政治的に遅れた国と先進文明国のちがいはどこにあるってか?
🦊: 政治的に遅れた国って言うが、人民主権が全く国民の心に住んでいない、
という意味か、又は西洋流の哲学では理解できないような異常な信仰心から
抜け出せない国民とそれを繰る政府、という意味か、いずれにしても
非西欧的で粗暴な、戦争志向の国民がいる。
一方ヨーロッパは平和を実現したと誇る西側先進国は、互いに不戦の誓いを
交わしており、それは長い戦乱の歴史から学んだ、相互信頼の知恵だという。
では、アメリカはどちらに属するか。こっちはヨーロッパの血も受け継いで
いるが、その中から出現した「天罰を下す神」か軍神の配下の役割を、ますます
増長させ、国民は平和を望みながらも、戦争の常勝国神話を手放さない。スパイも
軍需産業も、同盟の名の下の、「独立したがらない」国の政治支配も、みんな
「アメリカの平和」のため。そこに「勝つも負けるも金次第」これが皮肉にも
平和についての唯一の「当たり札」だ。どうにか「平和」を創り出すことは
できないのかねー。
🛑法と暴力の記憶ーー東アジアの歴史経験
高橋哲哉ほか十三人の共著: 東京大学出版会 2007年刊
p101 歴史認識論争ーー相対主義とミメティズムを超えて
アラン・ブロッサ: 1946年生まれ。政治哲学者
1。対話の前提条件
歴史の出来事に関しては、さまざまな視点があり、そのどれもが相対的
であることを認めざるを得ません。例えば、フランス市民で大学教員
であるわたしが、ここで次のような痛烈な批判を始めたとしましょう。
日本の首相は、靖国神社公式参拝などを通じて第二次世界大戦の記憶を歪め、
これを政治的に利用しているのではないか。あるいは、現在日本で跋扈している
歴史修正主義の言説は、かつて日本軍が(中国をはじめ、アジア各国で)繰り広げた
国家犯罪を隠蔽しているのではないか。すると、必ず次のような反論を招くことに
なるでしょう。「フランス人のあなたが、他国の歴史認識を断罪する、その確固
たる自信はどこからくるのですか。あなた方はヴィシー政権時代やアルジェリア
独立戦争時に、フランスの名において犯された犯罪行為を十分に清算しましたか。
独立を求めるアルジェリア人に対してフランス軍が組織的に行使した拷問は
どうでしょう。フランスの政治家たちは公式に謝罪したのでしょうか。」
このような反論が一定の妥当性を持つことをわたしも認めます。この反論は、
歴史的犯罪特に国家暴力にまつわる歴史認識論争においては、「他人を非難する前に
まず自分の非を改めよ」という確率にしたがっています。わたし自身も、ときおり
英語圏の雑誌をめくりながら、そうつぶやきたくなることがあります。例えば、
タリバン政権時代の暴力的な政策を指摘する論説を目にするたびに、わたしは
書き手の論理的、政治的な誠実さを試すため、こう問い返したくなります。
「ではアメリカ軍がベトナムで大量に散布した枯葉剤のことは覚えていますか。
このことは今どう考えていますか。それから(お宅の)キッシンジャー氏が仕組んだ
チリのクーデターについてはどうですか。何千人もの人々が虐殺されたあの時、
今と同じ義憤を感じましたか」と。このような反論には、たしかに一定の現実的な
根拠があります。なぜなら、歴史上の出来事に関して、異論の余地のない普遍的に
妥当な証明できる場所や審級は存在しないからです。この地上においては、判断の
客観性を保証する「絶対的に中立な場所」など存在しません。そうである以上、
他人(民族、国民、エスニック集団)の名においてなされた歴史的行為を分析したり
裁いたり、意見しようとする者には、いつでも誰でも、次のような嫌疑がかけられる
でしょう。他人の行為を厳しく批判することで、自分自身の利益を追求している
のではないか、」と。他人を攻撃することで自分自身の歴史的責任を棚上げにする
のは、人類に広く共有されている態度だからです。このような態度のことを、
フランス語では(faire son autocrinique surle dos des autres)「他人の背中に隠れて
自己批判する」といいます。現在日本では「南京大虐殺」や「従軍慰安婦制度」、
戦争捕虜の虐待」などの、第二次世界大戦中の日本軍の残虐行為を隠蔽しようと
する言説が蔓延っています。しかし、愛国主義を装うこのような物語の最も
シニカルな支持者は、次のような反論もするでしょう。「中国共産党指導者たちが
過去の日本軍の犯罪を言い立てるのは、実は彼らの利害関心のためなのだ。
たとえば、文化大革命の時代に「前の世代が犯した罪から、国内外の世論を逸らそうと
しているのだ」と。厄介なのは、このような主張も完全に間違っている(あるいは
純然たる嘘だ)とは言えないことです。
現在世界中で、さまざまな国民的、国家的記憶が群雄割拠しています。かつて「民族」
の名の下において犯された国家犯罪、とりわけ(人道に関する罪、ジェノサイド、
ジェノサイド的犯行などの)極限的暴力をめぐる論争は、ますます加熱していくように
見えます。そうした中、私たちは研究者又は大学教員として次の根本的な問いを迫られて
いると言えましょう。論争を招いている歴史的出来事に関して、(少なくとも部分的にでも)
完全なる相対主義とを乗り超える言説を構築するためには、どうすればいいか。また、
客観性や中立性を目指すどのような言説の背後にも政治的打算やイデオロギーを見出し、
これを暴き立てようとする風潮がありますが、その結果生じる「疑いと非難の応酬」から
自由な言説を構築するにはどうすればいいか、と。
(中略)
本来学問とは、外交手段以外の手段を用いた国家権力の行使であってはならないものです。
例えば子供たちに、テレビやさまざまな教育媒体を通して、国家の正史を刷り込むことが
あってはならないように。したがって、議論のための鍵となるのは、研究者間の信頼関係
の構築です。わたしと意見を交わす同僚たちが「「国家理性」から自由な人々だという
「暗黙の了解」が成立する必要があるのです。とりわけ過去の直視しがたい出来事を
