ヤモリの朝帰り





キツネの門灯の中に、寒い冬中、間借りをしている

ものがいる。ヤモリ君。

朝6時ごろ、朝帰りの彼はレンガの隙間から

よっこらしょと這い上がり、寝に着く。


アクリルガラスの中の小さな住処。

去年は、水場のバケツの中で、幼い

3兄弟が、もがいて溺れそうになっていた。

(一体、ヤモリが溺れるなんてことがあるか?)

バケツの水ごとコンクリートにぶちまけてやったら、

一瞬コチンと固まったが、すぐに急いで逃げ出した。

ヤモリがどうしたって?

カエル:ここの庭の主人公、キツネはここ1ヶ月も姿が見えないぞ。

ヤモリ:*心臓弁膜症で手術だってさ。

カエル:ほほー、ほほー、なんとなんとね。


病院のベランダから。今日はすばらしい夕焼け。


キツネの手術は成功したようだ。

 

ヤモリ:ほほー。めでたい。

 

     ほたるぶくろ・オオバギボウシ、  ほうきギク、嫁菜、ネジバナ、アザミの葉・夏の小さな庭

ヒメジョン
ヒメジョン



ほうきぎく

北米から来た菊。白、うすむらさきと、色あざやか。ひめむかしよもぎ

に似たほうきのような体型。

雑種も多いようで、花期も6月から10月まで、いつでも咲いてるようだ。



梅雨明け。雨上がりにくっきりと明るいネジバナが。
『普遍的価値を問い直す』    佐伯啓思

7月1日      朝日   「異論へのススメ」より


 🧖‍♂️: 国民国家と帝国原理

        混沌とせめぎ合う今

        己の矜持が試される。


      

  🦊:  どんな異論かじっくりきいてみよう。
    
         かく言うキツネも、保守のはしくれとして。



🚶🏾‍♀️🙍‍♂️:   1。ウクライナ戦争は日本人にとって
                     
                     どう言う意味をもつのか。

                    ゼレンスキー大統領の国際世論への訴えや

                    メデイアが報じるウクライナ市民の悲惨な

                   映像により、「西側」は即座にウクライナ支援

                   を表明し、次のように主張した。「これは、


                  自由や民主主義、人権や法の支配を奉じる

                  国際社会に対する攻撃である」と。


                ロシアが侵略したのは、ウクライナだけではなく

                「秩序ある国際社会」だと言うのである。

                 「西側」とは、今日のグローバリズムを支える、

                  自由、民主主義、主権国家体制、市場経済等の

                 「普遍的価値」を共有する国家群を指す。


                   日本も米国と共にこの普遍的価値の共有を

                  常々主張してきたからには、ウクライナ支援を

                  表明するのは当然とも言えよう。(戦後日本の受けた
          
                 秩序ある国際社会からの多大な利益を考えても)

                この秩序を守るのが日本の国益でもあるという。

                😥;  この理屈はわからなくはないが、わたくしは

                少し躊躇する。それと言うのも、上に挙げた西側の

                諸価値は本当に普遍的なのか、と言う疑問を拭えない

                からだ。

                主権国家体制は17世紀、宗教戦争後のヨーロッパの

                大混乱の中で生み出された。宗教戦争を終わらせるには

                王国であれ、共和国であれ、それぞれの国家に主権を与え、

                その間の勢力の均衡をとるほかはなかったのである。

                 ここに国際関係が成立する。

                 (その後、多くの国は民主的な政治を確立させ、個人の権利、

                  経済活動の自由も保護された。それは共通の民族を基盤とした

                  国民国家や市民社会の形成でもあった)しかし、この現象は

                 あくまで「西ヨーロッパ」に特有のものであり、ロシアには

                 国民国家も民主主義も成立しなかった。帝国型の国家は、

                 主権を持った国民国家という概念とは相容れない。ロシアにとって

                 主権を持つ国民国家の併立というよりも(ソビエト連邦にみるように)

