およそ70年前の出来事と、その時キツネが何を見たか、何を感じたかを思い出して
見たい。
でも、この話題は特に人様から嫌がられること請け合い、あまり皆様に受けが悪い
ので、何だか自分の頭が変なのではないかと思ったりする。
考えてみれば、今年定年退職の世代はまだ生まれていなかった。無理もない。
関係ない話だもの。わたしにしてもまだ子ギツネだった。
1944年に、キツネ家族は満州からの
帰国船に乗っていた。終戦前に民間人
を載せて帰った船はこれが最後と聞く。
船中でのことはほとんど覚えていない
が、大きな大人用の浮き袋を前後に
振り分けてくくりつけられており、
これがトイレの都度汚い床に触れる
ので、とてもいやだった事だけを覚えて
いる。キツネ母さんはこの時、熊の
毛皮のコートと鉄鍋を持って帰った。
「満州出来のナベは品質が良い」と
いうとおり、長持ちしたが、真っ黒な
クマのコートは着る機会がなかった。
安物とは言え、皆がみな貧乏だった
時代に、場違いな贅沢品に見えただろう。
1945年。沼津で大空襲にあった。
そこで見たのは焼夷弾が、音もなく
屋根にプスッとつきささり、やがて
炎が吹き出したこと、戦闘機から
身を乗りだし、機銃を下校途中の
小学生の列の1M横に定めて
ダダダダッ*と流してゆく米兵の
顔が笑っているように見えたこと。
3月には東京大空襲があったが、
キツネは本郷は東大近くの高台の、
崖に掘った防空壕にいて、実は
何も見ていない。この空襲により、
終戦の年の前半で10万人以上の
死傷者、260万人の罹災者が出た。
(数字は資料により異なる。東京への空襲は3月以前にも以後にも度々行われた)
この空爆も、広島、長崎への原爆投下も、アメリカ人の信じる「必要悪」だったか
どうか、まだ検証されていない。
もっと言えば、日本人は、その後の大国の原水爆製造合戦を食い止められたはずだ。
「それを使った結果、どうなったかよく見て欲しい。2度と使うなよ」と。
だが先走るのはよそう、東京の
焼け跡も見ずにキツネ一家は
長野県に向かった。ここに5年
居た間に小学生になり、ボンヤリ
者のキツネもいろいろなものを
見た。
始めて外人を見た。
近所の米軍軍属の男のところへ
兵士が子供連れで来ていたが、
そのイタズラッ子がカエルを隠し
持っていて、誰彼の子供の頭 に
載せてまわる。
田舎の夜空は真っ暗で広い。お盆
のころの花火大会は忘れ難く、
善光寺平の夏の夜
その美しさといったらない。
今はきっとビルの間から、明るい夜空にあがる花火を見ていることだろう。
左は当時の給食。アルマイトの皿と椀。
長野県は四方が山で、普段から
生魚は売っていない。あるのは
缶詰か干物だけなので、このみそ汁
の野菜の間に混じってる米国産鮭缶
が油たっぷりでおいしかった!