問題にする場合には、それは重要となるでしょう。
p104 もし目の前の「専門家」が、ただ現在の政治指導者の見解を学術用語で
なぞっているに過ぎず、かつて自国の為政者たちが自民族の名で犯した国家犯罪
に関して、まるで批判的な見解をもちあわせていないとしたら、どうでしょうか。
今述べた歴史的対象に関して、学者または専門家の間のコミュニケーション空間
は、その道徳的な拠り所を喪失するでしょう。この点からも「道徳」の次元は、
実は「認識の次元」と密接に関連していることが窺えます。一例をあげましょう。
アルジェリア戦争終結直前の1961年10月17日、何百人ものアルジェリア人が
フランスの警察によって虐殺され、セーヌ川に投げ込まれました。フランス政府は、
この事実を未だに承認していません。ところで、もしフランス政府のこの公式見解を
わたし自身も支持しているとすれば、日本の歴史修正主義者についてわたしが述べる
ことの一切は、皆さんにとって信憑性を失うでしょう。ここにおいて、先ほど「学問」
の領域から追放された「政治」次元が、もう一度回帰してきます。なぜなら、国家犯罪
をめぐる政府の公式見解がら批判的な距離をとることをわたしに命じている「道徳的」な
気遣いは、同時にに「政治的な」気遣いでもあるからです。
p104 概念の適切な使用
(「他人を非難する前にまず自分の非を改めよ」という格率が受け入れ
られたからと言っても)この格率の尊重は、議論が成立するするための
「道徳的な前提条件でしかありません。単に道徳的な「誠実さ」の充足に
留まるのではなく、学問として歴史研究が要請する一連の特殊技能ーー
特に記述の力のみならず、「分析的な力」ーーに連動していく必要が
あります。この点は極めて重要です。歴史犯罪に関する限り、記述の
正確さや緻密さ、専門知識の蓄積だけでは不十分で、哲学、法学、
社会学などの分野で生み出されたさまざまな「概念」を大胆に用いる
ことで、問題のできごとを「規定」しなければなりません。
つまり、過去 の犯罪を学問的に対象化するためには、さまざまな
概念装置に関する合意が、研究者や専門家の間で形成される必要が
あります。例えば、中国と日本の間では、「南京」という出来事
をめぐる用語上の論争があります。すなわち、「南京大虐殺」」という
中国語の「愛国的」表現を支持する人々と、「南京事変」という表現を
用いる日本の歴史修正主義者や否定論者の間の論争です。
しかし、西洋哲学の伝統の中でものを考え、日頃からアレントや
プリーモ・レヴィ、アガンベンの著作に親しんでいるわたしには、
この論争は、出口のない対立に見えます。というのも、「悲惨さの度合い」
が論争の焦点となってしまい、「出来事の本質」をめぐる議論がおろそかに
されているからです。しかし、私にとって重要なのは、「南京1937」という
出来事を、20世紀の重大な国家犯罪の系譜上に位置付けし、しかるべき語彙
によって「規定」し、「命名」することにほかなりません。そのためには
臆することなく出来事や犯罪を「命名」し、概念的に把握する「潔さ」が
求められます。第一の解釈によれば、この通常の出来事は戦時暴力の延長
に位置することになります。つまり、南京で繰り広げられた暴行、略奪、
虐殺、放火などの行為は、猛り狂った兵士たちの「暴走」の産物だと
いう解釈です。これに対して、もう一つの解釈は、南京で行われたのは
「人種主義的なイデオロギーに基づいて周到に準備された犯罪」という
解釈です。これに従えば、南京大虐殺はすぐれて「近代的な犯罪」だという
ことになります。それは有史以来の戦争や侵略の延長線上に位置する出来事
ではなく、むしろ、現代国家や全体主義の下で遂行された数々の国家犯罪の
系譜に属する事件だということになるでしょう。つまり、「ナンキン」は
「アウシュビッツ」や「「ヒロシマ、ナガサキ」に連なる事件
だということです。
この第二の解釈を支持するならば、南京大虐殺を「人道に反する罪」と
規定し、この犯罪の「特異性」を唱える必要があります。そして、
この犯罪を「ジェノサイド」とまでは言わなくても、「ジェノサイド的行為」
として語る必要があります。しかしそのためには研究者の間で、これらの
概念体系をめぐる最小限の合意がなされなければなりません。
第二次大戦後、(通常の戦争犯罪や政治的犯罪を裁くために)新しい法概念が
導入されましたが、南京大虐殺の「特異性」を正しく裁くためには、これらの
法学生まれの概念が、哲学や社会学などの隣接分野でも広く共有されることが
不可欠です。さらに、これらの概念を単にレトリカルに使用したり、政治的効果を
狙って乱用することを慎まねばなりません。例えば、自分たちの都合のいいように
「ジェノサイド」という言葉を使用したり、「ジェノサイド」と「人道に反する
罪」を故意に混同させてはならないのです。こうして、現代の極限的暴力、とりわけ
国家犯罪を論じる上で、わたしは「犯罪を正確に分類し概念的に規定する作業」を
特に重視しています。なぜなら、犯罪の概念規定が曖昧になれば、それだけ
歴史修正主義者や否定論者につけ入る隙を与えることになるからです。
周知のように、歴史修正主義者の常套手段は、「出来事の名前」を操作すること
です。彼らは論争中の出来事を「共同体間の暴力」、「戦争の惨禍」、
「非人間的な出来事」などの曖昧な表現で言い表すことで、いつしか犯罪的と思われる
事件から、その「犯罪性」を消去してしまうのです。このような否定論者の策略は、
フランス、トルコ、日本をはじめ、いたるところでも同じです。
過去の出来事の実在性を訴える生き残りの証言や歴史家の仕事を、
否定論者は必ずしも否定しません。ただ彼らは、国家の正史から
「出来事の名前」を抹殺しようと巧妙にしかけてくるのです。
たとえば歴史修正主義が広範に支持されているトルコの場合を
考えてみましょう。トルコの歴史修正主義者は、1915年にアルメニア人
が大勢殺害されたことを否定しません。ただ、アルメニア人の殺害は、
人類史上の「他の多くの虐殺の一つ」にすぎず、トルコ人自身もまた