                 自己の勢力圏という概念の方がわかりやすいだろう。これは冷戦後の

                 今も変わらない。

                 😔;しかも問題はアメリカだ。米国を国民国家と呼ぶのはむずかしい。

                  いっぽうでそれは、ヨーロッパの啓蒙主義の産物である、個人の自由、
                  
                   平等、人権、法の支配等の理念を引き継いだ。しかしまた米国とは
                    
                   あくまで諸州の連合であり、もともと独立していた諸州が相互の

                   同意と約束によって強力な中央権力を生み出したのである。

                   そして、この同意と約束によって仲間を増やしてゆくという

                   連邦の原理をそのまま拡張すれば帝国的原理になる。つまり、

                   「同盟国」を増やしてゆくことで、米国は緩やかな「アメリカ帝国」

                    的世界を形成することになる。実はこれは、共和制のローマが帝国化

                   してゆくやり方であった。

                 😠;もちろん人は言うだろう、「自由や民主主義が普遍的価値であることは

                  自明だ」と。だが話はそれほど簡単ではない。自由や民主主義や人間の

                 権利の具体的形態は、かつて18世紀英国のエドマンド・バークが述べた

                ように、各国の文化によって違っている。にもかかわらず、あたかも

                  普遍的な自由・民主主義なるものがあるとし、その世界化にこそアメリカの

                  使命をみるがゆえに、米国は「特殊な国」なのである。しかもそれを「歴史の

                  目的」だと言い、米国の使命を妨害する者は人類の普遍的価値に対する敵と

                  見なされる。ここにユダヤ・キリスト教の千年王国論やメシアニズム(救世主信仰)

                  のこだまを聞くのはただの空耳であろうか。そして」この種の歴史観を対テロ戦争に

                   強力に打ち出したのが、「ネオコン」と呼ばれる知識人グループであった。ネオコン

                   にとっては、グローバリズムとは、アメリカ帝国の完成に向けた思想運動なので

                   ある。秩序ある国際社会とは、普遍的価値を掲げる米国による世界秩序の形成

                   を意味している。・・それよりも、ロシアにせよ、アメリカにせよ、また中国

                  にせよ、その帝国的な振る舞いが、グローバル世界を舞台に露骨に鎌首をもたげて

                  きた。西欧さえも、EUの形成、拡大によって、主権国家の枠組みを超えた価値観の

                  普遍化をはかっており、これもまた一種の帝国化の方向と言ってもよい。しかも

                  やっかいなことに、今日、国境を越えて世界に広がった金融市場を、巨額の資本が

                  利益をもとめて徘徊する・・



          👨‍🦲:    2   国を守るとは、何をまもることなのか。

                     ウクライナの多くの市民は、自由や民主主義のためにたたかっているわけではない。

                     生命、財産のために戦っているわけでもあるまい。戦争の背後に何があるにせよ、

                     眼前に出現した自国への理不尽な侵略、自国の文化や己の生活の理由なき破壊に対して

                    命をかけようとしているのだろう。そこにあるのは、理不尽な暴力に屈することを
    
                   よしとしない矜持であろう。福沢諭吉的にいえば「独立自尊」である。

                    

     (今日の記事はここまで。その矜持とは?)



*******************


🦊 :   キツネの独り言;    ここまでの現状認識にはおおむね賛成。

さて、独立自尊には金がつきものだ。富国強兵とはそう言う意味

なんだから。福沢諭吉先生は、その点にはふれてないのだろうか?


                   






                

