例えば後述する中国中央テレビの調査報告によると、山東省のある村の
結納金は「3斤3両」(1.65キロの100元札=約10万元)、「一動一不動(イードンイープドン」
(動くクルマと動かない家)、「万紫千紅一点緑(ワンズーチェンホンイーデイエンリエ)」(紫色
の5元札1万枚、赤い100元札千枚、緑の50元札少し=6万元強≒120万円)と歌のように
語呂合わせになっているのが基本という。併せて16万元(320万円)もの大金にのぼる。
現金の他にも家と車が必要で、さらに伝統的な金銀の装飾品や服を贈る地域もある。
ここで、農村発展と格差について少し見てみよう。「経済成長している間は、社会に
不公平感や格差があってもある程度は我慢できます。ただしそれは成長が持続することが
前提であり、成長が止まったときにパイの奪い合いが始まります」と厳善平・同志社大学
教授が指摘しているように、これまでは自分の足元では右肩上がりだったため、都市部との
比較では悪化する格差の矛盾が許容されてきた感が強い。問題はそれが止まったときだろう。
結納金に話を戻すと、中国全土で内容や額は様々だが、一つ共通する点は、男尊女卑の
封建的風習が色濃く残り、辺鄙で貧困な地域ほど結納金が高騰している点だ。反対に(地図参照)
重慶市のように経済が発展した地域は、後進地域(例えば20万元の新疆ウイグル自治区)よりも
ずっと安い。また、個人の経済状況を比較すると、富農の方が、一般的農民の家に嫁ぐより
結納金が少ないのだ。90年代から中国の農村開発に関わっている農村開発専門家は「貧困地域
には女性が嫁に来たがらないので、その分、結納金を高くするしかない」と説明する。
貧困農家の結婚に際して、結納金がこのように高騰している今、彼らの取りうる選択は、
無担保で借りられる民間の高利貸しから大部分を借金として借り入れるか、、結婚を諦めて
「光棍児」(男やもめ)として独身を通すしかない。依然、非常に古い観念が生きている
伝統的な農村社会においては「失格」家族や「失格」息子の烙印を押されて生きることを
意味する。
p142 中國の貧困農村の昨今
中國の驚異的な経済発展の影響は確かに農村にも波及している。今では、インフラ整備が
急速に進み、県の中心地の生活条件は飛躍的に改善された。どんどん空港や高速道路が開通
していったが、それにより、それまで早朝に出発しても丸一日かかった少数民族県中心市まで
の移動が、たった3時間で済むようになった。交通の便が良くなると経済作物の販路が広がり、
出稼ぎも便利になり、農民の現金収入は目に見えて増えた。上手に観光資源を売り出した県で
は、観光業なども飛躍的に伸びた。ただ、問題はそこから丸一日かからないと到着しないよう
な
本当に辺鄙な農村だ。(それまでの貧困農村への投資の数倍はかかるので、政府の支援も
及ばない)こうした村の空洞化は激しい。20年前でさえ、農村に行っても会えるのはすでに
じいちゃんばあちゃんと子供たちばかりだった。
冒頭で触れた王さんのように、子供は両親に預けて都市部へ出稼ぎに来ている労働者は
2億9251
万人にも上る。王さんも今でこそ、地元で高校を中退した次男が北京に出稼にに来
たので、初めて親子で一緒に暮らせる様になったものの、それまでは祖母に預けっきりで、
年に数回会うだけの家族生活を、送ってきた。しかし、貧困農村に居残っても現金収入が得
られる可能性は非常に少ない。
一方、都市部の労働力は彼らに大きく依存している。廉価で瞬時に運んでくれる宅配やフード
デリバリー、常に駐輪場所を人の手で移動させる必要のあるシェアバイク管理員の他、コロナ
ウイルス対策で北京の町中の道、マンション、商店、モール、学校の入り口に24時間体制で
配置された警備員やPCR検査人員など大量のブルーカラーの仕事はすべてこうした農村からの
出稼ぎ労働者によって支えられている。彼ら無しではデジタル化された便利な都市生活は動か
ない。
p146 なにが結納金を高騰させたのかーー男女人口のアンバランス
中国の農村部では一家の血を継がせるために男子を産まなくてはならないという
封建的な家族観がまだ残っている。ただ、こうした男尊女卑の考え方は、数千年に
わたって存在してきた要因なので、初めて起きた結納金の高騰を説明できない。