しばしば迫害の対象となってきたことを強調します。
次に1994年のルワンダ大虐殺に関するフランス政府の立場について
触れてみましょう。虐殺の共犯者であるフランス政府は、この
「悲劇的な事件」のさなかで膨大な数のツチ族が犠牲になった
ことを否定しません。ただ、これらの死傷者の原因を(ツチ族と
フツ族の間の)いわゆる「共同体間の暴力」に帰着させることで、
虐殺に関与したフランス政府の責任をごまかしているのです。
では日本の場合はどうでしょうか。日本の否定論者も、1937年12月に
南京で何も起こらなかったとは、さすがに言いません。ただ、日本軍
だけが悪かったかのように言うのは反日勢力の悪意に満ちた偽りであり、
この複雑な事件の責任は、中国側と日本側の双方にある、と主張して
いるのです。これらの例からも分かるように、世界の歴史修正主義者
や否定論者に対抗するためには、単に「事実を再構成」するだけでは
不十分です。さらに犯された犯罪を「概念的に規定」し、正しく
命名することが重要です。このためには「概念の学」としての哲学lと
正義の尺度や刑罰の尺度を定める学としての法学の知識を動員する
ことが不可欠なのです。(中略)
p116 ミメティズムーー集合的記憶の小児病
🦊: (東京裁判とパールハーバーの間で、コロリと歴史哲学をすげ替える
=東京裁判は勝者の裁きだから不当であり、日韓併合や中国侵略等が
不法行為ではなく、大日本帝国とその臣民の歴史的「権利」だったという
ような)のは、あまりにも節操が無いと言わざるを得ません。= 前の章の
終わりで著者はこう結んでいる。
🛑この点についてもう一言。国家犯罪や近代社会における極限的暴力
が問題となる場面では、「我が国だけが悪者なのでは無い。他国だって
やっている」という弁明が必ず出てきます。しかし、ここに見られる
「ミメティズム」は、集合的記憶の「小児病」にほかなりません。
私たちは自分の行為の責任を問われるとき、しばしば別の犯罪や危害を
引き合いに出して自己弁明をはかるものです。・・・・アジア植民地
支配を始めたのは日本人だけじゃないのに、なぜいつも僕らだけが
悪者なんだ!と。
過去の記憶をめぐる(西)ドイツと日本の落差が最も顕著に現れるのも、
ここかもしれません。ドイツでは、1960年代から70年代にかけて
大きな意識転換が起こりました。「何でわれわれだけ悪者扱いなのか!」
と「オアイコの論理=ミメティズム』に走るのは、70年代以降、極右
ナショナリストなど、一部のマージナルな人々だけになりました。
これに対して、ドイツの政治指導者と国民の圧倒的大多数は、オアイコの
理論を卒業し、ドイツ人の名において第三帝国の下でなされた犯罪と
向き合うようになったのです。このような意識転換は、政府レベルだけ
ではなく、文化レベルでも起こり、「後から生まれてきた幸運」(H・コール
首相)に恵まれた戦後生まれの若い世代にも受け継がれ、広範な運動として
発展しました。ドイツ人もまた(同じ敗戦国である日本と同様に)自国の戦争被害
を訴えることにより、自国の戦争犯罪を相対化しようと思えば出来るのですが
そうはしていません。過去の犯罪にいつまでも思い悩まされず、加害と被害を
めぐる集団ノイローゼから解放されるためには、過去の責任を主体的に引き受ける
しかないと自覚したからです。こうしてはじめて、自分たちの共同体の名において
犯された過去の犯罪と手を切ることが出来ました。・・・・
p120 結びに代えて
・・・西ヨーロッパにおいて、半世紀前に激烈な死闘を繰り広げた民族、国民、
国家の間で、過去の記憶をめぐる一定の紛争解決が得られたのは、フランス人、
ドイツ人、イタリア人などの間で、ふたたび戦争をしようなどとは、もう誰も
思わなくなったからでした。当該諸国の住民レベルだけでなく、政治指導者の
レベルでも、武力による紛争解決など「純然たる妄想」だと退けられる重要な
ステップが、ある時期に一挙に乗り越えられたのです。西欧諸国間の利害対立を
従来のように武力で解決しようとする一切の欲望も見通しも、こうして歴史の
砂の上で消え去りました。
(ふたたび目を極東に転じると)この地域の民族や国家の間では、いまだに武力に
よる問題解決を望む声が、政治指導者や世論の一部に根深く残っているのでは
ないか。今の日本社会に見られる歴史の記憶の動員や道具化の動き、また記憶の
対立を煽り、・・古典的なナショナリズムを刺激する動きは、来るべき「総動員」
の準備過程として立ち現れてくるのではないか・・・そのような懸念を抱かざるを
得ません。
********************************
🦊: この論文が翻訳出版されたのが2007年であり、現在2023年のヨーロッパを
眺めてみるに、「平和」の2文字はどこにも見当たらない。どうなんだろ。
きつねは、ここに学者先生の、現世を見る目の甘さを感じる。前にもどこかで
読んだのだが、何者にも怯えを知らない、だからとても分析的な素晴らしい
内容だけど、「現に西ヨーロッパでは、戦争は消滅させられた」とおっしゃる。
なぜ東洋やアフリカや中東ではそうならないのか?「そこが不思議だ」と。
狐のような下賤の年寄りには分かるわけはないが、現に戦争のバケモノは世界の
屋根まで降りてきている。ばけものを生き返らせたのは果たして誰か?
(2023年 1月 )
`
bn
2023年1月20日 朝日新聞 インタビュー
ウクライナ戦争で核の脅威と東西分断が迫る中、
かつて初の軍縮と冷戦終結を引き寄せることになった
ミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領(昨年8月死去)の
「新思考」は、今こそ見直されてもいいのではないか。
ゴルバチョフ氏の報道官を30年以上勤めてきた側近の
ウラジーミル・ポリャコフさん(72)に聞いた。
(編集委員・副島英樹)
ーーゴルバチョフ氏がずっと訴えてきたことは何ですか。
「彼を側で長く見てきて断言できます。彼の政治と哲学には
いくつか重要な項目があります。第一は戦争の拒否。第二は