ヤモリ君ご在宅のしるしに、床に散らばるうんち。

🦊 : きつねのせっかち:  佐伯さんの論文の続きをまって、

         独立自尊と、日本を守ることとのかんけいを

         探っているひまはなくなった。
        
         (石原莞爾にしても、その明友  渋沢栄一にして

         も、列強に倣ってアジアの一部を武力で制圧し、

         植民地化するという、そこまでの手順については

         何の反対もしていない。(西欧に倣え)そして、

         軍部の功績を認めつつ、「できるだけ早く軍部の

        勢力を一掃し、政府が然るべき政策(アジアはひとつ、

        極楽浄土を目指して、西欧の支配を一掃)を実行に

       うつすべき、だといった。あるいはぼんやりと夢見た。

       福沢に関しても、その「対アジア政策が、独立自尊と

       どのようにリンクしているのか」または経済抜きの

       独立自尊とは、富国強兵とは違った矜持のみちなのか。

       といった疑問がでてくる。・・



      🥶 🍭事態は急変、「ロシアのウクライナ侵攻直後から、

      防衛産業をめぐり世界の目はおおきく変わった。

      人や地球に優しい企業への投資こそが、持続的な利益を

     もたらす・・・・・ESG投資=環境や社会、企業統治に

      配慮する企業にお金を振り向けるのが「ESG投資」だ。

      防衛産業はタバコやアルコール、ギャンブルとならんで、

     「シンストック(罪深い銘柄)」としてあつかわれ、

      金融界で投資を手控える流れが強まっていた。株主の

     短期的な利益をあまりに重視した結果

    地球や社会を痛めつけたとの反省から、この数年間で

    急拡大。マネーの流れがモラル(倫理)の観点から

    見直され、資本主義のありようを変えつつあった。

7日     朝日    「  試されるモラルマネー   」 より抜粋ーー`🫙🫔🍭

   ドイツ銀行の調べでは、欧州の上場投資信託(ETF)のうち、

    兵器関連に投資していないものの比率は、15年の約3%から

    21年には12%に上がった。投資マネーで進んだ「脱兵器」

    それを一変させたのが、2月のウクライナショックだった。

     兵器業界はここぞとばかりにロビー活動を強める。

      独仏など欧州6カ国の業界団体は3月、「防衛産業なしに

      サステナビリテイーは実現できない」とする共同声明を

       だした。ESG が様々な形で兵器産業を「差別」してきたと

       批判。「問題のある基準のせいで、欧州の安全と戦略的な

      自律性に貢献すると言う社会的な役割を果たすのが難しく

      なっている」と訴えた。・・視線の先にあるのはESG投資の

      対象としてふさわしい経済活動を分類する欧州連合のルール

    「EUタクソノミー」をめぐる議論だ。・・

       兵器産業はどう扱われるのか。諮問機関が作った昨年7月時点

      の原案には、タバコなどと共に一律に「社会的に有害」とする

      選択肢も挙げられていたが、今年2月の最終版では消えていた。


     3月の欧州理事会では、「防衛産業の民間資金へのアクセスを

      助ける手立てをとるべきだ」と合意文にもりこまれるなど、

     位置づけが変わりつつある。リストをめぐる綱引きが激しさを

     増している。・・・・

****************

🦊:   キツネのまとめーー1943年にパールバックは、こう述べている。

「そうなれば、(世界規模の人種戦争が始まれば)私たちはとりわけ

白人男性のために途方もない規模の闘争と戦争だけの将来に備えな

ければなりません。(数においては圧倒的に優勢で、技においては私
 
たちと互角の有色人種たちを抑えるために。最も野蛮で残忍な

類の軍備によって埋め合わせなければならないでしょう。私たちは

超兵器を準備しなければなりません。巨大な規模の化学戦にひるんでは

なりません・・・・・これは、どんな人間が望む未来なのでしょうか。」

(当ブログーキツネ国戦記参照)

キツネは、パールバック女史こそは人類の将来を見通せる眼と、揺るがぬ

信念(矜持と言うならいってもよい)の人であるとおもう。何故なら、

現在、ウクライナ大統領の訴えはひたすら「もっと兵器を、敵を上回る

殺傷力を我らに与えよ!」であり、ウクライナを愛する彼の愛国心は

その陰に隠れがちだ。「平和を願う」日本国民にも、すわ、軍拡の好機!

とばかり、軍事予算増額と憲法改正へと喚く声が聞こえはじめた。

「サステナブル」とは、日本語では「経済の現実」を如何に操って

向こうの角を曲がれるか、それだけのことだ。軍産共同の先にどういう

結果が待ち受けていたか、それについての「正史」を未だ持たない国

は、日本、アメリカ、中国、ロシアなどなど、そこらじゅうにある。

パールバックは白人男性対その他のサルの世界戦争を予想したが、

現在爆発しつつある世界戦争の正体は?

「金儲け」と「出稼ぎ」のバトル、それも兵器の果てしない能力向上と

セットになった。そこではもはや人間の将来なんて、「老いぼれの妄想」に   

ひとしい。・・そんな世界を誰がのぞむだろう・・・

確かに表向きは、白人対サルとは言わないかもしれない。金持ち国が、

仲の悪い隣人の土地を奪うため、(昔ながらの地政学なんぞを持ちだし)

内戦を起こさせて、その一方に傭兵をおくり込む。

その傭兵は、別の貧乏国から。長引く内戦によって更にからっぽになった

国内には水も食糧もなし、まともな政府さえ無し、男は働き口を

求めて外国の傭われ兵士となる。故郷に飢えた妻と子供たちを残して。

戦争は金で買い、弾薬庫にはオドシのための核兵器をたっぷり

貯め込み、地下資源を商売道具に友好国をあつめ


白人が非白人の逆襲を恐れた、のどかな?時代は過ぎ去って久しい。

噂を聴いたサルたちは怒っているだろう。「人間を地球から追い出せ!」

「人間て、死ぬまで働いて、戦争のために蓄えるのだそうだ。バカな

やつら!!」と。

パールバックは正しい予言をした。しかし、日本の世論は「サステナブル、

さすてなぶる、やっぱり富国強兵!」なんだからなー。

サルに会ったらハズカシイ


きつね🦊;     以上で矜持についての話は勝手に終了。福沢諭吉の

独立自尊説がどのようなものであったかは、

安川寿之輔       著    「福沢諭吉のアジア認識」高文研刊   2000年

にくわしい。




ギボウシの成長はゆっくりだ。5月の若葉、6月のなんとも初々しいつぼみ、

7月になってやっと薄紫の小さなラッパが花ひらき、そのころには

葉っぱが黄色くなりはじめ、夏の終わりをつげる。
🦊:   キツネの世迷言

年寄り狐のブツ草(金にはならない、役にも立たない雑草のような)

