ロシア人、非ロシア人
ドミトリー・トレーニン著 「ロシア新戦略」より
p290 人口動態と移民
最後の統計ではおよそ2億8600万人の人口を
抱えていたソ連は、・・(ヨーロッパ大陸では
中国、インドに次ぐ人口を保ち)・・
第一次大戦では600万人、その後の内戦では
300万人、それに匹敵する数の難民が発生した。
1921年から85年までの政治的抑圧は500万〜
550万の生命を奪い、これに加えて300万〜
450万人の農民が自らの土地から追放され、
シベリアその他の地へ流刑に処された。第二次
世界大戦は、ソ連では2600万の犠牲者を出し、
それまでの凄惨極まる記録を凌いでしまった。
これらの人為的災害がなければ、国の人口は、
1990年代末までに4億人に達していたに違いない。
ソ連解体で、人口は物理的に半分になったが、
旧ソ連諸国の全人口を足しても、世界全体の`
わずか5%に過ぎない。ソ連解体当時は1億
4700万人であった人口は、20年で500万
以上も減った。・・
国際連合による中位推計値は、ロシアの2050年の
人口をわずか1億1600万人としている。このような
予測はあまりにも悲観的といえるが、そこに示され
ている傾向は、ロシアの指導者にとって控え目に
言っても心配の種となっている。
人口減少は、本書のポスト帝国主義論を支える最も
説得力があり、明白な論拠の一つである。ロシアは
もはや拡張するどころか縮小しており、その度合いも
早まっており、その中に暮らす人々の1991年
以降のモットーは、生き残る、という単純極まるもの
であって、ロシアは生き残ったが、姿形は以前と
似つかないものとなった。・・
例えば、人口減少は、大幅に縮小された軍を充足
させる徴兵を召集することさえ困難にさせている。
人口危機は、かつてロシア人に与えられることの
なかった自由を、ようやく彼らが享受、習得するように
なった時代にあって、戦争や政治的抑圧の欠如した中で
表面化したのである。今日のロシア共産主義者たちは、
ご多分に漏れずソ連の崩壊を非難し、また保守主義者は
1990年代の自由化政策を咎める。しかし、実際のところ
今日の危機の起源は、より深く、また広いところにある
ーーすなわち、ソ連末期に遡り、また先進国の多くとの
交わりの中に見出せる。(中略)
p293 人口危機
人口減少に関する限り、ロシアのみがその筋道を辿って
いるわけではない。大半のヨーロッパ諸国でも、低い
出生率のため人口減少が記録されている。ロシアの
出生率の低下はより劇的なものであった。
1976〜91の15年間で、3500万人が生まれたが、
次の15年間はわずか2230万人の出生、率として4割近く
の下落を記録した。現在のロシアの出生率は‘、単純再生産
に必要な数値を60%下回っている。
ロシアの事態を他の国々よりも一層深刻にさせている
のは、非常に高い死亡率である。1990年代の初頭以来、
およそ200万人が毎年亡くなっている。ロシアの死亡率は
ヨーロッパのどこよりも高く、比率にしてアメリカの2倍、
または世界の平均を50%も上回っている。その主たる要因
として、アルコール依存症、喫煙、健康への無関心の広まり、
無謀な行為、そして最近では麻薬乱用の拡散が挙げられる。
(ソビエト福祉国家の解体後、たかが知れてはいたが、その
医療サービスの質は地に落ちた)そのため、ロシアにおける
男性の平均寿命は13.5年下がって58.9歳に落ち込み、女性に
ついては現在の平均寿命は7.4%下がって72歳となっている。
・・高い死亡率と低い出生率の組み合わせが、「ロシアの
十字架」として知られている。
確かに、ロシアは近い将来にわたって、ウラル山脈以西の
ヨーロッパで最大の人口を擁する国であり続けるだろう。
国連の2050年推計値がロシアの人口を1億1610万人と
する一方、イギリスは7240万人、ドイツは7050万人、
フランスは6770万人と見込まれている。かつてソ連は
より小さな国々にとってガリバーやゴジラのような存在