身の方も食べたかもしれないが、
バラバラになっていて、よく覚えて
いない。土地の子はスキムミルクが
苦手らしかったが、キツネは食い
しん坊なんで、何でもおいしく頂い
た。
長野県は空襲は免れたが、徴兵は免れなかった。戦後数年たってやっとお父さんが
帰還したという友達も多い。キツネのような疎開児童や都市部の欠食児童にとって、
アメリカからの援助物資は非常に有難いことであり、一部の人達の言うような、
「日本の主食をパンに変えて、農産物の輸出を増やそうとの米国の陰謀」説は意地
の悪い、なさけない言い草と思う。戦後日本企業はいろいろと米国に教わり,また
機会を与えられて発展してきた面があるのではないか。その最大の贈り物が、
日本国憲法であると思う。
ただし、今の米国の有様を見ると民主主義のご本家も相当無理をしていたんだなと
思わせられる。(ここらでやめないと、米国命の方々からシバカレてしまうかな)
わたしは戦争の現実を殆どこの目で
見てはいない。ただ、戦後10年ほど
の間に雑誌、新聞で読んだ「証言」
の重みは未だに頭に残り、この頃に
なって蘇ってきたのです。
戦争を「見ていない」のはアメリカ
人も同様ではないのか。(現地に派兵
された若者達を別にして) 本土決戦
はなくて、遠いヨーロッパで、
最近ではアジアや中東で、血が
流された。
善光寺平と北アルプス連山
すべての戦いに勝利したといまだに思っている「強いアメリカ」人。一方で、
「どこかの同盟国政府の要請があれば助っ人に駆けつける」という日本人。
政府の言い草「積極的平和のためだ。断じて憲法違反にあらず」 とはあきれた
ものだ。わたしは「防衛予算はゼロでよい」なんて言う甘ちゃんではない。海岸
から侵入して、人を誘拐していく輩を捕まえられない、それを救出できない、
海の防備に対する政府の怠慢と、現実に海から敵兵が上陸してきた沖縄の人達の
苦しい記憶を日本人の頭から消そうとするやり方。(アメリカ映画の中にも
イレーザーという便利道具があったっけね。「平和憲法」もイレーザーのように
働いて「麗しき昭和」が流行る。いわゆる「平和ボケ」)
遠くで起こす戦争のために軍事予算を増やすのはOK,誰かが儲かる、あるいは
国際的に面子が立つ、強そうでかっこいい。他国のために自国の若者の命を
差し出すなんてのはありえない妄想、幻想だと思いませんか?評判のいい日本の
アニメも主題は機械軍対人間軍の戦いだ。ある意味将来を予言しているとも
言えるが、現実をうまく回避してるとも言える。
子供達よ。18歳になって選挙権を行使する前に、アニメじゃない現実の戦争の
記録と証言を読んで欲しい。辛くても我慢して。(あなた方の両親はすでに
イレーザーにかけられていて、話にならんからね。彼らも一種の犠牲者では
あるけれど)
付記: 4月22日
最近リトアニアでは民兵 の募集を再開するようだ。ここは地続きのソ連(ロシア)
との緊張関係が常にあって、いつまた攻め込まれるかという恐怖心が、国民の
心にある。志願を決めた若者も多いという。ふつうのロシア人はみないい人
たちで・・といっても、国家の膨張願望や独裁的な政治体制に反対はしない。
隣国に移住してきたロシア人はそこにコロニーを作り、大きくなればロシアへ
の編入を望み、はては軍隊を呼び込む・・という過去の歴史がある。 日本に
とっても他人事じゃあない。ただし、日本政府も後ろ盾の某軍事大国を頼みに
して、「力で対抗」なんてのは止めてほしい。 弱っちいと言われようが
何しようが、「戦争以外の方法で解決」すべし。
「アメリカは必ず日本を護る」との米政府高官のお言葉だが、ベトナムでも
イラクでも、「民主主義を護った」かどうか、また「シリアの民衆を護れる」
のか、また「日本を護る」の代償として米国人の若者がしぬことになる、
それにたいしてアメリカ人がどう思っているのか、キツネとしては(古風に
いえば)得心がいかない。
終戦間際にせっせと行われた都市絨毯爆撃、2つの原爆、沖縄への上陸、
これをすべて「人道上の正義」に基づく必要悪と言いくるめ、米国民もそれを
信じているらしい。 ついでに当の日本政府自身がこれを頭から支持してると
いうアホらしさ。
「軍事費削減」を昨日まで頑強に言ってた米議会だ。不足分を日本につけ回し
するに決まっている。警備費用は高くつく、当然でしょう。あげくに「護って
もらえなかった」事態になると思うのはキツネだけだろうか。どないするねん。
このウザイ話は終戦記念日まで待ってからと思ったけれど、終戦記念日に
特別敬遠される記事は記念日特集じゃないかと思い直して、早々と公開して
見ました。 2017/3/1 おわり
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