軍拡競争の停止。彼にとってさらに重要なのは、政治にモラル
を導き入れることでした。これがなければ軍備や戦争や軍縮
のような問題に携われません。そしてもちろん、信頼の言葉を
取り戻すことです。」
「いま世界で起きていることを見ると、首脳たちはお互いに話
を聞こうとさえしない。侮辱し合っている。彼は言っていました。
政治リーダーは侮辱する権利を持たない。強靭な意志と神経が
なければ政治などできない、と」
ーーゴルバチョフ氏は何を我々に残したと考えますか。
「彼は我が国に言論や選択の自由をもたらしました。
それを使いこなせなかったのは私たち全員の責任です。
彼は何度も言っていました。(ソ連トップを務めた)
わずか6年でソ連のような大国を変えるのは不可能だと。
しかし、その6年で世界は様変わりしました。1980年半ば
から終わりのことです。ただ、我々は全世界の前に開かれた
チャンスを失ったのではなく活用しなかった。ロシアも
世界も。その結果が世界で今起きていることなのです。」
「ロシアはゴルバチョフ以前の時代に戻ってしまいました。
権力の垂直体系、お飾り憲法、「帝国アイデンティティー」、
政治犯の出現などです。私たちは再び一から全てを始め
なければなりません。」
ーーゴルバチョフ氏は核廃絶を唱えた最初のリーダー
でした。
「軍拡競争が再燃し、再び核兵器が強く意識され、重要な
条約が姿を消しています。彼が核廃絶の考えを1986年に
示すと、ロマンチストだと揶揄されました。しかし結果は
物語っています。やれば出来るということを。まずは
中距離核戦力(INF)全廃条約の締結です。これは核兵器の
一つの領域を丸々廃棄するものでした。その後、米ソは
自らの核保有を85%減らすことになります。:これは
核兵器を禁止する道のりの始まりでした。これこそ
ゴルバチョフ政治の肝です」
「それが冷戦終結に導きます。ベルリンの壁崩壊、東欧の自由選挙。
これらは『新思考』がもたらした新しい世界への転換でした」
ーー心に残る彼の言葉は。
「もし戦争が政治の手段であるならそんな政治には反対だ、との
言葉が忘れられません」
「彼はこう結論づけました。武力というものは、外政であれ内政であれ、
特に核兵器を手にしている限り危険な手段であると。強大な警察、
国家親衛隊、軍隊、特殊部隊・・・・これらは何かの抑圧に向けられます。
平和的なデモに武力を使ってはならないのです」
ーーロシアは武力を外交につかっています。
「もちろん国際関係の中でも、外交を保つためには武力を使ってはなりま
せん。いま我々は何を見ているのか。ロシア外務省はプロパガンダの省
へと変貌し、交渉の糸口を模索する代わりに厳しい声明を繰り出しています。
外交というものの理解を忘れてしまっている。これは問題です」
「今起きていることは、総じてロシアが悪いと言えます。特別軍事作戦
(ウクライナ侵攻)を始めたロシアには大きな責任があります。これが
作戦というなら、一定期間で終えるべきはずのものです。でも、もう
10ヶ月以上続いている。これは非常に憂慮すべきシグナルです」
ーー西側にも問題があったと。
「西側の多くの人は自らを冷戦の勝者だと考えました。これも正しく
ありません。みんなが勝ったのです。ロシアも米国もヨーロッパも。
ゴルバチョフが危ないと警告していたのが『勝利者意識』です。米国
にはそれがあった。ヨーロッパでも見られました」
「ここでやはり必要になるのがモラルです。その意味では、責任は
みんなにあります」
「冷戦終結のチャンスを生かせなかったということです。冷戦終結は
西側だけでなく、すべての人の勝利でした。レーガン(米大統領)、
コール(独首相)、ミッテラン(仏大統領)、やサッチャー(「英首相)が
いなければ、実現できませんでした。国家リーダーには他人を中傷しない
モラルが必要です。そして対話が必要なのです。今の時代、
これが欠けています。」
(中略)
ーーゴルバチョフ氏は「人間の安全保障」を唱え、基地問題を抱える沖縄に
関心がありました。
「私が最後に彼に会ったのは死の2ヶ月前。すでに重病でした。その時、彼は
日本に行きたいなあ、と言いました。3回も訪れた沖縄だけでなく、日本人が
好きでした。沖縄で『ヒューマン・セキュリティ・フォーラム』を開く夢を
もっていました」
ーー昨年12月に沖縄での「ゴルバチョフ氏を偲ぶ会』でスピーチをされました。
「彼はあたらしい世界と新しい国を残しましたが、その「新しい時代はまだ
ロシアには来ていない。そこに想いを込めました」
********************************************************
「取材を終えて」より
🛑 ゴルバチョフ氏の評価は常に二分する。
80年代後半のペレストロイカ(改革)によってソ連国内にもたらされた
混乱を見れば、批判的見方があるのは当然だ。歴史的経緯から同氏が
クリミア併合を認めていたことにも、西側から厳しい批判がある。
ただ、一つのファクトに留意してほしい。
人類には第二次世界大戦後にたった一度だけ、
増え続けた核兵器を減少に転じさせる転換点があった。レーガン・
ゴルバチョフ時代のことだ。それがベルリンの壁崩壊と冷戦終結、
ドイツ統一へとつながる。当時の東西融和の精神が失われてしまった今、
もう一度、初の核軍縮や冷戦終結を可能にした「新思考」を見つめ直し
てもいいのではないか。
今のプーチン政権下では、リベラルなゴルバチョフ財団は微妙な立場にある。
ポリャコフ氏は慎重に言葉を選びながらも、現政権への厳しい視線を
にじませた。読者に汲みとっていただければと思う。
************************************
2023 1 19
🦊: 以前のブログで京都学派を取り上げたような気がするが、
どこへ行ったかわからなくなった。(時々こうなる)で、書き直す
ことにして、哲学史の専門書を読んでみたが、これが超難解。
本の帯にはこうある。「世界最高を目指した最高の知性は、なぜ
「戦争の協力者」へと堕ちたのか?