を聞いてほしい。

いまから50年後の世界を想像してみてくれ。もちろん、現在の

世界よりも一段とススンデおる。テレビの特集によれば、

最近の夜空には何万という飛行物体が飛び交い、互いの動きを

監視しているが、一部の衛星から、内臓されたある物体が

放出されたのが観測されたという。いうまでもない、攻撃用

ドローンだろう。このままでいけば、宇宙戦争に備えて

空はみっしりと兵器で埋まり、日は陰って地球温暖化はとまり、

カラスもすずめもいなくなる。

このドローンは宇宙人を倒すためじやない、(宇宙人はまだ

地球に到着していない)標的は人間同士だ。

こんな空の下で、まともな暮らしができようか。・・・

サステナビリテイ(持続可能性)とは、現状に継ぎ足し、増築

してゆく建築法(田舎の旅館や、財政難の病院みたいに)なので、

50年後の予想図などはいらない。その予想図を明確に描くのは

政治の責務だと、軍需産業および科学者はいう。で、政治家は

50年後の市民生活を描く代わりに、「今ここにある危機」の回避

のためと称して「軍備増強」をあおる。元々財布の主である国民は

どういうわけかこれに弱い。それ、宇宙防衛だ!と、意味も分からず。

50年後の地球が、空軍の支配するボウフラだらけの池みたいに

なっても、俺は知らないからな!


と言ってる間に、ロシアはISSから脱退して、独自の宇宙ステーションを

建設するといいだした。中国はすでに完成間近だとさ。

科学者さえ国政に逆らって、「我々は同じ地球人だ。なんで敵味方に

別れることがあるか!今までだって、仲良くやってきたじゃないか!」

と言えないのはなぜか。これまでは各国民の税で賄われてきたものが、

今は民間資本にたよるようになりつつあり、宇宙で儲けるため

通信網整備と保守にとどまらず、更には自国の独占支配を何としても

実現したい。・・と来て、そうだ!戦争という手があった。ギリシャ

のむかし、「戦争こそ我らが父」と言ったじゃないか。・・

てなわけで、何世紀ものあいだ、戦争の無い時はなかった。

それにしても21世紀の戦争は、20世紀の戦争よりも

もっと破廉恥で無慈悲なものとなる。残念ながら。🙀🙈😱☠️😱⚛️


🦊:  朝日新聞      8月3日    核に脅かされる世界に
      
        「国籍問わず全て奪われる」  より

🖋 :  森重昭さん(オバマ氏に抱きしめられた被爆者:85歳)


原爆の話は過去の話ではなく現代まで続いています。

ウクライナで大変な戦争が続いていますが、自分の体験から

言って、あれは何を意味しているかよく分かります

人が次々と亡くなっているけれど、みんな家族がいるんですから、

僕が長年苦労して探した被曝米兵の家族のように、その家ではずっと戦争が

続く。

広島の己斐(こい)で爆風に吹き飛ばされ、まさにキノコ雲の中にいました。

1時間ほどして「黒い雨」が降りました。僕は雨に

当たって痛かった。そして寒かった。ぼくはたった1発の原爆にやられた

けれど、これから戦争が起こったら、何十発、何百発の核がいっせいに敵に

向かって発射されるかもしれない。

(米国の天文学者)カール・セーガンは「核の冬」という本を書きました。

みんなは「おおげさだ」というけれど、何がおおげさかと。

あれは真実です。世界中で核が次々と爆発して、放射能を浴びたものが

どんどんチリになって上空から降りてくる。真冬のような気温低下が

ずっと続いて、人間が生きていられないような環境が出来てしまう。・・

オバマ大統領と会ったとき僕は、米国人の遺族を探したことを思い浮かべて

涙ぐみました。そして、遺族は僕よりももっと大変だったのだ、と

考えました。自国の兵器によって命を落としたわけですから。

核兵器はほかの兵器とは違います。夏だったのに寒いとか、雨が痛かった

とか。それが今、決定的に違う規模で起こりうる時代です。だからこそ

ぼくは誰よりも警鐘を鳴らしたい。人種も国籍も問わず、核というものは

全てをうばいます。敵も味方もないのです。(聞き手:編集委員・副島英樹)
  




