青年との出会い」より
<<1969年,私は,戦争抵抗者連盟の年次総会に足を運びました.・・・
(それまでに)自己犠牲をいとわず,凶悪な行為へのかかわりを断つ非暴力的抵抗の
思想に感化されていましたが,現実にこうした理念で人生をまっとうしている人々
との出会いは経験していませんでしたが.さまざまな人々に会うことができました.
なかでも強烈な印象を残したのがランディ・ケラーという青年でした.
私と同じハーバード大学を卒業し,当時はスタンフォード大学の教育局で働いて
いました.
会議が終わりに近づいた頃,演壇に立ち,彼は,カリフォルニア州オークランドの
徴兵検査場での抗議行動で逮捕された経験があり,一切協力しないことを徴兵委員会
に通知して,徴兵登録カードを送りかえしました.世界中から集まった聴衆とともに
彼の発言に耳をかたむけながら,すばらしいアメリカの青年がここに一人立っている
と考えていました.海外から来た人々に,この青年に代表されるすばらしい
アメリカ人を見てもらえたことに喜びを感じていました.・・・
ケーラーは,いずれ獄中で仲間たちと再会できることを誇らしく思い,満足している
と語りました.徴兵拒否裁判の有罪判決を期待しているという発言をはじめて耳に
しました.これからも運動は絶えることがないし,自分が投獄されても仲間たちに
闘争が引き継がれることがわかっているので幸せな気分だ,と発言は続きました.
心の底から驚愕する思いでした.なにがこの青年を駆り立てているのか,見当も
つきません.多くの聴衆がすすり泣き,わたしも涙が流れはじめました.会場を
出て裏手にある小さな男子用トイレに入り,ドアをロックして床に座り込んだまま,
ひどく興奮した状態で泣きじゃくりました.
これが私の祖国のたどりついた現実なのだと思えました.私の見るところ,同世代の
最良の青年たちが,自分の人生をかけて最善の行為に訴えると,投獄の憂き目
をみるのです.理不尽な戦争に自分たちは加担しないし,すべきでもない,と最大限
の強さで意思を表す行為です.無論,私の思いも同じでした.
当時14歳の息子のことを思いました.・・実際4年後,18歳になった息子は,ベトナム
戦争の継続する状況で徴兵が可能になりました.彼は徴兵カードを返却し,私に
相談もなく,投獄される危険を冒しました.当時,徴兵を拒否する多くの青年が現れ,
およそ5万人が裁判所に出廷し,投獄される可能性のある訴訟手続を強いられました.
その後,それを上回る数十万人が徴兵への協力を拒みました.ニクソンは徴兵を中止
し,撤回するはめになり,私の息子も裁判にかけられずに済んだのです.
p87 「声をあげ,立ち上がった人々」より
スエーデンやカナダに逃亡するのではなく,良心的兵役拒否の道を選ぶのでなく,
投獄をあえて受け入れることを選択した若きアメリカ人に触れることで,私の人生は
一変しました.理不尽な戦争に加担してはならないという主張を,可能なかぎり強く
発信することが彼の目的でした.
その主張の強みを理解し,私の人生に照らして感じることが多かったゆえに,意義
申し立ての威力を学び取り,それが私を変えてくれたのです.先駆けとなった若者
たちへの感謝の念を忘れず,後に続く人々に伝えてその行動を励ましたいと思い
ました.>>(中略)
◎<<きっと日本では年齢層を問わず,声をあげるべきときには,そうした行動を
とられる方が大半だと思います.日本の多くの方々は,過去の経験を踏まえて
そうした考えに立ち,チェルシー・マニングやエドワード・スノーデンあるいは
ランディ・ケーラー,さらには様々な国で同様の行動に立ち上がった多くの人々
のことを模範としているものと確信します.これらの先駆的な人物に励まされて,
不法な行為に,「これは間違っている,私は協力しない,これを続けるなら,
まず私を逮捕してからだ」と,多くの人々が声をあげ,たちあがったのです.
正当性を欠くことに加担する権利など誰にもないという事実にひとびとの目を
向けることができたらという願いがこめられていました.>>
p94 <<・・・核兵器への嫌悪感と不吉な予感は,1945年以来,全く変わらない
ままで,片時も私を離れません.14歳のとき以来,核戦争の勃発を阻止することが
私の人生の最も重要な目標です.
◎ 保有核兵器に関するアメリカの秘密主義とごまかし,それが招く重大な影響が
人類の生存を脅かしている,とずっと以前から確信してきました.わが国の核政策の
根本的変更が緊急の課題であると理解することが,核兵器廃絶に向けて世界を動かす
力になるのです.
原子力時代の真実の歴史についての新たな理解がわれわれに求められています.>>
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「トップシークレット・アメリカ」 最高機密に覆われた国家
ディナ・プリースト&ウイリアム・アーキン 著 玉置悟 訳
草思社 2013年刊 定価 2600円+税
キツネ注:この本のカバーに記された文をここに引用しておく.
「9・11以降,テロとの闘いという大義名分のもとに,アメリカでは
雨後の筍のように機密機関が生まれ,膨大な「最高機密」を扱う
プログラムが立ち上げられた.1200を超える政府組織,25万人以上の
従業者,そして政府から業務を請け負う民間会社の人員を含めると,
じつに85万人以上の人間がなんらかの「最高機密」にアクセス
しているという非常事態となっている.
無数の最高機密に覆われ,ジャングルのごとき迷宮と化したアメリカの
現実を,ワシントンポストのベテラン記者らが緻密な取材によって暴き出す.
いずれ日本もこうなるのか?」・・・・
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本文はディナ・プリースト記者(女性)によって書かれた.共著者ウイリアム・
アーキンは,元陸軍情報部の分析官であり,彼が情報収集や資料分析を行った.
p7 「永遠に続く警戒態勢」より
<<2001年9月11日から2002年にかけてのパニックに陥った混乱のなかで,
CIAもFBIも軍事情報局も,アルカイダについてほとんどわかっていない状態
だったことを思えば,当時のアメリカが大捜査網をしいて,警察国家のように
なったのも無理はなかったかもしれない.だが,それから10年の月日が流れ,
その間に,情報機関や治安当局はハイテク監視システムや情報分析の分野で
大きな進歩をとげた.CIAや米軍特殊部隊は多くのアルカイダを殺し,
今のアルカイダは9・11以後に連携を始めたグループを加えても世界に数百人
程度しか残っていないと思われる.もはや,以前のような大捜査網はあまり
意味がなくなっている.
だがそれにもかかわらず,アメリカ政府はとくに理由もなく警戒レベル”イエロー”
を維持したまま,国土安全保障に関係する膨大な数の政府や民間の組織を
抱えつづけている.その理由のひとつは,ワシントンの政治家にとっては,
もし間違えたら代償はあまりにも大きいからだ.(オバマ政権初期に国家安全
保障担当補佐官を努めた人物いわく)「”もうそれは必要ない”といって,その
3週間後に何かが起きたらどうするんですか?誰もそんなリスクは負いたく
ないですよ.規模を縮小するなどありえないでしょう」>>
p8 「本書を出版する理由」より
<<私たち2人の著者は,わが国がそのような状態に陥っている
おもな原因は,政府がテロとそれに対する適切な対処法について,
いまだに国民と正直な会話を交わしていないことにあると思って
いる.私たちは,そういう対話を促進する一助となることを願って
本書を書いた.
だが,インテリジェンス・コミュニティの多くの人たちは,本書が
出版されることを望まなかった.私たちは2010年7月に
「トップシークレット.アメリカ」と題した記事をワシントンポスト
紙に連載したが,その連載を始める前に,トップシークレットを
扱う政府や民間の組織について私たちが数年間にわたって集めた
データを政府に見せ,公開されているソースからどのようにして
それらのデータを集めたかを説明し,国の安全保障への懸念に耳を
傾けるよう要請し,そして私たちはその詳細に関して
インテリジェンス・コミュニティに属する16の情報機関のほとんど
とディスカッションを行った.
