菊と中国人



菊は中国では皇帝とは無関係で、人気の花の第一は牡丹や

蓮だという。写真は張兆祥・画   1992年 中国書店刊

「百花詩箋譜」より


「菊に見る中国と日本の心」 商金林・北京大学中文教授

(月刊誌・“疾走する中国・躍動する13億” より)


🛑中国の菊花栽培の歴史は、周の時代(紀元前1066~

771年)まで遡ることが出来る。奈良時代の末期、菊は

薬草として中国から日本に伝えられ、すぐに日本の

上層社会の注目をあつめた。宮廷や貴族の庭には、みな

菊が植えられた。・・

野のあちこちに散らばって咲く、さまざまな色鮮やかな「黄花」

(中国での別称)は、日本に「持ち込まれて」から、権勢や

尊厳、崇高のシンボルになり、皇室や貴族の愛玩する珍しい

花となった。皇室や貴族の紋章は、もとは蓮の花だったのが、

のちにみな、菊花に変えられた。・・

豊臣秀吉は、1595年、自分以外、すべての家臣は菊を

紋章に使ってはならないと命じた。菊は、江戸時代にあって

初めて宮廷から民間にだんだんと広まり、文人、学者や

庶民まで菊を栽培する権利を得たが、菊の(紋章の)使用権

は、皇室にほぼ独占されていた。1868年、日本の「太政官布告」

195号は、菊花を最高権威の象徴として天皇のみがこれを独占

し、天皇の専用のとすることを規定した。もし民間で誰かが

菊の紋章をみだりに使えば、「不敬罪」で厳しく処罰された。・・

日本は外国の文化を「持ち込む」のが非常に上手な国である。

一生懸命にそれを吸収し、できる限りそれを理解し、改良を

加え、元のものを遥かに超えるものとしてしまう。中国から

持ち込まれた菊を「国花」に昇格させたのは、実によい証拠

である。・・


「高尚な歴史」を持ち、「雅やかな風俗がある」我が中国では、

菊は聞一多の「菊に思う」で書いているように、「4千年の

中華民族の名花」であり、日本とはまったく異なる含意が込め

られている。それは、中華民族が菊を詠んださまざまな詩作

から見てとることができる。

もっとも有名なのは、当然のことながら、東晋の詩人陶淵明が

詠んだ「菊を採る東籬の下  悠然として南山を見る」である。

この詩は広く世の人々に好かれ、朗詠されてきた。高潔な

志や世俗を超越した境地がこの詩に表されている。その境地

のなかで、菊と人間は渾然一体となっている。・・

🛑  たとえば、黄巣の天地を覆そうとする反逆の詩にしても、

鄭思肖が菊を「寒風を恐れない」と詠んだのもまた菊を讃嘆

して聞一多が「金の黄、玉の白、春耕の緑、秋山の紫」と詠った

のも、その着想はいずれも陶淵明の「菊を採る東籬の下、悠然

として南山を見る」というあの詩と相通ずるものがある。強調

されているのは菊の「美」ではなく、菊の「魂」である。・・

こうした「魂」は、高潔で、世俗に媚びず、自立を求める知識人

の品性を投影したものといえるであろう。その意味で菊は、松、

竹、梅と同じように、一種の精神と品格のシンボルとなっている。

ところが、中国人が褒め称えた菊の「魂」は、「大和民族」の

「国民性」とは融和し得ないようだ。日本の社会で強調されている

のは、「忠」であり、絶対的服従である。芳賀矢一は「国民性十論」

の中で、日本の国民性の特徴は第一に「忠君愛国」、第二に「祖先

崇拝」」であり、・・・第三に「「現世的」「実際的」を挙げている。

ここからもわかるように、日本人が愛するのは菊の「魂」ではなく、

「黄花」の純粋な美とその「味」である。実際、日本には「食用菊」

という食べられる菊があるのだ。

あるいは、日本の菊の「魂」は、単に「高貴」という一つの含意しか

込められていないのではないか。私たち中国人が菊について言う

「孤吟」「傲霜」(霜の寒さに屈しない)「鉄骨霜姿」「寒香」「味苦」

などと言う形容は、大和民族にはおそらく理解されないだろう。・・

(2001年12月号より)



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🦊:  参ったねー、まったく。北京大学中国語学者とあれば、

レトリックは完璧。(もっとも、これは上流知識人にとっての菊が

彼らの「魂の象徴」であるという話なので、例えば「ちょっと

お願い。どこかの病院でモルヒネを少々手にいれられないかなー?」

なんていう来日中国人のことではない。また、日本人の特徴と

される「忠」「絶対服従」が中国では皆無なんですかね?とか、

チャチャを入れたくなるが、やめとこ。)


キツネはあまり中国文学には縁が無いが、「紅楼夢」は大好きで、

文庫版12冊というのを持っているが、なんとなく気分が落ち込んだ

ときなど、これを読むと元気が出たりする。


ーー「源氏物語」はいかに訳されたかーー

翻訳家・文潔若

「人民中国」誌:(本社中国)インターネット版  2006年12月号より

「この記事の無断転載を禁じます」とあるので、その一部分だけを

要約させてもらう。

まず、「紫式部の『源氏物語』の書かれたのは1004年から1044年、

ダンテの『神曲』より300年早く、ボッカチオのデカメロンより350年

も早い。更に『紅楼夢』が出版されるのは700年も後である」とし、

次に周作人(魯迅の弟)が手紙の中で、「源氏物語」について書いた

文を紹介している。

🛑  彼はこう書いている。「源氏物語が完成したのは、中国では

宋の太宗の頃であり、中国で長編小説が発達するまでにはなお

500年を要した。・・・これは実に、唐の時代の「紅楼夢」ということも

できる。唐朝の時代の文化の豊かさをもってすれば、このような大作が

生まれて然るべきだと感じる。しかしどうしてこの栄光が藤原家の女性に

奪われてしまったのか」


🦊:   はい、ここまで。最初に源氏物語を中国語に訳した豊子愷の4年に

わたる作業を補佐した文潔若さんの語る面白いエピソードがNETでなら

読める。最後に彼女ははこう付け加える「これほど多くの中国人に愛されて

いる「源氏物語」は、知らず知らずのうちに、中国の文学にも影響を

与えているに違いない」

アラ探しブログのつもりはないので(少しはあるか)、キツネの言いたいのは、

「我が民族は偉大なり」とプーチン流に宣伝するのではなく、「躍動する13億」

の実態を率直に語り、「後進国日本」への「アドバイス」も含めて、激論を

恐れずに語り合うことが 、特に岸田氏と習氏に必要な「度量」ではないだろうか、

ということだ。1対1では目も合わせないというんじゃあねー。


🦊:  下の写真はリュウノウギク。「菊に似てる」なんていう人がいるが、とんでもない。

これはれっきとした菊科の日本固有種・・などと怒ることも無いが、ヨメナや

リュウノウギクまでもが大陸から引っ越してきたわけではあるまい。

「菊に似てるけど」「何だ野草か」とは許せん。

11月16日


🦊:追記・11月17日

皇室の紋章のモデルは、16弁八重菊で、品評会では「一文字菊」に分類されて

例のネコのエリザベスカラーみたいな紙皿の上に、花弁を広げているのがそれ。

(花弁が捩れたりしやすいので、花弁の先端の丸まった部分に、綿の玉を入れて

行儀よく平開させるのだとか)

野の小菊とは何の関わりもない。きつねはホッとした次第。