であった。今やロシアの人口は、EUの人口の4分の1
をやっと超える程度となっているのである。
ロシアに更に近いところでも、アジア中心部の諸国の
総人口は、ソ連崩壊の折、ロシアの規模の4分の1を
いくらか超える程度であった。今やそれは5分の2程度と
なり、2030年には元の人口のほぼ2倍の規模となる。
このことが、国力あるいは貧困層の増加、土地や水の
権利あるいは越境する移民をめぐる国内紛争、更には
国際的論争や諸外国の参入といったさまざまな事態を
引き起こす。ロシア政府がかつての国境地帯へ一層の
関心を向けることを誘発したのである。(中略)
ウラジミール・プーチンは、大統領就任以来、ずっと
人口減少に注目してきた。しかしその一連の人口増加
刺激策の効果は不十分であった。2006年に経済活動
人口は、1980年半ばから後半に生まれたベビーブーム
世代の参入が手伝って、3.2%増加した。しかし、これは
最後の機会であり、今後このような増加は見込めないと
予想されている。生産年齢人口の減少は、経済成長を
抑制すると見込まれている。また、ロシア人口の高齢化は、
生産年齢人口(現在は7800万人)の全人口に対する比率を、
65%から59%へ減少させることになろう。
以上のような傾向を相殺すべく、いち早くプーチンは出生率
上昇を意図して構想された一連の経済政策を打ち出した。
繊維、冶金、木材などの産業分野における労働力不足は深刻
であり、海外からの労働力の移入なしに解決することは困難
である。ロシアが必要とする外国人労働者は1500万人、
すなわち現在の人口の1割以上となると有識者は見積もっている。
(即ち、西側のスペシャリストに対し、労働許可発給の簡素化
など、これまでと違った施策が必要となる)。
p299 ロシア系移民の帰還
ソ連解体の直後より、かつて国境に面していた新興の独立国
から、600万人以上の人々がロシア連邦へと移動した。そのうち、
160万人は公式に難民あるいは国内避難民として登録された。
彼らの6割はロシア系住民である。
流れが逆転したのである。ロシア系住民はいわゆるロシア
中央部ーーおよそ中世のモスクワ大公国の領域ーーから拡張
する国境地帯へと移動を続けてきた。北コーカサスの平原や
山裾に、太平洋へと至るシベリア全域にわたって、中央アジア
やバルト海における都市区域の中で、その他各地で彼らは
根付いたのである。ロシア系住民の、当時すでにソ連構成
共和国であった外域への移動が最高潮に達したのは、
1960年代のことである。70年代以後、ソ連内部の人口移動
の方向は反転し、結果としてーーソ連最後の20年間でーー
実質250万人がロシア共和国に流入した。
(ソ連の解体直前直後、民族の結集が、各共和国共通の
風潮でもあった。1190年だけをとってみても、15万の
ウクライナ系住民が本国に帰還し、更に続く10年間で20
万人以上がその跡を追った)。
但し、1991年12月時点で、ロシア連邦の国境の外側にいた、
2500万とも2600万とも言われるロシア系住民の大半は、
その場を動かないことを選んだ。凝集性の高いウクライナや
ベラルーシでは、彼らは自動的に永住権を受け取ったーー
これはエストニアとラトヴィアを除く、旧ソ連各地で守られ
た施策であったーーだけでなく、そこで暮らすことに安心感を
持ってもいた。非常に重要なことだが、ベラルーシは、
1995年の国民投票で、ベラルーシ語と同列にロシア表記を
行い、ベラルーシ語の優越性を事実上封印した。多数の
ロシア系住民が生活するウクライナ東部および南部では、
キエフでの散発的なウクライナ語化キャンペーンにも
かかわらず、ロシア語は依然支配的である。キエフそのもの
も、住民の大半はウクライナ系であるにも関わらず、
主としてロシア語が交わされる都市である。
カザフスタンでは、独立後に出国した300万人の多くが
ロシア系ないしは他のスラヴ系住民であった。資源が牽引
する同国の経済的ダイナミズム、ヌルスルタン・ナザルバエフ
大統領による、賢明な少数民族保護政策、そしてロシア語が