すると,「国家情報長官府」(アメリカの16の情報機関を統括する
国家情報長官の事務所)が驚くようなことを要請してきた.
私たちが集めたデータを記事にすると,国の安全保障を毀損する
可能性があるので,公開しないでほしいというのだ.だが,なぜそれを
記事にすると国の安全保障を毀損するのかについては理由を示さず,
同府は私たちの記事がワシントンポスト紙に連載されるので注意する
ようにと,機密を扱う民間企業に警告を発した.
一方ワシントンポストは私たちの記事のどのあたりが国の安全保障に
関係しそうかを調べ,私たちは編集長から「適切な変更を行う」ように
命じられた.
そういうわけで,私たちはこのたび本書の出版を引き受けて
くださったリトル・ブラウン社に大変感謝している.彼らは
ワシントンポストに連載した記事よりはるかにたくさんのことを
書かせてくれた.>>
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◎ キツネのつまみ食い
この厚手の本には,沢山のエピソードが盛り込まれており,読み物
として面白い.全体としてコメディ映画に使えそうだ.つまり
愚かしいニンゲン集団の物語.
だが,この馬鹿げた大凧のシッポにぶらさがっている小凧に,「日本」
と書いてある.ある日綱が切れて,どこへ飛ばされてゆくのやら・・
ここにいくつかのエピソードを拾ってみた.
エピソード1.「トップシークレット・アメリカ」
<<元陸軍情報局の分析官だった(共著者の)アーキンは,インターネット
がまだなかった80年代に,ヨーロッパに駐留する米軍が保管する核兵器の
秘密の保管場所を,電話帳など誰でも入手できる一般に公開された情報源
を使ってつきとめ,ペンタゴンを激怒させたうえ,ヨーロッパ中に大騒ぎ
を巻き起こしたことがある.だがかれの目的は,米軍の機密保持がいかに
いい加減かをアメリカ政府に示すことだった.彼はアメリカの国家安全
保障の実態を調べるために,長年に渡って大量の資料を集めて分類整理
している.彼が収集しているデータは,予算書,契約書,軍の指令書,
議会の公聴会の記録,軍や情報機関の求人広告,電話番号,会計検査の
記録その他,多岐にわたる.
9・11から少しして,アーキンは予算や公聴会の記録や軍の司令に
おびただしい変化が起きていることに気づいた.それまでなかった暗号名
が次々と登場しはじめたのだ.それらはみな,バラエティに富んだ規則性の
ない単語からなっており,2つのたとえば「ビジー・ロブスター(忙しい
伊勢海老)」とか「ファーヴェント・アーチャー(熱烈な弓の射手)とか
スカーレット・クラウド(緋色の雲)」といった具合に,意味をなさないもの
ばかりだった.・・
(彼は増え続ける暗号名をファイルしてゆく中で,政府の安全保障システムに
大きな欠陥があることを発見した)
<<最高機密と思えるものを含む沢山の暗号名が,政府や民間のウェブサイト
の,機密を扱う資格を持つ人を求める求人広告に出ていたのだ.
たとえば,あるインテリジェンス関係の正体不明のコンサルティング会社の
求人広告には,NSAが機密指定したプログラムの名がいくつか使われており,
たとえば「求む,ワシントン地区に居住することができる”上級分析サポート”
の専門家」という求人では,「最低でも次のうち2つの仕事ができる者」
として「碇十字」「オクターブ」「スカイライダー」「学期」「ジャガー」
「狐の眺め」「Eワークスペース」「細うねのコール天」「ホームベース」
などとなっていた.これらはいずれもただの単語の羅列で,部外者には
なんのことかわからない.
アーキンは,特定の種類の技術を持ちトップシークレットを扱う資格のある
人を求める求人広告を集めてファイルする作業を続けた.それらは新規に
出るものだけでも毎日400件から600件ほどあり,総数では毎日1万5000
件もあった.・・
アメリカ政府の分類によれば,「シークレット」とは,「公開されれば
国家の安全に深刻なダメージを与える事柄」を意味する.たとえば,
ウイキリークスが暴露した,アメリカ国務省が在外公館と交わした通信の
多くは,諸外国の指導者のことや彼らとの合意の内容をあけすけに延べて
いるので,「シークレット」に属する.また,海外に駐留する米軍部隊から
本国へ定期的に送られる報告も,敵に渡れば有用な情報となるので,
「シークレット」に分類される.
(一方)「トップシークレット」とは「公開されれば国家の安全保障に
比類ない重大なダメージを及ぼす事柄」である.このカテゴリーは,
情報機関の情報源(内通者)や,核兵器や特殊作戦のような特別な軍事力に
関することに使われる.
たとえば,密かにアメリカ政府に情報を流している外国政府の人間が誰
なのかわかる情報や,外国の指導者の会話を密かに盗聴するのに使われる
技術や,盗聴した会話の内容なども「トップシークレット」になるだろう.
2008年夏,私はアーキンとチームを組み,彼が何年もかけて集めた
「トップシークレット」レベルの求人リストを,他のさまざまな情報と
突き合わせる作業に加わった.その時点で,彼は「トップシークレット」
レベルの仕事を行っている民間企業200社のリストを持っていた.だが
数週間のうちに彼のリストは500社に増え,会社の名前だけでなくアドレス
や進行中のプログラムやその内容,それが行われている場所などの情報も
加えられた.時間とともに,それらの数はさらに2倍,4倍,8倍,と増えて
いった.またそれとともに,所在地が特定できない組織や活動,さらに正体が
はっきりしない組織が浮上しはじめ,アーキンも私も知らない組織の名が
増えていった.
調査の対象が組織に移るとともに,アーキンはそれらの組織が政府と組んで
いる契約に焦点を移していった.アメリカ政府からさまざまな企業に膨大な
額のカネが支払われているということは,政府は我が国最大の購買者だと
いうことだ.トイレットペーパーからコンピューターから監視機器から兵器に
いたるまで,政府は民間企業からさまざまなものを買っている.モノを購入
するだけでなく,建設会社からインテリジェンス関係の分析の専門家から,秘
密活動の専門家に至るまで,アメリカ政府は様々なサービス業者と契約している.
当然ながら,トップシークレットの活動には偽名を使ったり,中間に
エージェントを置いたりしている.だがアーキンは,政府の調達報告に出て
くる企業のアドレスや電話番号や偽名を突き合わせることにより,政府が
どのように燃料を買い,電気代を払っているかを解明し,この巨大な,
膨張を続ける総体の,活動の全体像を描き上げた.「トップシークレット」
を扱う企業や政府機関の数やその求人が急増しているのを見れば,何やら
今まだ起きたことのないことが政治の世界で起きていることがわかる.
私たちはこの現象を「トップシークレット・アメリカ」と名付けた.>>
◎インテリジェンス機関=政府の情報,諜報機関
エピソード2. 「スーパーユーザーの嘆き;何がなんだかさっぱり
わからん!」
(あるスーパーユーザー”= トップシークレットに触れることを許された者,
大統領,側近の法律顧問以外のごく少数のインテリジェンス関係者の一人が,
体験を語った.)
<<彼はまず暗い小部屋に案内され,小さなテーブル上に置かれたモニター
に向かって座った.メモを取ることは許されないと言われ,秘密プログラム
の詳細が次々にモニターに映しだされはじめた.だが画面は次から次へと
速いスピードでながれてゆく.とうとう彼は大声を上げた.「止めろ!よく
読めないじゃないか.これじゃ何も憶えられない!」
議会でも,通常レベルの秘密ブリーフィングを受けることができるのは,
上下両院にある情報委員会と,予算を決める国防歳出小委員会の委員だけである.
つまり,それらの委員を務める少数の議員たちには,情報機関が何をしているか
を監督するという,ほかの委員にはない特別な任務がある.イラク攻撃が現実味
をおびてくると,議員たちはもっと情報を出せと叫び,「国家情報会議」に
「国家情報予測」を出すよう要求した.