だがこれは講談社のコマーシャルであって、著者はもう少し
真面目に京都学派とその後継者を、丁寧に論じている。
「京都学派」
菅原潤 著 : 2018年 講談社現代新書
p83 「主体的無の行方」から抜粋
🛑 (京都学派の租といえる西田幾多郎の思想を継ぐ学者を
京大四天王とよぶが、その一人、西谷啓治について)
周知のように、キリスト教は宗教改革以後、さまざまな派に
分裂し、更に社会主義勢力が台頭して以降は、いよいよ
社会的統合の後ろ盾でなくなった。キリスト教史もこの
状況をうけて、宗教から歴史を把握したり、逆に歴史から
宗教を把握したりする視点が打ち出されるようになった。
西谷の第2論文「宗教・歴史・文化」では、こうした
傍観者的な宗教観が厳しく批判され、世俗からは離れた
宗教の立場が強調される。その足がかりとなるのが
神秘思想の系統だと西谷は主張する。
神秘思想は脱俗的なものだから、現実にはそっぽを向く
のが当然の成り行きにも思えるが、西谷は逆に、神秘思想
の立場から、世俗の倫理を批判する。ルネサンス以降の
人間中心主義と、その帰結である民主主義である。
人間中心主義であれ、民主主義であれ、両者において
その起点となる人間の理性が自明視されていることに
不満を抱き、西谷は、理性を否定するところに生の根源が
見出されることを強調する。なお民主主義に疑念を抱いて
いる点では、西谷の政治観は「国体の本義」の中で国体が
民主主義に適合しないと論じた和辻哲郎に近似的である。
この生の根源性こそが西谷の言う「主体的無」にほかならない。
p120 普遍的世界史と特殊的世界史の区別
(四天王の一人高山岩男についての論評より)
高山は当時のアジアの台頭を「ヨーロッパ世界に対して非ヨーロッパ
世界が独立しようとする趨勢」と理解する。それまでアジアは
ヨーロッパ世界に内包されていた感があったが、今やアジアは
日本を先頭としてこうした内属化から脱却し、それと共に世界の
唯一の基準とされてきたヨーロッパ世界が、数ある近代的世界の
一つに過ぎなかったことが明らかになったと言うのである。
ここには「文化人類学」で高山が強調していた、それぞれの
民族文化は対等だと言う認識が裏打ちされている。
それゆえ高山は、ヘーゲルやマルクスの「世界一元論」に代わる
歴史観を提示すべきだと言う。それが、特殊的世界史を内包した
歴史的世界の多元性である。従来の歴史的説明によれば、チグリス・
ユーフラテス流域に代表される東洋の文明は、ことごとく「世界史の前史」
とされている。だが、高山は東洋には東洋独自の世界史があると言い、
地球上に多くの世界史と、多くの歴史的世界を認めねばならないと
強調する。その上で高山は、「特殊的世界史」と「普遍的世界史」を
区別する。「特殊的世界史」とは、「民族と民族の関連から構成される世界」の
歴史である。他の民族との関連で捉えられているという意味においては、
西洋史も「特殊的世界史」に属する。これに対して「普遍的世界史」とは、
特殊的な世界と現在になってから生じた「社会を構成員とする世界」の歴史
である。・・・
高山は、西洋一辺倒になりがちな歴史理論の見直しを迫っていると思われる。
ここにはまだ日本の植民地支配を正当化するような論理は見出せないし、
周辺アジア諸国に対する無視や蔑視的感情も見られない。それどころか
「世界史の理念」は、現在の多文化共生論の先駆けとすら読むことができる。
もちろんこうした「世界史の理念」が、西洋を軸にして歴史を考える西洋史家
にとって必ずしも好ましいものではないことは明らかである。実際に
「世界史の理念」を真っ向から批判したのが、京大四天王に属する、
西洋史を専門とする鈴木正高である。
p122 鈴木正高からの異論
(京大四天王の一人)鈴木正高はまず「歴史的国家の理念」(1941年)所収の
「世界史と大英帝国」の中で、イギリスが世界の4分の1をも占める植民地
支配を通じて、ヨーロッパという枠組みを超えた世界史的段階に入った
ことを力説する。・・・
具体的に言えば、鈴木は前掲書所収の「現代の転換性と世界史の問題」
において、従来の世界史が真の意味での世界史ではなかったとする高山の
時代診断を批判する。・・・高山が言及する非ヨーロッパ社会の歴史は、
「文化類型学」に過ぎないと断罪し、間接的にヨーロッパ中心主義的な
世界史観を擁護する。
p161 時流との不幸な巡り合わせ
(西田幾多郎の弟子たちは、独自の西田哲学体系を目指す一方で
優れた西洋哲学の啓蒙書を多くのこした)
高山岩男と高坂正高がそれぞれ著した「ヘーゲル」と「カント」は
当時の世界最高水準の研究書とされているが、そのような評価を
下すのが京都学派の批判者であるはずの廣松渉だということは、
瞠目すべき事実である。当人たちの哲学体系の是非はともかく、
その土台となるべき彼らの文献読解力は、「敵ながらあっぱれ」
というようなレヴェルに達しており、戦後の世代の目標と見定め
られるものとなっていたのだ。けれども彼らの研究活動が脂の
乗り切った時期がたまたま第二次世界大戦の勃発と重なったため、
時流の渦に巻き込まれ、戦争協力せざるを得ない状況に追い込まれた。
近代日本を代表する詩人である萩原朔太郎が1938年に書いた次の一節が、
京都学派の精神風景を代弁しているといってよいだろう。
「現実は虚無である。今の日本には何物もない」一切の文化は喪失され
ている。だが僕らの知性人は、かかる虚妄の中に抗争しながら、未来の
建設に向かって這い上がってくる。・・・過去に僕らは、知識人である
が故に孤独であり、西洋的であるが故にエトランゼだった。・・」
🛑 ここで、(読者の理解のために)座談会「近代の超克」(1942年)に
おける小林秀雄と西谷啓治のやりとりを振り返ってみたい。
小林は、近代を超克するための手段として日本の伝統思想を持ち出そうと
目論む西谷に、かれの青年時代に精神的糧となったのが、日本の古典として
真っ先に挙げられるべき「源氏物語」ではなく、近代西洋の小説であったことを
告白させている。つまり、故郷であるべき「日本」に帰ろうとしても、すでに
西洋化=近代化が進行してしまっているために、本当の「日本」を見出すことが
できないという状況である。例えて言えば、花火大会の見物に合わせてせっかく
日本伝統の着物を購入しても、ぎこちない着こなしのためにどうしてもコスプレ
衣装に見えてしまうというような悲喜劇が座談会「近代の超克」にも見出される
のだ。京都学派の戦争協力について、我々が学ぶべきことは、彼らが主張した、
時流に乗った日本精神の正当化の論理は、端から破綻していたということである。
🦊: キツネは、西田幾多郎の思想がどのようなものか、それがどのように軍部に
モテたものか、読んでもよくわからなかった。なにしろNET の評判では、「名言」
というのもあるし、「分裂病的」というのもある。・・
p146 「戦時中の西田と田辺」
西田幾多郎は1938年に文部省教学課の依頼により、「日本文化の問題」と銘打たれた
講演を行い、1940年にこれを単行本として刊行している。問題になりそうな文章を
抜き書きしてみよう。
「私は日本民族思想の根底となったものは、歴史的世界の自己形成の原理であったと
思う。東洋の一孤島に位し、何千年来、殆ど閉じられた社会として、独自の発展を
成し来たった日本民族には、日本というものが即世界であった。日本精神は日本歴史の