🦊:    以前、当ブログの「東條英機と天皇の時代」で、カニバリズムを実践した頭のおかしい

 将校の話をのせた。。その時はこう思った。「これが皇軍の姿だな。相手を人ともおもわない。

日本人以外は人間にあらず。世界で一番エライのが日本人。ほっといても勝てる、強い

軍は日本軍。硫黄島は落ちたが、わが国は敗北を予測すらしない。してはならない。

だが、沖縄を死守するつもりもない。だから、こんな遠隔地の離島で他に誰も望まぬ

との理由から、とかく悪い噂のある人物を将校として送りこんだ」


この戦争の末期、ゴロツキみたいな中堅将校や、その手足となる古参兵が生き残った。

彼らは沖縄の住民を守ることはせず、洞窟に呼び集めて、集団自決を強いたり、

若い学徒兵を爆弾に括り付けて空や海に放ち、体当たりで敵機や敵艦を爆破するという、

およそ普通の人のあたまには浮かばない、気狂いじみた一計をあみだし、それを

大本営はおおまじめで採用し、実行した。だれも負け戦の責任はとらず、オキナワは

いまだに「独立」できておらず、日米綱引きの道具に使われている。

きつねも「例外ではないが」、ある有名政治家のいう「沖縄のことについては

わたしはよくぞんじあげないんですが・・」で長い年月のあいだに、「オキナワ

伝説」みたいになってしまっている。

さきごろ手作り銃で命を奪われた元首相は、つねづね憲法改正、堂々の軍備、

富国強兵を念願としていたようであるが、改正憲法の下で、無責任に

アメリカ追随政治をくりひろげ、そして戦争に巻き込まれ・・と


キツネは心配していた。だから、国葬とはとんでもない!


7月15日

j
菊の季節がやってきた。

まずはヨメナ。ヒョロリとした茎の先の薄紫の花は、

よく見ると、変に整いすぎる栽培種にはないバラけた美しさがある。

芽摘みを繰り返した大きなダンゴみたいな小菊に興味はない。

だから、肥料は年1回、芽摘みも5月末に1回のみ。

嫁菜は昔からあった。雑草に紛れて所々に顔を出していたが、

根ごと植え替えてみて、案外枝張りもよく、雑草扱い

は勿体無いとおもった。嫁菜という名もいいじゃないか!