だが,92ページからなるレポートが議会に届いたとき,冒頭の5ページに
書かれた「概要」より先まで読んだ議員は数人しかいなかった.
その理由は,このレポートをすべて読むのは極度に骨が折れるうえ,非常に
不便な作業になるからだ.まず第一に,内容がすべて機密指定されているので,
議員たちはコピーをすべて自分のオフィスに届けてもらうわけにもいかず,
それを読むために用意された特別な部屋までわざわざ出かけていかねば
ならない.しかも,秘書や側近は同席できない規定になっており,その部屋の
中に一人で座って読まねばならないうえ,メモを取ることも許されないのだ.・・・
しかも,このわかりにくいレポートには,じっくり読んでも見落としそうな
小さな脚注がいくつもついている.国務省の「情報および調査局」の見解も
その一つだった.それには,「イラクが大量破壊兵器を保有しているという
報告には,大きな疑いがある」という重要な異議が示されていたのだ.
テロに関することはほとんど機密指定されてしまうという状況のなかで,
議会は情報機関が何をしているかを知ることのできる唯一の存在だった.
だが議員たちがその役を十分に果たせたかと言うと,そうではなかった.
NSA(国家安全保障局)による令状なしの通信の盗聴・検閲や,CIAや軍の
「特定の人間をターゲットにした殺害」や,強化尋問法など,論争の的に
なっていたブッシュの対テロ戦争のやり方について,ブリーフィングを
受けたのは選ばれたごく少数の議員だけだったが,彼らでさえ「内容を
他言しない」という書類にサインさせられていたため,疑問を抱いても
発言できなかった.そして議会がイラク攻撃を承認すべきかどうかを判断
する重要なときになると,議員たちは年次予算の審査などで忙しく,入手
可能な情報を分析している時間がなかったらしい.つまるところ,パウエル
国務長官が「大量破壊兵器はある」と言ったので,議員たちはただそれを
信じたのだ.パウエルは党派を超えて正直な人間と見なされ,信頼されていた.
(中略)
また多くの場合,上下両院の情報委員会のリーダーたちは,CIAから秘密
作戦についてブリーフィングを受ける唯一の議員だが,彼らはたとえ機密を
扱う資格と専門知識のあるスタッフや法律家を抱えていても,
ブリーフィングを受けるときにそれらのスタッフを同席させることが許されて
いない.つまり,彼らは技術的あるいは法的に難しい問題を,専門家の助け
を借りずにすべて一人で理解しなければならないのだ.
このようなあまりにも多くの情報が機密化されたことにより,自分自身が
作った機密で歪められた政府が出来上がってしまった.その良い例が,
「カーブボール」という暗号名で呼ばれたドイツ在住イラク人情報提供者
の一件だ.この男が,「サダム・フセインのイラクが大量破壊兵器を所有
している」という作り話をドイツの情報機関に語り,それがアメリカ政府の
判断に大きく影響したとされている.だが,この男の素性は厳重な機密に
覆われていたため,十分な身上調査ができなかったというのだ.2011年に
なって,ようやく「カーブボール」はイギリスの「ガーディアン」紙の取材に
応じ,サダム・フセイン政権を潰したくてドイツ情報部に作り話をしたこと
を認めた.>>
◎キツネのつまみぐい:このはなし,日本政府の議会対策の一つ,黒塗り
文書,改ざん文書に似ていないかい?今に公文書の電子化が進んだら,
米国流に「機密電子文書」がうーんと増えるに決まっている.今でさえ,
「自衛隊の海外派遣が違憲か合憲か」という話なのに,「防衛上の機密
ですので」と,逃げる.米軍機が日本の空を我が物顔に飛び回っているっての
に,「この空は日本のカラスやトンビや飛行機のものですよ」とも言えない,
卑屈な日本政府のことだもの.
エピソード 3 「CIAと同盟国との関係」
<<CIAと外国のパートナーとの関係は,メディアが伝えるよりすっと強固だ.
とくにイギリス,オーストラリア,カナダ,ドイツ,ヨルダン,ポーランド,
フランス,サウジアラビアなどの情報機関との関係は鉄壁と言えるほど固い.
たとえ表の世界では政府間の関係が険悪になっても,秘密プログラムの
”引き出し”(個々の実行活動)のなかでは変わらず仕事はとどこおりなく行われ
る.たとえばポーランドは,ロシアから国を守るためにアメリカとの同盟が
必要だと確信している.冷戦終結後のCIAとワルシャワの関係は,1991年の
湾岸戦争のときに,敵地に取り残されたCIA工作員グループを救出する
作戦を,ポーランドの特殊部隊が助けたことで揺るがぬものとなった.CIA
は感謝の意を表し,そのころできたばかりのGROM(グロム)と呼ばれる
ポーランド特殊部隊に資金と訓練を提供した.
私はワルシャワで,同部隊の父と言われるポーランドの将軍をインタビュー
したことがある.・・・その時将軍は「ポーランド軍は,米軍ができない
ことをするのを許されていた」と言った.
のちにそのことについてある人に訊ねたところ,その人は,「おそらく将軍が
言っていたのは,ポーランド軍特殊部隊は米軍兵士が殺すことのできない
ターゲットを殺すこと許可されていたことを指しているのではないか」
と言った.イラク戦争のとき,米軍スナイパーは,ターゲットが手に武器を
持っているのを確認してからでなければ撃つことが許されていなかった.
だが複数の米軍関係者によれば,ポーランド軍の精鋭であるGROM
の規則はそこまで厳しくなく,夜間外出禁止令が敷かれたファルージャの
通りで,手に携帯電話を持っている者がいれば誰でも撃つことが許されて
いたという.ポーランドの特殊部隊は非常に有効だったため,アフガニスタン
でもCIAのさまざまなユニットに派遣され,CIAと海軍の「シールズ」の
指揮下で活動した.
実は,ポーランド軍特殊部隊は,イラク戦争が始まる前にCIAとともに
イラクに足を踏み入れた最初のグループに加わっていた.私がワルシャワで
インタビューしたポーランド情報機関のある元高官は,その証拠に,
ペンタゴンから送られた感謝状を誇らしげに見せてくれた.感謝状には
ドナルド・ラムズフェルドの署名があり,「2002年7月から2003年12月3日に
かけて,(米軍の)”イラクの自由”作戦への秘密支援作戦を成功裏に遂行した」
と書かれてあった.だが日付に注目してほしい.イラク戦争が始まったのは
2003年3月なのだ.>>
◎キツネ注:以下,ヨルダン情報部,イギリス情報機関との深い関係に
ついても,話は続くが,割愛.
エピソード 4 「不安の文化」は「カネを注ぎ込む文化」を生んだ.
ーー対テロ戦争を引き継いだオバマーー
<<大統領就任式まで2週間となった2009年1月5日,オバマは専任した
ばかりの安全保障関係の主要メンバーと「大統領移行オフィス」で
ミーティングを行った.そのオフィスは,ホワイトハウスからさほど離れて
いないワシントンの北西6番通り451番地にあるビルの広々とした3フロアを
占めており,内部の会話や通信をいかなる傍受,盗聴からも遮断するSCIF
(スキッフ)と呼ばれる設備のある部屋を備えている.そのオフィスのSCIFは
CIAが管理しており,使われる通信システムは「統合全世界インテリジェンス
・コミュニケーション・システム」と呼ばれ,セキュリティシステム付きの
テレビ電話も備えていた.
そのミーティングで,オバマとそのチームは国家的危機の発生を想定した
演習を行った.演習に参加したのは,オバマ次期大統領,ヒラリー
・クリントン次期国務長官,ロバート・ゲイツ国防長官(ブッシュ政権より
留任),ジェームス・ジョーンズ次期国家安全保障担当大統領補佐官,
マイク・マレン統合参謀本部議長,エリック・ホルダー次期司法長官,
デニス・ブレア国家情報長官,ジャネット・ナポリターノ次期国土安全保障
長官,ティモシー・ガイトナー次期財務長官,スーザン・ライス次期国連
大使だった.