その要因はやはり中國の一人っ子政策にある。中国は人為的に人口を抑制する目的で
一組の夫婦に原則1人の子供しか認めない、「一人っ子政策」を1979年に実施したが、
これは当然のことながら農村部では強い抵抗を受けた。農村部では当時も「跡継ぎは
絶対に必要」という伝統的観念が強かったからだ。その後、第一子が女子や病気持ちの
場合などに、2人目の出産が許されるようになると、男子2人の子供が理想型となり、
男兄弟2人の家族が増えた。
もう一つは医療技術の進歩により、90年代後半には超音波診断技術が農村部でも普及し、
確実に早い段階で女児を間引くことができるようになったことである。
2015年の非公式の統計によると、中国の人工妊娠中絶数は年間で1300万人に上り、
年間出生児総数を上回る。そしてその多くが女児であった。
2021年の国家統計局のデータによると、20年の中国男性総人口は7億2141万人、
女性は6億8836万人だ。結納金高騰の原因は男女の人口バランスの不均衡以外にも、
金銭至上主義の浸透が挙げられる。数値ですぐに「嫁の価値」が 比較可能な結納金は
多ければ多いほど本人にとっても、嫁に出す家にとってもメンツが立つ。中国中央テレビ
のドキュメンタリー番組で、山東省でも村の誰かが結婚するという話が出ると、まず
みんなが最初に聞くのは、「いくらで買ったんだ?」という質問だと紹介している。
せまい農村社会の中で誰の結納金が多かったという「メンツ競争心理」に火がつき、
それが結納金の高騰を招いているという。また、土地や家への縛りが男性ほど無い
女性は、農村を離れて都市へ移入しやすい。女性の安い出稼ぎの増加が、もとから
少ない農村部の女性人口の減少に輪をかけているという。
p156 億ションも当たり前、世界一高い中国の不動産
中国の不動産価格は1991年以降、リーマンショックなどの例外を除き、ずっと
右肩上がりで上昇を続けている。「すべての土地は公有」と位置づけられている
中国では、土地の売買は「所有権ではなく、40年、70年など一定年数の「使用権」
の売買という理論で説明される。つまり、実質的には公有ゆえにタダで得られる土地
を地方政府は第三者のデベロッパーに売買し、そこで生じる莫大な収入は自分の財布
(財政収入)に入れる。地方政府がが安い補償金と引き換えに住民を立ち退かせて
土地を開発し、デベロッパーに売却すればその収益は政府のものになるのだから、
地方政府にとって土地開発は文字通り魔法の金のなる木だ。本来、経済運営の
審判であるべき政府が、土地開発においては最も儲かる主力プレーヤーでもあり、
一人二役を担っている。デベロッパー、金融業者と並んで地方政府は、住宅価格の
上昇によって利益を享受する側にいる。
p161 住宅改革ーー住宅と結婚が繋がったわけ
「社会主義」の中国では1998年の住宅改革までは、都市部の住宅は公用で、国が
費用を補償していた。就職もその頃までは、指導教官が大学卒業の際に各学生の
就職先を割り振る(分配)か、それ以外は、親や親戚などのコネを駆使して自分で
就職先を見つけて就職するものだった。就職後は北京に家がない場合は、勤め先
の組織(単位)が独身用の狭い質素な部屋を提供した。そして結婚したら二人で住める
もう少し大きめの部屋を用意してくれるというのが、一般的な社会主義の住宅分配
システムの流れだった。それが、98年になって「勤務先はこれまでの様に個人に
住宅を分けてくれないことになるらしい」という衝撃的なニュースが流れた。当時の
雰囲気は、「明日はもっとよくなる」という高揚感に溢れていた。住宅改革と共に、
それまで想像も出来なかったような広くて明るいマンションが、お金さえ出せば庶民
の手に入るようになると、その夢のような可能性にうっとりしたものだった。
こうして全国一斉に一大不動産ブームが起こる。
2000年に北京市の中心に当たる東海第二環状道路沿いにあった筆者の15階の家の
窓からは、見渡せる限りの全ての方位にビルの工事現場のクレーン車があっちにも
こっちにも見えた。
2002年ごろの北京は浮き足立っており、友人と会うと食卓でみんなが交わす話題は