建設にあった。併し今日の日本はもはや東洋の一孤島ではない。閉じられた社会ではない。
世界の日本である。世界に面して立つ日本である。日本形成の原理は即ち世界形成の原理
とならなければならない。ここに現今の大いなる問題があると思う。・・・
これまでは日本は即世界であった。皇道とは我々がそこからそこへという世界形成の
原理であった。日本は北条氏の日本でもなく、足利氏の日本でもなかった。日本は
一つの歴史的主体ではなかった。我々は我々の歴史的発展の底に矛盾的自己同一的
世界そのものの自己形成の原理を見いだすことによって、世界に貢献しなければならない」
***************************************
高山は座談会「世界史的立場と日本」の中でこう述べている。
「日本には近代が2つあるとおもう。・・・2つの近代というのは、明治維新前の近代と
明治維新後の近代だ。日本の近世というものはヨーロッパの近世と大体同じ時期には始まって
いた。そういう海外膨張の行われた根底には、個人意識の発展もあるし、商業の発達もある。
だから、もし鎖国というものをやらなかったら、近代日本の発展というものは全く別だったかも
しれない。(中略)
こういう意味では江戸時代は立派に近代精神を持っている。「この近代精神が維新後ヨーロッパの
近代精神と連続して、むしろヨーロッパ風に転身して、明治以後の日本をつくりあげたんだ」
この高山の発言は、特に中国との関係を意識したものではなかったが、鈴木(正高)は、彼の発言を
東洋に於ける、或いは中国に対する優位の査証と捉える。そして全体の議論は次第に日本における
2つの近代が区別されないまま、日本は近代的で中国は近代的でないという方向へ向かってゆく。
こうした議論の中で高山は、文化多元主義の先駆けとして評価さるべき「特殊世界」と
「普遍的世界」の区別を放棄して、歴史家ランケの言うところのモラリッシュ・エネルギー
の強弱で、地域文化の優劣を決定するという貧困な世界史観に転落してしまう。
高山「フランス破れたりと言われる場合に、フランス敗戦の根本原因となったものは
何か。ランケの言葉でいえばつまりモラリッシュ・エネルギー(道義的生命力)の欠乏
にあったと思う。政治と文化との間に隙や対立ができて、文化と政治がバラバラに
分離した。文化も政治も共に健康な生命力を失った。即ち道義的な生命力を失った。
それがフランスの敗戦の根本原因だと思う。(中略)・・何も今日に限らず、いつでも
世界史を動かしてゆくものは道義的な生命力だ。こういう力が転換期の政治的原理に
なりはしないかと思う。モラリッシュ・エネルギー、健康な道義感、新鮮な生命力
といったものを、日本の青年たちには持ってほしいように思う」
彼の最新の論文「世界史の系譜と現代世界史」に至っては、あれだけ批判してきたヘーゲル
の「歴史哲学講義」のロジックにのっとり、世界史の中心がゲルマン世界から日本に
移されたかのような論述になっている。
p195 言葉のお守り的使用法について
鶴見俊輔はハーバード大学を卒業後、太平洋戦争勃発とともに海軍軍属として勤務し、
戦後、姉の哲学者鶴見和子と共同で「思想の科学」を発刊した。鶴見の評論活動の特徴を
代表するのは何と言っても「言葉のお守り的使用法について」である。
「言葉のお守り的使用法とは、言葉のニセ主張的使用法の一種類である。人がその
住んでいる社会の権力者によって正当と認められている価値体系を代表する言葉を、
特に自分の社会的、政治的立場を守るために、自分の上に被せたり、自分のする仕事
の上に被せたりすることを言う。このような言葉の使い方が盛んに行われていることは、
ある種の社会要件の成立を条件としている。もし大衆が言葉の意味を具体的に捉える
習慣を持つならば、誰か扇動する者が現れて大衆の利益に反する行動の上に何かの
正統な価値を代表する言葉を被せるとしても、その言葉そのものに惑わされることは
少ないであろう。言葉のお守り的使用法が盛んなことは、その社会における言葉の
読み取り能力が低いことと切り離すことができない」
この論文が執筆されているのが敗戦直後であったことも考え合わせると、「意味が
よくわからずに使う言葉の一種類」と言うのが、戦中の政府のプロパガンダ活動
であることが容易に推測がつく。実際、鶴見はこの後に「お守り的使用法」の実例
として「国体」「日本的」「皇道」といった戦中に頻繁に用いられた語と共に、
「尊皇」のような幕末に流行した語も含めている。現在であればさしづめ
「アベノミクス」も含められるだろう。
他方で鶴見は、「意味がよくわからずに」用いられる戦後の事例として「民主」
「自由」「デモクラシー」をあげていることにも注意すべきである。このことが
意味するのは、鶴見が民主主義を否定しているということではなく、よく「意味が
わからずに」使われる点では「皇道」も「民主」も大差がないということである。
p242 自文化礼賛を超えて
本書の冒頭でも掲げたように、安倍晋三とトランプ大統領は、それぞれ「日本を取り戻す」
とか「アメリカを再び偉大にする」とかと連呼し、過去の栄光を取り戻すことを政策の
主眼としている。ここから直ちに出てくる素朴な疑問は、もしも日本なりアメリカなりが
過去の栄光を取り戻せなければ、彼らは自分の国を愛せないにのだろうかということだ。
親子関係で類推すれば、自分の子供がノーベル賞を取ったりオリンピックで金メダルを取ったり
しなければ、親はその子を愛せないのか、ということである。子供の出来が良くなくても
その子供の現実を受け入れ可愛がるというのが、一般的な親の愛情ではないだろうか。
もしそれができないとすれば、それはその親が幼い頃、日本国憲法で言うところの
個人とし尊重されなかった結果だろう。(中略)
注意しなければならないのは、放蕩息子の過ちを父親は許していないことである。
放蕩息子の欠点を全て承知の上で、この過ちの多い息子を父親は(🦊:ここでは
新京都学派とされる上山春平や鶴見俊輔らの終戦直後の論述に見られる、自らの
過酷な戦争体験を土台に、日本文化のネガの歴史を、ありのままに受け入れた視点)
「許していない」ことである。
上山は「南京事件は存在しなかった」「従軍慰安婦は強制ではなかった」と
言い立てることで戦前の日本を美化するするのではなく、その過ちを冷静に分析し、
認識した上で、それでも愚かしい日本を等身大で受け止めるという態度を貫いた
ということができるだろう。ここには、戦前の日本を過度に称賛したり貶めたりせず、
冷静に距離をとって眺める姿勢が見てとれる。
**********************************************************************************
🦊: 鶴見の言う「言葉の読み取り能力」については、その裏で「言葉の意味の厳格な定義」
が全く共有されない日本語、というか、言葉のアヤを悪用して、うまいこと人を反対側に
引っ張り込む「オレオレ詐欺」的な文化人、学者と、それを面白がって済ませる粋な日本人
という悪ノリ文化があると思う。特にそれが西欧起源の「民主主義」や「説明責任」ならば、
言いたい放題がまかり通る。結果、「皇道も民主も大差がない」ということになり、ついでに
押し込んできた強盗の後ろについて、次は隣家へ忍び込む、てなことになりはしませんかね?