大きな会議テーブルのまわりに全員が着席すると,大統領選挙キャンペーン
中にオバマの国家安全保障担当顧問を努めたリチャード・クラークと
ランド・ビアースの2人が進行役としてさまざまなシナリオを設定する形で
演習が開始された.
最初の設問は「イスラエルによるイラク攻撃が迫る」だった.メンバーが
討議していると,クラークは「マンハッタンに向かう貨物船にアルカイダの
戦闘員が乗っており,核爆弾を運んでいる」との”緊急情報”を伝えた.メンバー
が緊急即応部隊に連絡を入れていると,クラークは「テロリストたちは貨物船
から小型船に乗り移り,今度はボストンに向かっている」とシナリオを変更.
メンバーが各方面に連絡をとり小型船の特定を急いでいると,クラークは
途中で核爆弾が陸に降ろされ爆発」「東部沿岸の都市が避難を開始」と次々に
状況を変えてメンバーの対応を迫った.メンバーは復旧活動(アメリカ政府の
用語で”結果管理”という)を発令.そして復旧活動の最終結果が出る前に,
3時間の演習が終わった.
クラークは演習を終えたメンバーに,関係機関に伝えてあった演習の名が
「コバヤシマル」だったと明かした.それを聞いて笑ったのはゲイツだけ
だった.「コバヤシマル」とは,映画「スタートレック」で,宇宙艦隊士官
を育成する教育機関である宇宙艦隊アカデミーが,訓練生をテストするために
シナリオを与えて行う演習の名だった.演習終了を告げたクラークは,
「非対象世界の悪夢にようこそ!」と言った.>>
(大統領就任式の朝,ホワイトハウス地下の作戦室で,新旧政権の国家安全
保障チームが,急浮上したソマリア人テロリストについての短いミーティング
を行った)
<<就任式の1週間ほど前から,ソマリアのテロ組織がアメリカ在住のソマリア
人難民を使ってテロを行う計画をたてているという情報が入っていたのだ.
その2ヶ月前に,ミネソタ州ミネアポリス在住の19歳のソマリア人の男が,
ソマリアに戻って自爆攻撃をしかけた事件があり,さらに1ヶ月前には,
やはりミネアポリス在住の十数人ものソマリア人がまとまってソマリアに
戻っていた.FBIはテロの可能性を検討し,米国内だけでなくソマリアや
その他の国にも捜査官を派遣して調査を行っていた.CIA,NSA,国家安全保障
の「移民および関税執行局」も,膨大なデータを調べた.
ミーティングでは就任式を中止する案も出されたが,言下に却下された.
ソマリアの情報源には疑いがあったが,警備担当者はどんな小さな可能性も
排除できないため,何か大きなことを見落としているのではないかと心配した.
それは,テロを何回か経験したアメリカに常につきまとう不安だった.
(結局この件は,就任式の2日後になって,ニセ情報だったことが確認された)
実際,その不安はオバマ政権になっても続き,9・11後の10年間の大きな
部分をずっと占めていた.そして「不安の文化」は,それを押さえ込むために
「カネを注ぎ込む文化」を生んだ.そしてそれが,「アメリカ政府は,たとえ
20人のテロ組織であろうが,一人の頭の狂った人間であろうが,何かが起きる
前にいかなる計画もすべて潰す」と言う信条になった.その考えがまた
「いかなる兆候も見逃さない」という信条を生んだ.
だがアメリカには,今日まで未解決のまま蓄積している殺人事件が何万件も
ある.だがそのことを一面で大きく書きたてる新聞はほとんどないし,
メディアは警察の長年に渡る失態を追求しようともしない.ところがひとたび
テロとなると,新聞も他のメディアも,警備のわずかな失敗を取り上げて
大騒ぎし,それがまた国民の不安を煽り,それがまたさらなる予算の要求と
支出を呼ぶというパターンが延々と続いてきたのだ.
西ヨーロッパ諸国では,時間とともにこのパターンから脱出した.そして
今では,テロはどちらかというとほかの暴力犯罪と同じように扱われ,
現代社会が正面から向き合わねばならない問題の一つとして,”戦争”とは
異なる文脈で扱われている.ヨーロッパでは空港で靴を脱がなくてよいのだ.
こうしてオバマ政権は,実質的に2つの異なる政府を前任者から引き継いだ.
その一つは,一般国民によく知られている,大体において開かれた政府であり,
もうひとつは,ブッシュの時代に急拡大した,トップシークレットだらけの
巨大な秘密政府だ.こちらのほうは,注意深い身上調査をパスした一部の
人たちしかその一部を見ることができない.
とはいえ,大統領を24時間体制で守っているのは,この一般人立入禁止の
ほうのアメリカであることもまた事実だ.この任務が必要であることに反対
する人はいないだろう.とりわけ,パレード中にオバマ夫妻がリムジンから
降りて,沿道の群衆に手を振りながら大通りを歩いたようなときにはな
おさらだ.だが,夫妻がそうやって群衆を沸かせている間にも,”軍産
インテリジェンス複合体”は休みなく活動を続けていた.大統領のパレードが
大通りを進んでいるあいだにも,FBIと国家安全保障省は全米で,何千人,
何万人もの市民の個人情報を集めてコンピューターに入力していた.だが,
それらの市民はなにか犯罪を犯したわけではない.たんに地元の警官の眼に
不審に映っただけのことだ.FBIと国土安全保障省が作っているこの
データベースは機密のため,国民には自分が何かを疑われて個人情報を記録
されているかどうかを知る確実な方法はない.
またFBIと軍は,およそ1億人近い人たちの指紋や目の網膜をスキャンした
膨大な生体認証データベースを作っている.登録されているのは,機密を扱う
資格のある人たち,軍人,警察官その他の法を執行する仕事に関わる人やその
家族,引退した元政府職員,緊急支援隊員,政府機関の仕事を請け負う民間
企業の社員などだ.
またNSAは米国内に住むテロリストやスパイの通信を発見する目的で,毎日
膨大な量のメールや携帯電話の会話を傍受しているが,無関係な一般市民の
通信をどれくらい盗聴しているかについては,いまだに明らかにすることを
拒否している.
NSAが行うことはすべて機密指定されてしまうので,同局やその下請けの400
以上にのぼる企業が正しく法を守っているかどうかを知ることは不可能だ.
まして,納税者のカネを適切に使っているかなどまったくわからない.
オバマが防弾ガラス付きのパレード観閲台に向かって歩いているあいだにも,
海外で活動するCIAは,プレデター無人偵察攻撃機でターゲットの殺害を
続けていた.その攻撃が最も多く行われていたパキスタンでは,多くの人が
宣戦布告のない戦争行為と受け止めており,無人機による殺害が行われる
たびにアメリカへの憎悪は増すばかりだ.だがCIAと統合特殊作戦軍(JSOC)
はテロ容疑者を拘束するよりは殺害する道を選んだ.
その理由は,そのような人間を入れておく刑務所など,アメリカのどこにも
なかったからだ.そのころすでに統合特殊作戦軍はCIAの民兵組織の10倍もの
規模に拡大しており,もし大統領が望めば議会の精査なしにそのような任務を
遂行することができた.
9・11テロから8年近くたって大統領になったオバマは,その間に出来た2つの
最も大きな官僚機構である国家情報長官府と国土安全保障省が,いまだに
これといった明確な仕事がないことを知ることになった.事情を知る多くの
人は,とくに国土安全保障省に失望していた.国家の安全保障を担うはずの
同省にいるのはアマチュアばかりで,今では契約企業の社員となって,元の
2倍もの給料をもらっている元情報機関員を頼ってばかりいるというのだ.
政府の情報機関がそれらの民間会社に仕事を奪われている問題は深刻で,
マイケル・ヘイデンCIA長官(当時)は,CIAをやめて民間会社に移った
元職員が,その会社の社員としてCIAの仕事をするのを12ヶ月禁じたほどだ.
就任式の2日後,オバマは新大統領として最初の大統領令を発した.