ただ一つ、「家買った?」「1平方メートル当たりの価格はいくら?」こればかりだった。
そして、周りの友人たちは「当然!」とばかりに次々に家を買っていった、こういう時
の判断力と決断力は中国の人には及ばない。波瀾万丈の人生を伊達に歩んではいない。
日本でノホホンと育った筆者と違い、彼らはこの台地で生きるための嗅覚が発達して
いる。この当時、北京で暮らしていた日本人で経済的感覚を持って中国人のように
動いた人はごく一部だった。例えば、当時、約650万円で買えた70平方メートルの
部屋の購入情報を得た筆者は、北京が好きでよく遊びに来ていた東京在住の日本人に
勧めたことがある。中国のマンションは100平方メートル以上の大型が主流で、この
手の「小型な」物件は希少で人気だった。数ヶ月待たされた後に運良く購入する権利を
得たが、「買えるけど、持っていても無駄ね」と知人は言い、結局その購入は放棄して
しまった。その部屋は今や15倍以上の金額に高騰している。
また、そのころ「こんなに市の中心から遠いところに家を買ったのか?」と思った知人
の家も、北京市がどんどん外に向けて開発され、拡大するに従って、今では決して
「遠く」の部類ではなくなった。北京市は1996年には市内の環状道路と言ったらまだ
城壁を取り壊して作った第2環状道路しかなく
第3環状(全長48キロ)を工事中だっのだ。
それが、第4環状(2001年、65キロ),
第5環状(15年、薬100キロ)、09年には走行距離188キロの第6環状道路まで広がって
行った。山手線一周が34.5キロだから、その増植のスピードと規模の大きさを想像して
いただけるだろう。地下鉄も同じだ。02年に北部郊外を半円形につなぐ13号線が開通
したのを皮切りに、北京の地下鉄は爆発的に発展し始める。現在は27本、783キロの
地下鉄、電車網が複雑に絡み合い、1日当たりの利用客数は847万人に上る。
(東京メトロの全走行距離は195キロ、利用客数は522万人=2021年)
p176 結婚と家の束縛
自由恋愛の歴史は世界史的に見ても実は長くはなく、日本でも、一般化したのは
戦後かもしれない。同様に、中国の結婚も長年本人の意思によらず、親が家と家の
関係の中で差配する極めて封建的なものが支配的だった。初めて全ての若者に結婚の
自由や男女平等の原則が保障されたのは、1949年の建国翌年の50年に定められた
「婚姻法」においてである。それまで、将来嫁にする幼い女子をもらって婿の家で
使用しながら養育する「童養 媳」(トンヤンシー)や一夫多妻、幼児期に双方の親が
結婚相手を決める「請負結婚」(中国語で包弁)が、中国では子孫存続の手段として
当たり前の習慣とされてきた。トップダウンで突如実施された同法とそれまでの
地元で親しまれた慣しの間には大きな溝があり、変革は容易ではなかったようだ。
例えば、農村の幹部には封建的な村の秩序に対する挑戦と捉え、抵抗する者もあった。
さらに、女性が自由に結婚し始めることを恐れて、同法を村民に秘密にする幹部さえ
いたという。政府は全国の村々で3年にわたる「婚姻法」キャンペーンを実施し、
婚姻法の周知と徹底に努めたという。現在90歳代の男性は、「僕のような幹部以下の
人は恋愛は許されなかった。だから、皆(闇x)地下工作をしていたよ」と話す。
1966年文革がはじまると、結婚も含めて全ては革命のためと位置づけられた。
結婚は「積極的に革命闘争に参加するため」のもので、二人は毛沢東に結婚を宣言
して「革命家庭」を設立することになった。(結婚も離婚も党への申請が必要で、
そこで承認されないと勝手には出来なかった。ちなみに軍や重要な政府部門の
党員は今でも、結婚に関して組織に申請が必要だ。「結婚申請書」のサンプル
としてネットにはこんな申請書の雛形が掲載されている。
-
「私は誰々で、XXと結婚を希望しています。XXは政治上、思想上安定しており、
国を愛しており、党員でもあります。私はXXと何月何日に知り合い恋愛関係を構築
し、相互に理解、信頼し感情の基礎は強固です。恋愛は長期にわたり思想は成熟して
います。相互の協議を経て、家族の支持もえてXXと結婚を希望します。組織の批准を
ここに願います」
p184 夫婦証明なしではホテルの宿泊も不可能という保守性