7月末




盆踊りのために、公園は丸坊主。やっと生き残ったのは

アカバナくろーばーとほうきギクと、白い鉢売りの菊が

野生化したのがポッチリ


きつね🦊:   新聞記事で本1冊読まなくても良くわかるのがある。🐕🦉🦉🥥

側近が見た 昭和天皇の苦悩=陸軍からの情勢報告

「戦争の結末考えているか」     より抜粋

2022年7月24日    朝日新聞

☕️太平洋戦争中に、昭和天皇を軍事面で補佐する侍従武官を務めた

旧陸軍軍人の坪島文雄(1893~1959)日記の公開が、国立国会図書館

憲政資料室で始まった。戦況が悪化し、「軍による報告内容への

信頼性がゆらぐなか、天皇が苦悩する様子が記されている。



坪島は広島県出身。日中戦争に参戦し、参謀本部や陸軍大学校教官

などを歴任。少尉だった41年9月に侍従武官に就任した。

蓮沼蕃・侍従武官長に次ぐ立場で、軍の報告を天皇に取り次ぎ

北方や南方の激戦地に赴いて天皇の言葉を伝えた。45年4月に

陸軍にもどり、 8月の敗戦は師団長として九州で迎えた。

日記は2021年に遺族からノート13冊などが寄贈され、今年

5月27日から公開された。侍従武官時代の記述がある日記は9冊。

表紙に「服務の参考」などと記されている。宮内庁書陵部が

昭和天皇の生涯を記した「昭和天皇実録」の典拠資料にはなく、

原本の公開ははじめてとなる。

44年3月27日の日記によると、天皇は後宮淳・参謀次長の

報告を聴いた後、蓮沼武官長を呼び、質問した。

「世界全般の情勢がしだいに悪化してきたところ『我が国は

しっかり頑張り通せばなんとかなる』と言っているように

聞こえる。がんばることに不同意はないが、国をさいごの

土壇場まで追い込むことは、戦後の国の回復を困難にする

だろう。戦争の終末について十分に考えているか」

蓮沼武官長は恐縮し、「(東條英機)首相は戦争の終末を

どうすべきかについて常に苦慮しているとぞんじます。

しかし直ちに責任を持ってお答えするのは難しい」と

答えた。

昭和天皇は41年12月の開戦前、「戦争終結の手段を

初めから研究しておく必要がある」と説いていた。

東條首相は天皇を説得するため、陸海軍に「戦争終末促進に

関する複案」をまとめさせ、41年11月の大本営政府連絡会議で

国策として決定し、開戦に踏み切った。米海軍を撃滅し、

中国の蒋介石政権を倒し、ドイツがソ連と講和して英国を

倒せば、米国が戦意喪失し戦争に勝てるとの筋書きだった。

44年の天皇の質問は、開戦前のもくろみが外れて苦戦が続く

中、どのように戦争を終えるかをただしたものだ。

昭和史に詳しい作家の保坂正康さんは、「東條首相や軍部は

勝つことしか考えず、不利な状況で戦争をどう終わらせるかを

検討していなかった。見通しなく戦争を続けることに天皇が

苛立つようすが坪島の日記から伝わってくる」と解説する。

山田朗・明治大教授(日本近現代史)によると、坪島の日記

には、軍が天皇に戦争の状況を報告した「戦況奏上」の内容が

記されている。「戦況奏上の文書は終戦時に大部分が破棄された

とみられ、海軍の一部以外殆ど残されていない。坪島の日記は、

天皇が軍から得ていた情報の量や質を知るため貴重な記録だ」という。


『軍の能力低下 報告スカスカに』

開戦後しばらくは、日記に記された報告内容も詳しい。

ところが、「43年ごろから報告がスカスカになる」

と山田教授。「軍の能力が急激に低下し、報告からデータの

信頼性が失われていくことに、天皇も坪島も気づいていく様子が

わかる」

44年8月19日の最高戦争指導会議で天皇が「りっぱな計画が

出来ても実行が遅れないように」と述べたことを坪島は記した。

さらに自身の感想として、「種々の計画を立案しても実行が遅々

として進まず、いたずらに戦機を逸する例が多いのを遺憾に

思われた結果と拝察」とも書いた。

日本が降伏する半年以上前の45年2月8日。坪島は日本には勝ち目が

ないと見越し、事実上の敗因分析を日記につづった。

「今回の大東亜戦争最大の教訓は、政略が戦略を左右し、統帥作戦の

純真性を汚毒したこと。陸軍部内の空気が特にそうだった」と自身が

所属した陸軍の幹部らを批判。「緒戦で奏効するのは当然だ。敵の

備えが不十分のところを奇襲するためだ」「敵の反抗にあって、戦況が

急迫を告げるのも当然だ。 彼我の国力、戦力に格段の差があるからだ」

とも記した。

山田教授は坪島について、「当時の軍人にはありがちな精神主義に

陥らず、冷静に軍の問題点や失敗した点を分析していた」

と見る。

北野隆一・編集委員


🦊:  7月27日   朝日新聞

「寄宿学校問題  教皇がカナダで謝罪」  より

ローマカトリック教会のフランシスコ教皇が

25日、訪問先のカナダで、先住民の子供達の

寄宿学校運営に教会関係者が関わったことに

ついて「深く後悔している」と謝罪した。

カナダでは同化教育の一環として、先住民の

子供達が強制的に寄宿学校に住まわされ、

「白人」として教育を受けた。学校の約七割は

カトリック教会が運営し、神父や教師らによる

暴力や虐待などが報告されているほか、約六千人の

子供達が死亡したとの推定もある。2021年には、

複数の学校跡地で多数の子どもの遺体が発見され、

さらに注目が高まっていた。ーー

🦊: 寄宿学校での体験を語った人によれば、先住民独自の

国語を使うのを禁じられ、いわゆる「白人文化」を押し付け

られ、違反したといっては体罰を受ける、それだけでなく、

男女を問わず、聖職者や教師の性欲の餌食になっていた

という。そして、証拠隠滅のため、殺されて埋められたという。

たとえば、クマさんの日常は雄が単独で暮らす。牝は一人で

子育をしなければいけない。それだけでなく、何時も子供を

父親の目から遠ざけて置かなければならない。なぜなら、

このお父さんは、小さな我が子を可愛いともなんとも思わず、

殺してしまうのだ。かくいう人間様も、この頃は特に育児放棄が

めだつ。とうの昔から、子殺しも強姦も、神にも社会にも許されぬ

大罪として、禁じられてきたというのに、いっこうになくならない。

いっぽう鳥の世界では、お相手探しのためにはダンスはおぼえる、

化粧はする、腕っ節を磨いて、競争相手を追っ払う。雌のOKを

もらうために、必死で。


だが、人間の性欲は、誰かに好かれたいためではなく、自らの

増殖のためでもなく、一種の「縄張り維持行為」として雄の体内に

埋め込まれた(例えばワンちゃんの雄が電柱を相手にするように)

仕掛けなのかもしれない。この縄張り維持という項目は、

善だろうか、悪だろうか?