キューバのグァンタナモ基地にあるテロ容疑者収容所を1年以内に閉鎖する
こと,そしてCIAの秘密収容所を廃止し,米陸軍や国際法の規定に従わない
尋問をすべて中止し,収容されている容疑者がどう扱われているかをすべて
調査するというものだった.
ブッシュ政権による秘密の決定,秘密の指示,秘密の作戦が行われるように
なってから8年後,オバマはようやく新しい時代の到来を宣言したのだ.
オバマはすべての機関と省庁に情報公開法を遵守するよう促した指示に署名し,
透明性と開かれた政府を目指す大統領所見を発表した.その所見には,次の
ように書かれている.
「政府が)開かれていることが私たちの民主主義を強め,政府の効率と有効性
を促進する.透明性は責任の所在を明らかにし,政府が何をしているかに
いて国民が知るのを助ける」
だが,新大統領の理想主義は,執務室で仕事を始めたとたんに急速に消えて
いった.オバマ主導による透明性促進で実現したことは結局ほとんどなかった
のだ.グアンタナモ基地の収容所は依然として存続し,テロ容疑者の何人か
は裁判にかけられることなく,取り調べのため外国の収容所に送られ,
秘密作戦は新大統領の攻撃計画の中心として継続された.就任式の輝きが
消えていくとともに,オバマもまた軍産インテリジェンス複合体の巨大機構
を受け入れ,アメリカの秘密の世界がさらに大きく,さらに秘密になっていく
のを我慢することになった.>>
********************************
◎キツネのつまみぐい:この大部の本を残らず書き写すことなど出来ない
ので,ここらでやめますが,「秘密厳守」のあまり,最前線で働く兵士に
正確な情報が届かない(ドローンで敵を狙い撃つ兵隊が,人工衛星から
相手の灯火を感知できることを知らなかったとか,イラクに送り込んだ
味方のスパイを,知らずに捕まえちゃったことが何十回もあるとか)また
何よりも大事な命令系統がめちゃくちゃになる(いわゆる米軍と州兵,
CIAとFBI,それぞれに機密の網が張り巡らされ,1200以上もある政府組織
間の縄張り争いや名誉欲や,予算拡張の思惑やらで,時には直接の上官に
従わないよう,別の所から圧力がかかる,なんてことも)あった.
軍事費の膨張を止めようにも,国民には何も知らされない,もはや大統領
さえもその流れに逆らえないという,野次馬的には笑える話ですが,
日本人にとっては過去に経験済みのことで,笑って済ませるわけには参り
ません.
しかしアメリカのジャーナリストの行動力と筆力,これがある限り,いずれ
アメリカ人の良心がトップシークレット・アメリカを倒すことと,キツネは
信じます.いや,信じたいです,かな.
2020 1 28
一つ良いニュースもあった.テレビの報道番組によれば,トランプの岩盤
支持層の一角,キリスト教福音派の新聞の社説に,「トランプの振る舞いは
キリストの教えに反する.このまま我々が支持し続ければ,アメリカは
キリストの道から外れてしまう.トランプはやめるべきだ!」という記事が
現れ,共和党支持層に波紋が広がっているという.
他国の領土内にいる敵をターゲットに,ドローンで無人攻撃を仕掛けて殺し,
「戦争なのだから,これは殺人とはチガウ.国際法違反には当たらない」
なんて,聖書のどこに書いてあるか.あるとすれば,それは共和党の「
集票虎の巻」だろ.
日本にもそろそろこの手の「聖書」が出てきそうだ.しかもその「御本尊」は,
つい1世紀前に現れたあやしげなモノノケで,2000年の歴史を誇るキリスト教
には較ぶべくもない.そしてその支持層は,今流行りの「一等国民」または
「金持ち」または「仁義無用の戦争オタク」または「パシリ専用の政治家モドキ」
または「原爆,水爆,小型核兵器製造販売業者」または「美わしい日本を
取り戻そう会」・・・などなど.
日本の宗教各派は,「核廃絶」の先頭に立ってしかるべきなのに,声も出ないのは
なぜか?彼らも「一等国民」になりたいのか.
アキノノゲシ
数年前までは、土手や側溝
の泥の中にでも元気に生えて
いたのに、もうどこにも
見当たらない。
強い日照りにも、アブラムシやシャクトリムシのすごい
食欲にも、ベト病にも、
勝つことができない、
弱い野草だ。
で、今年はとくに気をつけ
て、台風のときは軒下に
入れるなど、お姫様みたいに
扱って、やっと1鉢だけ
生き残った。
身長2M近い。出入り口を
塞いでいる。
終戦記念日のバランスシート
えーと、何のバランスシートかというと、手元に残った爆弾、銃弾の数。
これを半年の間に(日本の敗戦間近の期間に)なんとか消費せねば、と米軍の
偉いさん方は考えた。どこで処理する?〇〇なんかはどうだろう?いや、
そりゃ後々まずいだろ。で、日本で処理することに決めた。真珠湾の米兵犠
牲者と引換にね。原爆の犠牲者と終戦間際の都市絨毯爆撃の民間人被災者の
数と合わせて比べてみたらどうだろう。バランスシートはチョトおかしいん
じゃないか?とキツネは考える。
米軍は早くから暗号解読に成功していて、真珠湾攻撃も事前に承知していた
いうのは、50年前には知れ渡っていた。戦場で実際に見た人の経験談だから
ね、わたしのデッチアゲじゃない。米軍の護衛艦は1隻もその場にいなかった
そうだ。
10月2日追記: 手元に残った爆弾、銃弾の数というのは半分象徴的な意味であ
って、銃弾そのものではなく、「殺した敵の数が、投じた莫大な戦費や米軍兵士
の犠牲に見合わない。なぜ原爆を使わないのか? もっと敵に被害を与えよ」
という米国内の不満があり、一方、当時は米国陸軍所属航空隊としてグアムに
あった本部が、新しい将軍の赴任に伴い、焼夷弾による低空からの絨毯爆撃、
原爆投下等のめざましい功績をあげ、独立した米国空軍への脱皮を図った
という,その不幸な帳尻合わせからうまれた絨毯爆撃は,残った焼夷弾を
使い尽くし,さらに生産補充したという.つまり殺した敵の数と米軍兵士
の犠牲者数とのバランスシートと言ったほうがよい。米兵の犠牲が真珠湾
だけでないことは無論であり、南太平洋や沖縄での犠牲者は予想外の多数に
のぼった。しかし、これらの悲惨な戦いの真相は未だに語られず、真珠湾だけ
に象徴化され、ごまかされている。もちろん、原爆は手元に残ってはまずい
わけだ。国民の納得を得るのは政府にとって大事なこと。そこで、結果として
国民を騙すことも度々ある。原爆投下の後、米国の調査団が、被害状況に
ついて詳しく調査したが、一方日本側の医師等専門家はシャットアウトされた。
(その際に,負傷者救護よりも学術調査?の検体収集に目標がおかれ,その
ための便宜をはかったのが,他ならぬ日本政府だったといううわさもある)
その膨大な記録は今も米国のどこかに眠っているだろうが、極秘扱いで、
いまだに国民に知らされていない。なぜか?
兵器に人道的も非人道的もないが、単に焼け死ぬだけでなく、体の不調、
激しい痛みが年々増加し、ついに死に至るまで苦しみ抜いて死ぬ。また被爆
した子供や胎児の成長も阻害され、いわゆる原爆症を背負って長い年月を生き
なければならない。それは明らかに国際法に反する壮大な「人体実験」である
からだ。そして被害者は赤ん坊から老人に至る無抵抗の市民だからだ。
毎年の真珠湾での麗しい儀式。両国兵士の和解と許し。では無差別爆撃で
死んだ無数の市民の魂はどのように許しを与えるのだろうか?