引き続き広範に使用されていることに恩恵を受け、ロシア系
住民の大半は留まり、更に若干はカザフスタンに帰ってきた。
混乱を極め、発展度も低かったロシアは全く魅力的に映らな
かったのである。
かくして、「分断されたロシア民族」というナショナリズムに
おもねるスローガンは、虚に響いた。ロシア人が総じて強烈な
民族意識を備えているとは言えない。彼らが帝国としての
「500年」から学んだ教訓とは、大事なのは国家であり、
幾度となく更新される民族的諸要素と絶えず一体化してきた
人の群れではない、というものだ。共産国家の全体主義的な
本性は、社会が横に広がるつながりを完膚なきまでに裁断され
たまま原子化するよう着々と仕向けてきた。この状況を劇的に
変えたのが、1991年の国家解体であった。予期せぬ国家の消滅
を生き抜いて、人々は自分自身に注目し始めたのである。
ロシアの国境を越えた場所であろうと、あるいは国内に居ようと、
彼らはいかなる土地にあっても国民形成などは二の次で生き
ながらえてきたのである。付言すれば、ソ連が解体し、かつては
厳格に閉じられていた国境が開かれてからというもの、およそ
300万人の旧ソ連市民が海外に居場所を求めて出国した。その
内訳を見ると、アメリカへ行った者だけでも100万人近くに上り、
またそれに匹敵する人数がイスラエルへと向かった。彼らのうち
100万人がロシア連邦出身者であると推測される。地球規模で
広がるこの数字は、1918〜21年の内戦期並びにその後に国外へ
流出した、いわゆる白系ロシア人の亡命者ーーおよそ300万人ーー
と比較することができる。20世紀初期とその末期の双方で、
完全に国を見限った者の多くは高度な教育を受け、十分な素質を
備えていた、質的に替え難い人々であった。ロシア連邦だけが
旧ソ連諸国の例外ではなかったことは言うまでもない。ウクライナ
は人口のおよそ1割、グルジアはほぼ2割を移民の流出によって
失ったが、彼らの中には西側を目指すーー選りすぐりとは言い難い
もののーー最も優秀な階層も多く含まれていた。
新独立諸国のロシア系の帰還者が、西側への人材流出で開いた
穴を埋めてくれるのではという期待は、各所で虚しいまま引き摺ら
れている。「帰る」ことを望まざるをえない人々は、立派で手ごろ
というには程遠い住宅事情、限られた経済、社会的な機会、そして
概してロシアの役人や世間一般がとる彼らを見下すような態度のために、
ロシアでもまた抑圧されることとなった。
ソ連終焉から20年を経ても、ロシア以外のCIS諸国(旧独立国家共同体=
ロシア連邦、ウクライナ、など14カ国)から本国へ向かうことになる
ロシア系移民の数はおよそ400万人と見積もられている。連邦消滅
から10年以上経っても、ロシア政府は移民に対する方針を何ら持ちえて
いなかった。ようやく現在、政府はこれに本腰を入れようとしている。
2006年になってロシア政府が示した定住プログラムは、今のところ
失敗に帰している。2007年と2008年になってロシアへの定住を
決めたものは、3万から5万人という当初の期待に反してーー更に3年間
で30万人を呼び込むという途方もない願望があったことはさておきーー
その数はわずか9800人にとどまった。この弱々しい流入の管理も
お粗末極まる。ロシア極東は、移民の定住によって最も恩恵を受けるで
あろう地域の一つであるが、定住プログラムを導入して最初の2年間で、
わずか20世帯を呼び寄せたに過ぎなかった。
仮に潜在的な移民候補である400万人のロシア系住民全員が本国帰還を
決めたとしても、ロシア経済における労働力不足の問題を解決すること
にはなるまい。彼らを導き入れ、望ましいあり方へと調整する、配慮
の行き渡った施策の展開が求められている。
p303 移民と統合
ソ連時代には皆無、また帝政時代にもわずかな移民しか居ないとされて
きたこの国は、この数年間で移民の地に変貌した。・・
しかし、新規のロシア連邦永住者並びに国籍取得者の数は、ロシアの