法皇様は「悪じゃ」と仰せある。兵器業者は「大いに好ましい」

とか言う。

「縄張り争いは良くないから止めよう!」なんて為政者が言う

わけがない。兵器産業はサステナビリティー第一位だから。

おまけにGDPアップの立役者だから。「戦争に勝者はいない」

などと哲学者マインドで述べる政治家がおるが、自分が戦争を

煽っておいて、洒落臭い。「俺のところだけが勝てば、俺が

勝者さ」とおもってるだろ。


ソ連崩壊ののち、ウクライナは、国内に貯め込んだ核兵器を

残らず手放して(ロシアの入れ知恵に決まってる)自国防衛の

ための中立政策をとった。ところが、突然ロシアが攻め込んできた。

「あの核兵器がいまここにあったら!中立政策は間違いだったのでは?」

の声がウクライナ国民のあいだに上がったのは当然だろう。


「脅しのための核保有」、これがクマさんの乱暴や南洋の鳥の派手な

パフォーマンスとちがうところ。最後には人類のみでなく、生き物全てが

地球から居なくなるにちがいない。🌚💧🔥💥⚛️

男の性欲と「縄張り維持願望」を一緒にするとは不届きと?

なぜって、戦争が解放する、全人類共通の悪い楽しみか、ご褒美

として毎度登場する常連だから。それに、現代では「ロボット兵器」

というのが加わった。そうなると、痛みは敵の兵士のみに与えよ。

・・だから、敵からの反撃はなかったことになっている。

核爆弾の使用によって受ける被害は敵側のみ・・てなノーテンキな

予想がまかり通る。「原爆による同盟国の被害は、風向き次第」

だそうな。


クマさんの子殺しの意味は、単に雄グマの「あかし」として

強調されたものだろうか?しかし雌グマの側にも好き嫌いはある

だろうし、今育てているこどもを守るため、人家近くに住んで、

人間によるクマ狩りをあてにしている雌グマの例もあるという。


人間の母親も、我が子をオスの餌食にされないように、手を繋いで

行動を起こすべきなのかもしれない。

🦊も声を大にして叫びたい

もう沢山!男が我が子を食い殺す戦争はやめよう!


8月1日



日本は本当に「核共有」に向かうのか?

覚悟すべき“最悪の事態” 2022年8月9日


(YAHOOニュース)より  筆者:サーラ・スヴエン



“ドイツでも「核共有」の再考を求める声“

🖌では、このところ日本でも提唱されている

「核の共有」とはどのようなシステムなのだろうか。

核共有とは、NATOとアメリカが行なっている核兵器

管理システムを指す。

アメリカの核兵器を同盟国に配備し、その同盟国が

他国から侵略を受けた時に、その核兵器で反撃すると

いうもので、現在、ベルギー、オランダ、イタリア、

ドイツ、トルコの5カ国が自国軍の基地にアメリカの

核兵器を保管している。

ただ、使用は配備国の独断では出来ず、アメリカ大統領と

配備国の首脳間の合意が不可欠となる。また、アメリカ側が

使用を決定すれば、配備国はそれを阻止できない。


私の母国ドイツがアメリカとの「核の共有」に踏み切った

のは東西冷戦が続いていた1953年のことだ。ソ連軍の

西側への侵攻に対するリスポンス(危機時の対応)として

採用された。

ドイツは核弾頭を搭載できるミサイルを保有していない

ので、有事にはB 61と呼ばれる戦術核(敵軍の自国領内への

侵攻を止めるため、戦場単位で使用できる比較的威力の

小さな核爆弾)を戦闘機に搭載し、至近距離から敵軍(ソ連軍)