中国では十数年前まで「男女が(ホテルの)同室を利用する場合には、結婚証明書
を提示」というルールが現役だった。これは法律としては成文化されていないが、
そもそもは外国人に見られたら「みっともない国の恥」と認識されていた
売春を取り締まるのが目的だったという。
筆者の友人の話ーー1988年に上海のホテルの出口で彼女の大学の同級生の中国人
女性が、外国人男性と出てきた際に、売春容疑で警察に捕まり、大変な騒ぎに
なったという。当時彼らは普通の成人として男女交際をしていただけだったが、
取り調べで未婚男女の同室宿泊という「重罪」を逃れるために、「婚約者」と
主張。知りあいなどのコネも総動員して寛大な対処を得て、警察からは釈放
されたものの、「ならば、即結婚を」と求められ、二人は電撃結婚をして出獄
せざるを得なかったという。そのくらい、中国社会の男女関係に関するルールは
保守的だった。ちなみに今では中国でホテルに宿泊する場合は、すべての人の
身分証明書(外国人の場合はパスポート)の提示とその場で本人の顔写真の撮影
(顔認証)が義務づけられている。ホテルによって読み込まれる顔認証と個人
データは瞬時に政府と共有される。荷物検査もある。ホテルに泊まるだけ
なのに、まるで入国検査さながらの厳しさだ。すべてのホテルのフロントに
設置された専用機から読み込まれる顔認証と個人データは瞬時に政府と共有される。
今は、写真付きの結婚証明書などという牧歌的な証明書どころではない。誰がいつ、
どんな風に部屋に入ったかわかるよう死角なくホテル中に設置されたカメラと、
泣く子も黙るビッグデータ監視網がホテル内を含め全国の施設に張り巡らされている。
p243 おわりに
中国が未曾有の速度で経済発展を実現できたのは、結果主義や競争主義を基礎とした
世界共通の合理主義が、中国に骨太で篤い情緒や「明日への情熱」と結びついて爆発
したからかもしれない。この間、人々は「急いで」がむしゃらに合理的に成功を目指し
疾走してきた。それが過去二十数年の中国の社会経済シーンだった。特に大きな変貌を
遂げたのは結婚だ。近年の中国では収入、住宅、職業、学歴、老後保障、メンツなど
あまりにも多く物を詰め込んだ結果、一部では結婚は合弁会社設立のファミリー・
プロジェクトに変質しつつある。少子化についても然りだ。合理的にうまく「勝ち組」
に育てようとするあまり、子育てを辛く苦しい生活負担へと変質させてしまった。
しかし、恋愛や結婚、子供を育てるという情緒的な人間の営みを綺麗さっぱり合理的
に還元できるのだろうか?そもそも、幸せとは自己肯定や優しい気持ちが通い合い、
心が満たされる情緒面での充実感を意味しているのではなかったか?
また、恋愛は理屈では説明できないが、不思議に素敵な行為のはずだ。これらは、
合理的な数値には表れないが、人間が生きてゆくための原動力であり、また我々の
人生を豊かにしてくれるものではないだろうか。
また本書は政治面には立ち入っていないが、非民主的な体制による弊害が大きい
のは言うまでもない。多様性を欠く画一化された価値観とそれに基づく過酷な競争は
焦慮や閉塞感を生み、感覚を麻痺させ、忖度し平気で嘘を語る「優等生」しか許され
ない窮屈な社会に創造的な未来は無い。
合理主義自体は世界共通の価値観だし、中国を特殊な国として他者化する見方は
分かりやすく、手軽かもしれないが、決して有益ではないだろう。このことは、我々と
中国が望むと望まざるとにかかわらず、中国の若者も中国自体も既に、世界と繋がり
会っていることを意味している。いくら「長城」を築こうとも、中国を世界から切り
離すことは不可能だ。
2022年に起きた突然のゼロコロナ体制崩壊劇はそのことを如実に語っている
ように思う。今回の振り子はこんな風に振れた。トップは市民の期待に反し、10月
下旬の第20回中国共産党大会終了後もゼロコロナ堅持を宣言したので、全国の
地方政府は「ゼロ堅持、感染者を出すな」と全市民PCR 検査による感染者、濃厚
接触者の洗い出しと、大規模隔離を断行した。しかし、オミクロン変異株の
感染スピードは驚異的で、隔離対象者は全国で億単位に膨れ上がったとも言われて
いる。そして11月下旬、首都北京はゴーストタウンと化した。全寮制の大学生は