靖国神社や忠魂碑なんかには何の関係もない、かろうじて被爆者名簿に
名が残るのみ。やがて証言者はだれも居なくなり、許しの儀式が人々を麻痺
させ、「戦争はとっくに終わったんだからいいじゃん」「めんどくさいこと
言うなよ」というオメデタイ人間を増やす。
ではこの国での戦争の終わらせ方は?
終戦間際という時期は、どうやって国民に結果を説明、納得してもらうか、
政治家も軍部も頭を悩ますところだろうが、日本の場合、自分等の命に
かかわる。だからあらゆる証拠を消すことに努める。公文書から民間の記録
映像から、人の記憶まで。これは日本的伝統でもある。「うそも方便」とか、
「知らしむべからず、依らしむべし」とか、最近では、「担当部署の引越し
大掃除作戦」、「私物のパソコンも回収」とか、証拠隠滅の伝統は根深い。
そこへGHQ(General Headquarters=占領軍総司令部)の検閲が加わる。
これは戦勝国(アメリカ、イギリス、ロシア)への批判、戦争そのものの実態を
告発すること、その他民間人の口を封じるものであり、およそ「民主主義」
からはかけ離れている。日本政府はこれをハイハイと受け入れ、そして
その習慣はいまだに残って、政府の抜き難い体質と化している。
几帳面で知られたドイツ人はその点で違う。ホロコーストを生き延びた人
や親族が、保管されている絶滅収容所の記録を見ることが出来、真実を知る
ことができるそうな。ただし、几帳面に規律を守ることが、逆に権力者側に
利用されやすいというのも真実だ。
「冗談じゃないぜ、俺はそんなことやらねえ」「そりゃ人間のやることじゃ
ない」と言ってさっさと逃げ出せる勇気を皆が持てば、それだけでよい。
カッコ付けずに、普通にね。それには学校を軍隊みたいにしないことだ。
昔の軍曹さんみたいな先生(日本人は黒髪直毛であるべき、地毛証明書を
出せ、などという)はいらない。上級管理職(校長さんと教頭さん)の顔色
ばかりうかがって、子供を「管理」している、そんなの教育者とも言えない。
「あの先生は服装検査にえらく熱心だ」と聞けば、親としては「ハハン、
只のサラリーマン先生か」と思う。いかん、話が近視眼的になりすぎた。
沖縄で米兵によるフトドキな事件が一向になくならないのは、多分、第二次
大戦のころと同じレベルの米国人が、同じレベルの米政府軍に雇われて来て
いるからだろう。人を差別することによって、自分の自尊心が保たれる。
「精神年齢12歳」とはまだ良いほうで、一般に「東洋のサル」の認識で
あったという。
最近例のバンザイクリフの件について、従来の、戦陣訓や教育勅語が
大勢の兵士、民間人(サイパンに移住していた沖縄の人が多かった)の
崖からの投身自殺の原因とする説への反論が盛んだ。捕虜の扱いについて、
「敵軍の投降者への扱いは実にひどいものだった。投降すれば即殺される、
だから自決するしかなかった」として、日本軍に対し免責する論評が
はやっている。確かに敵軍には「捕虜をとらない」(投降してきた兵を
その場で殺し、自決と報告)将校もいたし、また女性に対し無残な陵辱
の末殺すなど、元米兵からの多くの証言もあり、「出ていったら
酷い目にあうぞ。それなら自決するがマシ」との認識が兵士達や
民間人の心にあったのも事実であるらしい。
だが、それだから一気に「日本軍の教育は正しかった」とするのは
トンデモナイ。兵士達を、補給も断たれ、逃亡することも出来ない
孤島に追いやったのは政府と軍と背後に隠れた経済人等であり、
「天皇陛下の御ために死ぬまで戦え」と吹き込んだのもその連中
なのだ。人の命を無駄に使い捨てた、そのことに口をぬぐって、
わるいのは英米だと大声でいう。もちろん自決した人々にとって、
事実が明らかにされることは大事なことだが、我々もそれを知った
からには「戦争を2度と起こさないとの誓いを新たにしなければ
ならないだろう。あまりにも民主主義的、理想主義的な憲法と、
GHQの日本支配の方針との間に齟齬が生じた。つまり官僚制度を
手厚く保護し、日米安保条約を結んで実質的植民地支配を徹底
させたい米国政府にとって、日本国憲法第9条はじゃまな存在だ。
冗談でしょ、日本は独立国だよ。何でも自分で決められるさ、
と思ってる?じゃあ、なぜ沖縄の住民が望まないのに、米軍基地が
そこにあるのさ?我々の知らぬところで、なにやらお約束がある
らしいね。(日米地位協定とやら,まるで日本語の迷路のよう.
ま,わざとわかりにくくしてあるんだろうな.政府自ら,
日本国民を騙すために)
この半独立国状態を解消するには9条を廃止して、大っぴらに
海外派兵し、国威発揚しなければならん、という勇ましい
男性神、つまり大元帥陛下が必要と主張する。平民の元帥
くらいじゃカリスマ性に欠けるもんね。「国民の象徴として
の天皇」の意味を逆に解釈して、又しても神がかり天皇制を
復活させよという。
敵が侵入してきたら、追い払えばいい。文字どおり自衛隊。
その程度でいいじゃないか。お約束があるからといって、
義理の派兵、道理も何もない戦争に加担、で、そのため
無理やり9条を廃止してまで「よその戦争を手伝う」意味
はどこにある?
この前の戦争で、終戦直前にロシアは同盟を破棄した。
そして一瞬にして戦勝国となり、満州から大勢の捕虜を
シベリアに送り、酷い環境の中で働かせ、死なせた。
「永遠の同盟」なんて言葉はインチキだ。しかし、
戦勝国アメリカも、敗戦国日本も、その事実を口にする
ことを禁じ、なかったことにしたいらしい。ロシアを
ねらった弾丸が,我が身に跳ね返って来るかもしれないから?
核の傘という。戦争をおこさせないためのパワーハラスメント
として、という理屈は過去の時代ならばまだ有効であったかも
しれないが、今や「戦争を起こす」ための道具と化すに至った。
北朝鮮に聞いてごらんよ。米国にも聞いてごらん。「うちは
こんなすごいオモチャをもってるんだぜ。どこからでもかかって
きやがれ」でなもんで、ケンカを売ってるとしか思えない。
ヨーロッパ人が何世紀もの間、悲惨な戦争体験から学んだことは
アメリカじゃ通用しない。土地が広すぎる。金がありすぎる。
自国に攻め込まれた体験が無い。それで、泥沼の対イラク戦争
の引き金を引いたんじゃなかったっけ? 米国民は納得してるわけ?