のターゲットに投下するシナリオになっている。


軍が自陣営の西ドイツ領内で核兵器を使うことは日本の人々には

理解しにくいことかもしれないが、当時は東ベルリンにソ連軍基地

があり、有事にはそこから強力な戦車部隊が西ベルリンに侵攻

することが予想されていた。「核共有」とはそうした現実的な

有事への対応として練られたシナリオだったのだ。

今では旧ソ連に代わり、ロシアがcNATOの仮想敵国になっている。

そうなると、NATOとロシアの紛争が戦争へとエスカレートした場合、

ドイツの操縦士が戦闘機に搭載した核兵器をドイツ領内に侵攻した

敵軍だけでなく、ロシアの軍事施設あるいはロシア領内の市街地に

投下するというシナリオも浮上する。本来、こうしたシナリオは

ロシアによる核兵器使用への反撃に限る場合のはずだが、「使用を

前提としてこそ抑止たりうる」という核抑止力の論理を考えるとき

こうした危険な作戦が現実味のある一つのシナリオであることを

誰も否定できないだろう。


しかしドイツの操縦士がロシアに爆弾を落とすというのは、はたして

現実的な作戦なのか、とても懐疑的だ。ドイツ国内の現実主義派が

このような危険なシナリオにて議論することを拒否するのは、

こうした懐疑論の存在をよく理解しているからだろう。


現在、ドイツ政府の軍拡ムードは驚くほどの盛り上がりを

見せているが、「核共有」の再考を求める声は今も連綿として

あるということを知って欲しい。実際、私も「核共有」がもたらす

悪魔の事態を幼い頃から考えざるをえなかった。

私は冷戦時代の西ドイツで生まれ育ったが周囲には多くの米軍基地

があり、そこには核弾頭を搭載したミサイルと戦闘機が配備されていた。

第三次世界大戦が勃発すれば、私の住む地域もソ連軍の核攻撃の対象に

なると覚悟したものだ。


冷戦当時の1983年に製作された「The Day After」という核戦争の

恐怖を描いた映画も身近に迫った危機感を助長したが、「あくまでも

映画の中の話であり、現実になることなんてないさ」と自分に言い

聞かせながら鑑賞した記憶がある。幸いにもソ連の崩壊により

東西冷戦は終了し、それ以降、核戦争はまた映画の世界の話になった。


“3度目の核攻撃のリスクも”

🖌:  では、もし日本が「核共有」に踏み切ったらどうだろうか。

日本の場合、航空自衛隊の操縦士が核弾頭をF35に搭載し、

「敵国」に想定されている国に投下することになるが、はたして

現実味のあるシナリオだろうか。ドイツ同様、私にはとても非現実的

な軍事作戦に見える。更には自衛隊の基地に核を保管すれば、その

基地は間違いなく仮想敵国のターゲットになる。そのリスクが

ありながら、基地周辺の住民から「核共有」への同意を得ることが

現実的な話なのだろうか。

日本は広島、長崎と2回も核攻撃を受け、その威力の凄まじさを

知りぬいている。「核共有」を受け入れれば、米軍の基地とその

周辺は3度目の核攻撃にさらされるリスクを負うことになる。

その冷酷な現実を受容するだけのコンセンサスが得られるとは

とても思えない。


ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)は最新の報告書で今後、

数年間で各国の保有する核兵器が削減どころか、むしろ増加

すると予測している。「核戦争が現実味を増している」と警告

している。にもかかわらず、「核共有」を支持する現実主義派は

なぜ、核戦争の現実についての議論を拒否し続けるのであろう?

その理由ははっきりしている。核保有国同士による核戦争では

どちらも勝つことができず、勝てない戦争を考えることは「現実主義」

の理論に合致しないからだ。また、抑止力を期待される核兵器が

一部の独裁政治体制に対しては役目を果たさないことに気づいた

こともあるだろう。

6月下旬、ウィーンで開かれた「核兵器禁止条約(NAT)第1回締約会議」

に、日本はついに参加しなかった。

ロシアと対峙するNATOですら、ドイツ、ノルウェー、スェーデン、

フインランドといった国々がオブザーバーとして参加していることを

考えれば、核兵器の全廃を目指すこうした国際会議に被爆国である

日本の参加がないことは残念としか言いようがない。

東アジアも緊張が高まっている。日本国内でも軍事予算の倍増、

「核共有」を含めた核保有を求める声は日増しに多くなるばかりだ。

しかし、こうしたきな臭い状況だからこそ、緊張緩和に繋がる政策を

想像できないだろうか。このままでは世界に広まる外交の軍事化、

政治議論の軍事傾斜がエスカレートするばかりだ。

こうした軍拡への流れを変えるために、「平和国家」日本だからこそ

できる役割を追求すべきことがあるのではないか。ドイツの地から

日本に思いを馳せつつ、そう思い悩む日々を送っている。


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🦊:  「核共有」と聞いて、日本人は、またアメリカのお世話になって、高価な

おもちゃをタダで使わせてもらう、そして敵(この場合中国)に勝つ!バンザイ!

などと相変わらずのお人好しぶり。

共有の中身がどんなものか、ドイツの先輩の言うところによれば、「核兵器の使用

は・・配備国の独断ではできず、・・アメリカ側が使用を決定すれば、配備国側は

それを阻止出来ない」という。あなおそろし。


投稿者のサーラ・スヴェン氏は上智大学国際教養学部教授

2016年より現職(日本近現代史)

YAHOOニュースでの、読者の感想は、「わかりやすい」というのが

多かった。🦊もそう思う。