労働市場での高い需要に引き寄せられてきた移民労働者の数に遠く
及ばない。・・ロシアの移民労働者のおよそ5人に4人は非合法の
移民と考えられる。
移民送出国の中でも、ウクライナ(人口4500万人)は早くから頭
一つ抜け出ていた。2000年代半ばの時点で、推定100万人の
ウクライナ国籍者が、主に同国東部の地域からロシアへと押し寄せてきた。
当時、彼らの中で公式に登録を済ませた者はわずか24万5000人に
過ぎなかった。だが、この著しく大きな数も、主としてウクライナ西部
および中央部からEU諸国へ働き口を求める300万人という数字と比べて
見なければなるまい。・・
その他のデータによれば、2008年にはウクライナからの移民労働者の
およそ40%がロシアに出かけているが、これは出稼ぎのためにポーランド
とチェコを訪れたウクライナ人(それぞれ19%、17%)を合算した数に
匹敵する。これらの労働者からの仕送りは、年間総計50億〜70億ドル
となった。
EUに行った労働者たちはロシアで働くより稼ぎが良いものの、言葉の壁を
超えねばならない。ヨーロッパはまた、ロシアの場合と比べて高学歴の
移民や、EU域内に永住を希望する移民を引き寄せていた。(中略)
ロシアの労働力需要は非常に大きい。当分の間、その需要の大半は新東欧、
南コーカサス、中央アジアからの移民によって充当されうる。しかし、
過去20年にわたって、ロシアへ向かう移民労働者たちの資質は悪化の
一途を辿っている。学歴は一層低くなり、大半は小さな町や村の出で
貧困度も悪化している。宗教、言語敵意は、彼らをますます一般の
ロシア人から乖離してしまった。(この人材を十分に活用するには、
ロシア政府は大規模な移民招致策を打ち出すべきである)。
このプロセスは既に進行している。
1990年代を通じ病的なまでにタガが緩み、2000年代初頭には
不必要なまでに厳格となったのち、2007年、ロシア政府は
概してリベラルな移民法制を採用した。これは、原則として良い
仕組みであるが、施行段階となると評判は悪くなってしまう。ロシア
の役人連中や警察は、移民たちをロシアから追い出すことに躍起と
なる。下院議員たちは事あるごとに仕送りによるカネの流出について
騒ぎ立てている。2009年には186億ドルに達し、ロシアはアメリカ、
スイス、サウジアラビアに次いで世界第四位の仕送り金流出国と
なったと言うのである。実際には、外国人労働者たちはロシア人自身
がしたがらない仕事をしているのである。・・
それよりロシア人が心配すべきなのは、ロシアにおける移民の高い
流動性である。1250万人中1100万人、つまり88%の移民が母国に
帰還するが、これはドイツでの32%、フランスでの25%、そして
アメリカでのわずか6%といった数字とは対照的である。移民の受け入れ
以上に、ロシアには彼らの統合に向けた政策が求められているのである。
またロシア社会としては、蔓延する外国人嫌悪の風潮を克服し、移民に
対する寛容と理解を広めて行く必要がある。また、反移民感情が
高まっており、「ロシア的ファシズム」の亡霊を再び蘇らせているので
ある。
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🦊: ここまではロシア新戦略の「良心」に触れて、どうかその望みが
実現するようにと、願わずにはいられない。
しかし現実は、この本にも書いてあるように、「ロシア的ファシズム」の
亡霊が再び蘇り、プーチンは国営テレビを通じて「亡国の怨嗟」を国民の
心に吹き込み、己の戦争犯罪を正当化しようとしている。
国連の安全保障理事会とは、何の役に立つのかねー?と聞いてみたくなる。
安全とは、保障の限りにあらず、と言うことが、このたびよーくわかった。
何かが足りないか、まちがっているに違いない。
「戦争は誰の得にもならない」とは、言いやがったねー。「俺のとこが
勝てば、俺の得さ。だから戦争はやめられない」と思ってるくせに。
しかも全員だ。
2022 4 11