核の傘なんて幻もいいところ。差しかけてもらったら、それだけで
災いを呼ぶ。第一、「唯一の被爆国」の名が泣くんじゃないか。
アメリカに遠慮して、「核廃絶」に反対とは。
「海外でも武器を使用できる」ホントの軍隊が必要と言う人は、
必ず日米安保の継続、戦争協力が必須という。それで経済の安定を
はかりたい。でも考えて見てほしい。朝鮮戦争やベトナム戦争に
行かずに済んだのは日本国憲法の「不戦の精神」ががっちりと
引き止めたからで、それで日本経済は利益のみを受けた。それを
国際的な「恥」とする、「卑怯」と見る、明治元年生まれみたいな
政治家が増えすぎた。
今では国際連合軍も曲がり角にきている。勇ましいスローガン
にもかかわらず、戦果は上がらず、兵士の犠牲は増す、なにか別の
知恵がぜひ必要だ。一国のテロ集団を叩いても、テロは世界中に
拡散する。世界的な宗教改革が必要かもしれないのに、宗教者の
動きは全くない。それぞれが自国第一主義で、それぞれが水爆保有国
のお恵みにすがろうとしている? 知恵のない話じゃなかろうか。
国際連合を一度解体して、作り直す必要も大ありだと思う。
第二次大戦について、政府、旧日本軍、経済界に代わって謝罪の
言葉を述べた首相は村山さんだけ。今また旧日本軍の軍人精神礼賛
のような、あの戦争はなかったことのような、戦後に米政府の庇護
のもとに生き延びて日本を半植民地化した政治家を顕彰するような、
「絶対謝ってはならんぞ、日本は神の国ぞい」などど胸を張って見せる
「自称愛国団体」が、が勢力を伸ばしつつあるとか。
女性皇族の何が悪いのか、「王朝が代わってはまずい」とはどういう
意味か。「平民」が天皇家に嫁を送り込むのはよくて、婿を送りこむの
はバツだそうだ。あんたは右大臣家の一族か。
戦後の天皇のアジア諸国へのおわび行脚は、(キツネはくわしくは
知らないが)実に日本外交の欠けている部分を埋め、政府にとっては
有難くも有用なものだったと思う。
天皇はよくその勤めを果たされたものと感謝すると同時に、新しい
天皇が政治の具とならぬよう、あからさまに言えば、政治家の
なすべきことを肩代わりしなくてもすむよう、周囲の補佐役の
方々の配慮を望む。と同時に、今の憲法を「捨てる」ような
ことになれば、アジアの人々の鬱積した感情が謝罪、賠償要求
として表面化することも覚悟しておいた方がよい。その時は
もう若い皇族では代役は努まらないだろうから。
6月14日 追記: 本日深夜にかけて、自民政府は「テロ等準備罪」
法案を強硬採決の構え。野党はこれに対抗し、政府不信任案提出。
ただのサラリーマン議員が寄ってたかって強権政治の神輿をかつぐ。
ただし、彼らを選んだ人が多かったわけで、「旧治安維持法復活
など絶対ありえない」との首相発言を真にうけて、今国民投票を
やったら、「治安維持のためなら必要」票が勝つかもしれん。
まったく! かわいい息子のためならと数千万円も喜んで出すご老人
みたい。相手は可愛い息子(国民)のことなんかちっとも考えてく
れていないのに。 悪いことしてなきゃ捕まるはずがないって?
「花見か下見か」じゃないけど、戦争中、ハリウッド映画の
音楽を聞いていた人が牢屋に入れられた。ベートーベンなら
いいのか? そこんところは明らかでない。「あーあ、戦争、
早く終わんないかな」と言ったら、隣組のおばさんから憲兵に
チクラレ、数日間取調べられた。単なる個人の感想ですがな、
と思っても、「戦っている兵隊さん達に失礼と思わんのか!
言ってはならんことは言ってはならん!」という具合。
そんなことあるはずないと言ってると、数千万どころか、
もっと盗られるはめになります。相手は偽民主主義国家だから。
頭の中に家計簿もバランスシートのかけらもない人、または
そのように装っている人は、オレオレ電話魔のいいカモだ。
そういえば、キツネじじいのところにも度々無言電話がある。
昼前 にあれば詐欺、夕方にあれば空き巣ねらい。
2017.6.15 午前9時 追記:
テロ等準備罪法案成立。 これは必ずネット社会にも害が
及んでくる。もう既に、無料ブログや投稿サイトなんかでは
サーバー運営会社の「忖度」により勝手に削除,改変される
こともあるという。クワバラ、くわばら。
それも、運営会社の言い分ではクライアント(大企業)のニーズ
に合わせたに過ぎず、そいうプログラミング無しでは売れない
からだという。つまり、投稿者の著作権など最初から無いに
等しいのが現状。くわばら、桑原。
人の話を聞くということ
「未来地球人想像図」・・キツネ画
旧人類は脳ミソがえらくデカかった。
いろいろ良いもの、悪いものを
作りだし、出来上がった快適な
環境を奪い合って戦争三昧。
新人類は脳みそは半分ほど、
口は食うため、目はアイコンタクト
のため、鼻は体臭を嗅ぎわけるため、頭に七色のトサカが生えている。
オスとメスでは少し色合いが違う。これは喜怒哀楽を正直に表すためにある。
キツネが予想するに、このトサカを自由に操作する(他人を欺く)ことから、
また人類の進化が始まるだろう。まず自ら黄金色のかざり毛を一本生やす。
神の系列を表す特別の一本だ。
🦊;50年も昔のこと、キツネは幾分中道右寄りのおとなしい学生
だったもので、ゲバ棒なんかとは無縁だったが、一度だけ中核派の
対話集会なるものを覗いてみたことがある。まあ、対話なんてどこにも
無く、中核派大演説会であって、例のワッショイ、ワッショイ的革命風
言語でまくしたてる。一般学生が口を挿もうにも、一言しか言わせない。
この連中、卒業後はどうしたろうか。騒乱罪?で捕まったり、未だに潜伏
している連中は一応筋を通したと言えるかも知れないが、あとは親の
コネかなんかで就職出来たんだろうね。以後は人様のいうことを黙って
聞く別人に変わっているに違いない。(もっとも、当人に聞いて見たわけ
じゃないが)
静かな自己主張というもんは大昔は力を持っていた。田舎社会では、
人の顔色や行動を互いに読み取っていたから。「口ばかりの男」は
嫌われた。(むろん口ばかりのオンナとは言わない。女は人間の内に
入っていなかったから。そして今でも口数の多い女子は「心得無い女」
だそうな。某議員曰く)
今は「ネット社会」で、如何にして勝手連を立ち上げて、盛り上げるか、
あわよくばそれで食っていきたい。人気ランキングにポチットお願い!
それが生きがい。だから対話なんてものはとっくに過去の風習と化して
いる。まず相手の体臭を嗅ぎ、それからヘイトスピーチで攻撃だ。
子沢山のキツネ家族で、それも男子ばかり。対話なんて言ってる隙に
エサを横取りされる。ダジャレや皮肉ばかりで、本心など悟られては
ならじ。だがそれはお互いにスッカリわかってるので、支障はない。
小さなグループの場合はね。日本語には借り物の部分、たとえば政治、
法律、思想関係用語の解釈にひどい混乱があるように思う。
「民主主義」ひとつとっても、「そりゃー、多数の意見には無条件で
従えちゅうことだろ」という意見が多い日本人。
「村社会の忖度文化」は現国会のご立派な「対話」にも現れている。
首相御自ら「そんな出鱈目ばっかし言ってんじゃねーよ!」と閣僚席
からヤジルありさま。言葉の定義を其々自前の字引から引いてくるから、
対話は成りたたない。そこへ持ってきて、「万世一系の皇統」とやらを
民主主義と一緒に縒りあわせようとする一派が出てきた。
まさしく「象徴とはあざなえる縄のごとし」だ。
キツネが考えるに、生活がある程度落ち着くと人はまず見てくれを
整え、次に「爽やかな香り」を求める。それが、「バラのかおり」の
衣類用洗剤から「男臭、老人臭を消す」脱臭スプレーとエスカレート
してきて、「記憶をきれいに消して真っ新に」、さらには「美しき
過去に酔いましょう」の楽園願望に到達したのかも。その先に
あるのは、ISの若者が憧れる天国と同じものかもしれない。
生きているかぎり体臭がある。人間以外の動物にとっては耐え
がたい悪臭であるかもしれないが、仕方がない。言葉や対話なんて、
戦争を避けるためには何の役にもたたなかった。出会い頭のア
イコンタクトで強い相手には道を譲って争いを避ける、犬猫の方が
よほど賢い。ところが人間はすれ違いざま、「お前は臭い、死ね」
なんて言う。相手が幼くて、まだオヘソの辺に自我が十分発達して
ない場合は、傷ついてしまう。大人のばあいも大して変わらない。
最悪、戦争になる。「この上等な傘はオレが最初に使い出した。
お前に傘をつかう権利はないぞ。そいつは捨ててこっちへ入れ」
まではいいが、「言うことを聞かんとこの傘でブンナグルゾ」と
まで言うからいけない。おれの傘は良いカサ、お前のは悪いカサ、
そりゃ誰がきめるのさ?・・・
未来の第◯次世界大戦で人類は滅びる。数億年後、出てきた
新人類は無駄な「対話」を捨てる。耳はなくなり、脳から
言語野が消える。食べて匂いを嗅ぎ、アイコンタクト、それで十分。
オヘソの辺りの自我はとっくに無くなってる。だから戦争もない?