2023年 1月 25日
人権がわからない政治家たち
小林節 著: 2021年 講談社 刊
(小林節 :慶應大学教授・法学博士)
p2 はじめに
🛑過去数年にわたり、日刊ゲンダイに自由に書かせてもらった
コラムをまとめて加筆したものである。それは、現実の政治的な
課題について、民主主義と人権を守るという観点から評価を加え、
解決策を提案したものである。
p14 憲法は「国の目指す形を掲げる」ものだが、何よりも「権力を
統制」するものだ。
世界の常識、法学の知識としては、憲法の第一の役割は、国家権力
という強大な力を預かる政治家以下の公務員(つまり権力者たち)を
縛る規範である。(中略)
自民党議員と憲法論議をしていて驚かされることは、権力を
規制する「エネルギー制限規範」としての憲法もあるが、
権力に授権する「授権規範」としての憲法もあるが、私は後者を
採る、などと公言して憚らない者が多いことである。その立場で
行けば、「権力者は憲法で授権された後は自由で、まるで「神の子孫」
を自称していた中世の国王の如く、何者にも制約されずに自由に
権力を行使できてしまうことになる。
憲法が三権を国会、内閣、最高裁に授権した意味は、三権は他権力の
領域と国民の人権を侵害せずに権力を行使せよ・・という命令なのである。
p16 お粗末すぎる自民党の改憲「進化論」
2020年6月19日、自民党の広報がツイッターで発信した4コマ漫画が
物議を醸した。それは要するに、「ダーウィンの進化論によれば、生き延びる
ことができるのは最も強い者でも最も賢い者でもなく、「変化できる
者」である。だから、日本を発展させるためには憲法改正が必要である」と
主張している。
まず、各個体に「意志が存在しない」動物と植物が自然環境に適応させられて
変化した過程を、意思がある人間の集団行動である政治や歴史に適用しようと
する点からして、もとより無理筋なはなしである。それに一読して「大日本帝国
憲法(明治憲法)現代語訳」と見紛う日本国憲法改正案(2012年)を今でも堂々と
掲げている自民党に「進化(優れたものへの発展)」を説かれても、片腹痛い
としか言いようがない。
自民党の草案には、文字通り「反憲法的」なことが幾つも明記されている。
まず、本来は主権者国民の最高意志として権力担当者を縛る法である憲法
(第99条)を、権力担当者が一般国民に守らせるもの(草案102条)に変えようと
している。また、首相が緊急事態を宣言したら、内閣は行政権に加えて、
国会から立法権と財政権を奪い、地方自治体から自治権を奪い、国民は公の
命令に従う義務を負うこと(草案98条99条)を提案している。さらに草案は
選挙制度を定める際に「一人一票の原則」を軽んじても良い(47条)と定めている。
それこそ、憲法論の「退化」であろう。
だから今回のツイートは、長い歴史の中で多数の尊い犠牲を払いながら、
民主的政治制度と憲法理論を「進化」発展させてきた人類の英知にたいする
冒涜である。
私は、自民党の中にも聡明で教養のある議員や政策スタッフがいることを
現実に知っている。にもかかわらず、このような無意味というよりも
「無知で無恥」としか言いようのない広報資料が発信された現実を前にして
長期政権の末期症状の一つだろうと言っておきたい。
湯水のように政党助成金(税金)を使って、癒着した党幹部と広告代理店が
無駄な予算消化を行なったとしか思えない。これでは論争になりようがない。
p19「教育勅語」の活用など正気の沙汰ではない
2018年10月2日、柴山晶彦文部大臣(当時)が就任直後に記者会見で、教育勅語
の活用に言及した。いわく、「現代風に解釈されたりアレンジした形で使える
部分は充分にあり、普遍性を持っているる部分が見てとれる。同胞を大切に
するとか国際的な協調を重んじるとか言った基本的な内容を現代風にアレンジ
して教えていこうという動きも検討に値する」。
しかし、原文を確認してみたが「同胞を大切に」という趣旨は「親孝行、兄弟
仲良く、友人と信じ合い、他者に博愛の手を差し伸べ」から明らかであるが、
「国際協調」はどこにも読み取れない。しかし、それを教育に活かしたい
ならば、単に「同胞を大切にしなさい」と教えれば済む話で、教育勅語
を持ち出す必要など無い。
改めてして記しておくが、教育勅語の趣旨は、後半部分に明記された、「危急の
時には、正義心から勇気を持って公に奉仕し、永遠につづく皇室の運命を
助けよ」と国民に命じている点である。そもそも勅語という形式自体が、国の
統治権を総覧していた天皇が、その大権に基づき直接「臣民」に「下賜」する
意思表示で、当時それが憲法の附属文書のような社会的拘束力を持っていたことは
歴史的事実である。そして、それが第二次世界大戦の敗北に至った軍国主義を
支えたことも史実である。だからこそ、敗戦直後の昭和22年(1947)に教育勅語に
代わる教育基本法が制定され、翌23年(1948)に衆参両院が勅語の失効を確認
する決議を行ったのである。にもかかわらず、日本国憲法の下で教育勅語を
「アレンジして」養育に用いよう・・という発想はもとより論外であるが、
あろうことか文科大臣が就任直後の記者会見でそのような発言をしたことは、
にわかに信じがたい。ちなみに、柴山大臣は弁護士である。
p21 「大学の自治」を理解しない自民党文科族議員
憲法23条は「学問の自由」を保障している。それに「大学の自治」保障も
含まれていることは、世界の常識である。・・
このような憲法原則が確立した背景には、長い歴史的闘争があった。学者は、
文学、医学、法学等そのきっかけは何であれ、研究を通して人間、社会、
ひいては宇宙の真理を発見しようと邁進している人々である。だから、
その結果、政治権力にとって不都合な学説を発表した学者が政治的弾圧を
受けた例は枚挙にいとまがない。
天動説が常識であった時代に「地動説」を発表したガリレオ・ガリレイが
17世紀のイタリアで弾圧された話は有名である。我が国でも、大日本帝国憲法
の下で「天皇機関説」を唱えた美濃部達吉東大名誉教授が貴族院議員を辞任
させられた話は有名である。このような歴史的背景があって、1946年に
制定された日本国憲法の23条は学問の自由の不可欠の前提として、そこには
当然に「大学の自治」が含まれていると理解されてきた。だから、どのような
学生に入学を許可するか、つまりどのような入学試験を行うかは、憲法上
各大学の自治事項とされてきたのである。にもかかわらず、公正性のない
民間の営利企業に大学入試を丸投げする・・
などという、大学の自治の根幹に関わる問題だけに、大学界からの当然な
抵抗を前にして、法律、予算、人事で文科省を支配している与党議員が
文科省に対して東大を「指導」することを要求するなどということは、
憲法23条に照らしてあってはならないことである。
このような知性に欠ける政治権力者たちが文明国日本を破滅に導いてしまう
のではないかと心配である。
p23 安倍代議士の「「嘘」を見逃すな!