引き続き構内で隔離され、小中学校もレストランも閉鎖され、バスから乗客が消えた。
この3年間、飲食店、映画館や小規模の商店の多くが地元の管理部門から口頭や
グループチャットメッセージで営業停止を求められた挙句に倒産。からがら生き残った
住民にとっても日常が戻る気配は一向に見えない。
lp
そうした中で11月末に起きたのが、一連の抗議活動だ。若者を中心とする市民が
自然発生的に、地方政府やその末端組織の乱暴で終わりの見えないゼロコロナ政策と
その管理に対する不満を唱えたのは確かだろう。「よくぞ言ってくれた!」スマホの
画面に見入りながら心の中で彼らに拍手喝采を送ったのは筆者だけではなかったはずだ。
そして、この間デモから2週間も経たないうちに、一滴も漏らさなかったゼロコロナは
「最適化」の名の下に一夜にして決壊。激流に呑みこまれるように、街中に設置されて
ーいた通行者を検問するバリケードと24時間体制でスーパーやマンションなどあらゆる
入口に設けられたデジタルPCR 証明の検問所が消えた。次の瞬間、今度は北京中が
「全員コロナ」の海に投げ出され、8割とも言われる人々がクリスマスの2週間前から
次々とコロナに感染。筆者も家族と周囲の大多数の友人と同時に感染し1週間の床に
ついた唯一今でも心配なのが高齢者だ。
誰もそんなことは説明してくれないが、幸いにも中国は既に世界の一部だ。世界と
シンクロ
してサッカーを楽しみ、経済は無視できない。世界がウイズコロナに移行する
中で、中国だけが無菌空感を貫くことは不可能だった。力任せに続けたゼロコロナ体制
の突然の崩壊は、
中国が世界と一体化していることをまざまざと我々に見せつけた
出来事だったように思う。
そして、中国と世界を繋いでいるのが若者たちだ。若いイタリア在住中国人の
ツイッター情報が、抗議活動でも大きな役割を果たしたと聞く。中国の若者たちは徹底
して英語を勉強しており、海外文化や情報収集には敏感だ。彼らは世界中で全方位に食指
を動かしており、世界のトップレベルを走るチャイニーズITの隆盛はその表れの一つ
だろう。ところが、そうしたシン・中国人を横目に今のトップは街でこれまで普通にあった
英語名やクリスマスの飾り物も禁じるほどに内向きで排他的な政策を鋭意展開中だ。
中国の若者はノンポリかもしれないが、世界と同期しては自分の生活を楽しみたいと思う
点では、海外の若者と何ら違いはない。本書で見てきたように、孤独に悩みつつも、心
暖まるp恋や結婚に憧れる気持ちも全く同じだ。
激しい歴史を経て、政治的な智慧と五感が極度に発達している「中国」は、14億人を包む。
集団名詞になるとその場でコワモテの政治ばかりに光が当てられやすい。しかし、それは
多面的で扱く複雑な中国が見せる一側面に過ぎない。本書が急速に変わりゆく
シン・中国人の生きたイメージを提供し、同じ現代を生きる人間として、「ここから先」
を共に考える一冊になることを願っている。
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🦊 2021年前半に生まれた「タンピン(真っ直ぐ寝そべる)」という言葉について、
斉藤さんはこう述べている。日本では「寝そべり族」と翻訳されているタンピンは、
「がむしゃらに内巻きに巻かれるように頑張る」という意味の「内巻」(ネイチュエン)に
対する受身の逃げだ。過度な競争を避けて、必要最低限の生活を楽に送ることを意味する。
大人は上から目線で、若者が「寝そべり」を必要と感じる現実の息苦しさを無視しようと
するが、若者が言い得て妙なりとつかう流行語には彼らの真実が反映されている」・・・と。
日本の若者の現状にそっくりではないか。
ところで、シン・ゴジラという映画がある。シンとは何じゃいなと調べたところ、「進化
した」という意味なんだと。映像で見ると、ゴジラ本体はCGで作成されており初代のような
背中にジッパーの見える縫いグルミじゃあない。そして、水陸両生類に進化(退化?)して、
海中でも大暴れ。・・・果たして中国人も日本人も、進化しつつあるのか、退化しつつある
のか?
進化も行き止まりに来て、自らと地球を滅ぼしつつあるのか?さーてね。
2023 12