まだ今のところはね。
聞く耳持たぬというよね。人間は親兄弟だって、分かり合えるとは
限らない。たったの一言がきっかけで殺し合うことさえある。
集団生活をする動物の世界は縄張りが支配するので、どれに所属
するか、だけが肝心。狼だってうさぎだってテリトリーが決まっている。
もちろん争いは絶えないが、相手を追い払えればよい。仲間内の
掟さえ守っていれば安泰。対話なんて必要ない。
「人の話を聞くということ」、だったよね。結局、まず
とかく自我未発達のまま、正面からの議論をさけて「嗅ぎわけ術」
だけで世渡りしようとする人たちが増えているように思う。
学校教育では自我=わがまま,と教えるし.その証拠に、電車のつり革
掴まっての上司の悪口合戦は止めどない。労働組合活動は民主的討論
の場と思われたが、それも戦後まもなくどこかへ消えてしまった。
「ソコソコ経済は何とかなってるし、彼らは統治者だ。それも
我々が選んだわけだし、文句言う筋合いはない。めんどくさい」
といって、選挙にもいかないし。
統治者とはまた古い、植民地時代の言葉だが、まだ生きているらしい。
統治者はしばしば甘い言葉で国民を騙す。わかりやすい話だと、
ある部族支配国家がいきなり民主主義国になり上がった。(もちろん
旧宗主国の方にも計算があってのことだ)選挙では、「国民の福祉を
第一に」の大統領が当選。ところがこの人、当選したとたんに、
私腹を肥やすは、裁判抜きの逮捕、言論弾圧、福祉はカンバンだけ、
という豹変ぶり。めずらしいことじゃない。
未熟な民主主義国の為政者経由で世界中にその国土からお宝が
流出しており、国民は飢えているというのに、国際社会は何も
できない。せいぜいフェアトレード(抜け穴だらけの)か。
偽民主政府が外国人トレーダーをのさばらせて、そこからの
利益をどこかの「洞窟」に隠している。その洞窟は西側の
あちこちにあり、世界中の金持ちや企業がお宝隠しに利用して
るんだそうな。あまりにもアンフェアな世界にISなどの若者が
絶望するのも無理はない。
日本はそこまで後進国じゃないって? キツネもそう思いたい。
ガンバロウ、日本!
2020 6 22
🦊;最近のこと,某国のヤメ(サセラレタ)法務大臣が,自身の妻の
国会進出を図るため,大金をバラ撒いたとの疑いをかけられ,
妻ともども逮捕された.「買収など,違法なことは一切して
おりません」と本人は胸を張り,「裁判になれば勝訴すること
疑い無し」との仰せだ.
ところが,彼は既に自分のパソコン内のデータを,専門業者に
削除させていたとか.だが,証拠隠滅は日本のお家芸.
国民にホントのところを説明しないのは,日本政府の怠慢と驕り.
また某国政府はこう言っていた.「財政のバランスが世界一悪いって?
国の借金が,税金一年分よりはるかに多いと?それで,なにか悪
ことがあるかね?バランス悪くたって経済はまあまあうまく回ってる.
今後,リーマンショック並の世界的不況が起きない限り,日本は
安泰なのだ」
だが,好事魔多しとやら.その不況がウイルスによって現実のものと
なった現在,政府は国民と一緒になってアップアップしているだけ
らしい.そして洪水のようにあふれる「国民救済のための緊急財政
出動」の一部から,いかにおこぼれ頂戴するかに腐心しているらしい.
コロナウイルスは,リーマンショックよりも遥かに凄まじく,国民,
特に貧しい者を打ち倒した.
「来ないはずのもの来てしまった」.さて,どうする?
日本国憲法は,数人の知日派外国人によって(国籍は様々)作られた.
作文はすばらしい出来だったので,米駐留軍はビックリギョウテン
した.「わしらの意図したのと違うがな!」つまり,当時
のさばってきた共産主義国ソ連に対抗して,太平洋地域での支配を
確実にし,日本を防共の砦としたかった.そのためには完全な
戦争放棄は都合が悪い.適当に軍事基地を提供し,米軍に協力
してくれないと困る。
吉田政権で成立した日米安全保障条約は,有事の際に,米軍が
日本を守る義務は明記されていなかったが,その後岸内閣の
改定安保ではその点が保障され,同時に日本側に応分の資金提供
が要求され,自衛隊の誕生と共に,各種兵器が輸入され,
(米軍基地に核兵器備蓄のうわさもある)「共同安全保障」の
名の下で,日本の属国化が進んだ.
「アメリカ軍は本気で日本を守ってくれるんでしょ?」と
日本人が聞けば,「多分その気は無いでしょ」とアメリカ国民
は答えるだろう.
「偉大なるアメリカ」の神話も崩れ去り,コロナのお陰で
医療など民生予算をケチッテ軍事予算拡張に走ったツケが
まわってきた.
独立宇宙軍創設の夢も,国会で否定された.今後は基地の
維持費や武器購入やらで,日本への請求は更に厳しくなり
そうだが,政府は国民に説明せず何もかも「防衛上の機密」
扱い.「トップ・シークレット」はアメリカでも大はやりで,
大統領周辺の数人を除けば,国民は国政の実態を知ることが
出来ない仕組みになっている.
それも「用紙に黒塗り,改ざん」ではなくて,流行りの
「デジタル・データ」に,幾重にも鍵がかかっているらしい.
で,証拠隠滅は日本だけのものではなくなっている.国民は
どうやって国政のバランスシートを読み,修正できようか?
「それはミンシュシュギの原則に反する」と,いくら
ゲジゲジ記者がわめこうが,民主主義って何なのか,誰にも
わからなくなっているんだから・・・
2020 7 6
戦争は廊下の隅に立っていた
「戦争は廊下の隅に立っていた」という有名な詩がある.
先の大戦で,突然の召集令状が舞い込み,父親や兄を兵隊に
採られた経験を持つ,現在80歳前後の歳寄りにとっては,
このセリフは真実そのものだ.それはお上から受けた「騙し討ち」
にほかならない.
だが,騙されても気づかずに「お国のため」と「天皇のご命令に
より」「憎き敵を撃つ!」とか「銃後の妻子を守るため」に
「敵の侵入を断固阻止」しなければ,と思い込んだのも真実だ.
「俺はイヤだ!」と言えば銃殺されるかもしれない,それも真実だ.
「無駄死にだったなー」とは正直に言えず,この70年,ひたすらに
忘れようと努めてきた.
そして現在,「戦争はSNSなどから臭って来る」ようになった.
米大統領はもっぱら宣伝媒体としてツイッターをご利用だと言う
じゃないか.臭いの元をたどると,軍産複合体と政権の巨大な
戦争醸造器みたいなものにぶち当たるらしい.
このブログにものせた「トップシークレット.アメリカ」
の著者らが言う「国民と正直な対話を交わしていない」政府だ.
日本ではどうか?「国民からの付託」とか言っても,意味を
知らずにしゃべっているに過ぎない.多分,「國民からの
白紙委任状(条件を付けずに全てをまかせること)」と勘違いして
いるにちがいない.「國民と正直な対話を交わす」気もなし.
トランプ氏の最近の演説に「米国はこれまで非民主主義国家に
敵対し,これを打ちまかしてきた.わが政権は,我が国民の半分を
占める暴力的,反政府的な勢力に敵対し戦いを挑んでいる.」
と.つまり,我らが首相の言う「こんな人たちに負ける
わけにはいかない」,おれの言うことを聞かない連中は
日本国民ではない,というのに同じ.なんてよく似た者同志.
(米国憲法には,議会への説明責任が明示されているんじゃ
なかったっけ?)
国家予算のバランスシートをよく見比べて,防衛予算,戦争期待
予算が膨らんでいないか,判断し,猛烈に抗議することしか,
政府の騙しうちに対抗する手段はない.騙されるなかれ.
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