2020年2月12日の衆院予算委員会での辻元清美議員との質疑で、
安倍首相(当時)は聞き捨てならない本音を漏らした。それは、自衛隊を
合憲化するために憲法に自衛隊を明記する。・・という首相の改憲案に
対して、辻元議員が「ならば、その改憲案が国民投票で否決されたら、
自衛隊は違憲となるのか?」と質問したことに対する回答である。
首相曰く、「必要な自衛権のための措置を取りうることは国家固有の
機能として当然のことで、(自民党の)改憲案が否決されても自衛隊が
合憲であることは変わらない」
確かに国際法上は、日本も独立主権国家として、侵略を受けた場合には
固有の(つまり先天的な)個別的及び集団的自衛権を持っていることは
認められている。(国連憲章51条)。しかし、その権利の行使を自らの
憲法で自制することは各国の自由である。
その点で我が国は、第二次大戦での敗北を反省して、憲法9条2項で、
(自衛)戦争に参加する国際法上の条件である「軍隊」の保持と「交戦権」
の行使を自らに禁じているユニークな平和主義国家なのである。
したがって、自衛隊を戦争用の「軍隊」とみなすことは違憲になってしまうので、
65条の行政権の一部「警察権」のうち、警察庁と海上保安庁の能力を超えた事態に
対応する権能を担う機関であると自衛隊は位置付けられている。そして、警察には
海外で戦争を遂行する資格は無いので、集団的自衛権の行使(他国に援軍として行くこと。
つまり海外派兵)は禁止され、これが政府自民党の今でも公式の立場である。
これは「必要最小限」の自衛権とも言われている。
この限界を突破すべく、阿部自民党は2018年に「必要な自衛のための自衛隊を
保持する」という改憲案を党議決定した。つまり、現在の「必要、最小限」の
自衛隊から「最小限」を外して海外派兵を可能にする案である。だから、
これが否決されたら論理的には現行憲法9条2項に違反する海外派兵の違憲は
確定する。 (‘中略)
p29 改憲派の嘘と無知
私たちが常識として共有している「憲法は国家権力を縛る法」だという定義
について若い女性が、「その定義は中世の国王の絶対権力を縛るための
定義」で現代に通用するものではない。・・」と言い切った。しかし、
中世の国王は「神」の子孫を自称し、一切の法的規制を受けなかったから
「絶対」であったのだ。それが、米国の独立で、世界で初めて本来的に不完全な
「人間」が国家権力を担うことになったので、以来、権力の濫用を防ぐために
「憲法」という新法域が発案されたのである。さらに彼女は、憲法は国会に
法権を授ける規定のように、「国家の権力に根拠を与えるものである」と
主張した。しかし、憲法の中の立法権の規定は、憲法典全体の中で、
三権分立と人権を侵害しない限りで立法は許される。・・と「制限規範」として
読むべきものである。改憲・護憲論争に参加する者は、法と政治、歴史に関する
常識は共有していてほしい。
p31 嘘を並べた改憲扇動が着々と進行している
産経新聞の報道によると、2018年11月19日に山口県下関市で開かれた長州「正論」
懇談会で、ケント・ギルバート氏が「自虐史観と憲法改正」と題して講演した。
そこで氏は、憲法9条について「いざという時に国民の生命を見捨てることを
国に強制している、憲法9条こそ憲法違反だ」と指摘していたとのことである。
しかし、この一文は実は3つの嘘で構成されている。
第一に、政府・自民党の確立した見解によれば、憲法9条は「緊急時に国民の
生命を見捨てろ」と国に命じてはいない。確立された政府見解は、大要、
次のものである。
❶我が国も、独立主権国家の自然権(だから条文上の根拠は不要)として、他国から
侵略された場合には反撃する自衛権を有する。
❷しかし、9条2項(戦力不保持、交戦権不行使)により、「必要・最小限」の自衛行動
しか出来ないが、それは出来る。
❸だから、必要最小限の実力としての自衛権を組織し、専守防衛の方針に従って運用
している。
❹さらに、日米安全保障条約により、日本が費用を負担して米軍に基地を提供し、
いざという時に米軍に支援してもらう体制も整えている。
第二に、「生存権(憲法25条)とは、「生活保護受給権」のことであり、生命権
(13条、31条)とは全く異なる権利概念である。
第三に、「憲法9条」も憲法法典の一部である以上、それが「憲法違反」になる
ことなど、理論上も法学的にもありえない。
このように、「嘘八百」としか言いようのない暴論を振りかざして、(米国カリフォルニア州)
「弁護士」がまるで「専門家」のような顔をして、好意で集まった自民党シンパの人々をいわば
「洗脳」して歩いている。この現実を看過してはならない。
こうして、「洗脳」され、「囲い込まれた」人々は、最近では、私などの話を「どうせ護憲派の
変な話だから」と言って、聞くこと自体を拒否する傾向がある。だからこそ、改憲派対護憲派
の垣根を越えた「まともな」内容の公開討論が急務である。今こそ護憲派から挑まないと
手遅れになる。
以下略
********************************************************
🦊: この本の帯に「法破壊、民主主義破壊をやめない自民党は、もはや保守ですら無いのだ!」
とある。保守とは正しい歴史認識をもって、良きものを発展させて行く立場のはずである。
そういう意味で、|「いま、権力を私物化して大衆に対する責任感を無くした政治家が「保守」
だとは思えない。私の知る保守派は、知的で礼儀正しく正義感と他者への思いやりがあった。
だから、真の保守派の人々こそ、誇りを持って今の政治を叱り飛ばすべきである」という小林氏の
言葉に、自分も保守であるキツネは心から賛同する。
そして、人権が分からず、嘘と無知の「国家宗教」に簡単に騙されてしまう自民党シンパ群に
呆れて、例えばアラーの神の教え「女は子を産む以外に取り柄なし」に逆らう男はほとんどいない
というアラブの政権と遅れた男社会に対する軽蔑の念も、幾分薄れた気がする。(家に帰れば
奥方の尻に敷かれている亭主も案外多いらしいし)彼らと我が日本人とどう違うのか?
男だけでイワシ団子のように群れているうちに、大きな悪魔のような大魚のエサになって
しまうのさ。何が「文明国で民主主義の大国でござい!」だか。
1月31日